11 : 稲荷と珂澄と夙夜の過去
病室で、オレは息詰まる沈黙と対峙していた。
珂澄さんが睨むような視線でじっと手元に目を落としている。
先程起きた出来事を珂澄さん相手に話し終えた後、オレはこの沈黙に耐えられずにいた。
「……」
ああ、頼むから目を覚ませよ、無関心の災厄。
オマエの叔母さんの醸し出す空気でオレの心臓は捻りつぶされそうだ。
「……っのバカ野郎が!」
珂澄さんの怒声に心臓が竦み上がる。
夙夜、頼むから起きてくれ!
病院に運ばれてからずっと眠りこけているクラスメートに心の中でヘルプを求める。勿論、そんなものが届くはずもないのだが。
「ああ、驚かせてすまない、少年。こいつは少し叱る必要があるようだ」
「あ、はい、オレもそう思います」
静かに怒りを湛えた珂澄さんは、いったん、肩の力を抜いた。
そして、いつもの表情に戻ってオレを見た。
「さて少年、居てくれることは有り難いが、深夜もまわっている。ひとまず、ご両親にご連絡差し上げねばならないと思うのだが」
「大丈夫です。今日は帰らないと連絡しましたから」
「いや、それでは心配されるだろう」
「……そうですね。でも、オレも少し考えたい事があるんです」
自分が選んだものの大きさを。
珂澄さんは首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。
さてと。
オレは珂澄さんに聴こえないくらいの小さな声で呟いた。
「聞け。夙夜。起きてんだろ?」
見下ろした夙夜の顔がゆがむ。
むにゃむにゃ、と謎の言葉を口から発しているが、寝てる時に本気でその台詞を発するヤツをオレは今まで見たことがない。
分かってんだよ、狸寝入りしてることくらい。
「珂澄さんに怒られるのが怖いのか? ならオレもここにいてやるから、きっちり怒られろ。いつ起きたって、叱られることに変わりねーんだからよ」
眉間に皺を寄せて考えているようだった夙夜は、数秒ほど逡巡して目を開いた。
オレと目が合って、バツが悪そうにシーツを口元まで引き寄せる。
「起きてたの、バレてた?」
「だから、オマエはオレの視力と聴力を過小評価しすぎなんだよ」
ごめんね、と言いながら、頭を押さえ、夙夜は体を起こした。
両手足の裂傷と、脳震盪。
下された診断はそんな感じだ。
たまたま運び込まれたのが珂澄さんと同じ病院で、珂澄さんの病室のスペースが余っていたからここに配置されただけで、入院するほどのものではないらしい。
「おう、起きたか、夙夜」
「……おはよう、叔母さん」
珍しく、笑顔がぎこちない。
おお、こんな夙夜は珍しい。本当に、珂澄さんの前ではしおらしいんだな。
「さて、粗方分かっていると思うのだが――」
珂澄さんがそこで、大きく息を吸い込んだ。
「バカ野郎!!」
窓枠がびりびりと鳴るような怒声が病室に響き渡った。
ちょっと、珂澄さん、ここ病院ですよ! 深夜の病院!
予想以上の衝撃に、オレは口をパクパクさせただけ。
「つい何時間か前に言ったよな?! 私は……」
そこで、珂澄さんは言葉を詰まらせた。
「お前が危険な目に遭うのは、私が嫌なんだ」
「ごめんなさい、叔母さん」
いつになく殊勝な夙夜。
いたたまれなくなり、さすがにオレは口を挟んだ。
「珂澄さん、すみません。コイツが怪我をしたのは、オレを庇ったせいなんです。オレが下手に手を出そうなんてしたもんだから」
あの時、本能が止めろと叫んだせいで、オレはふらふらと夙夜とノアの戦場に足を踏み入れ、結果、夙夜が傷ついた。
もちろん、ハナから夙夜が神楽山に行こうとしなければ、という前提ありきでの話だ。
「白根じゃないんだから、あれはオレなんかが手を出していい場面じゃないと分かってたはずなんですけど」
自嘲気味に吐いた言葉。
その、意外な部分に珂澄さんが反応した。
「白根って、誰だ?」
なぜ今、その名が気になったのだろう?
「え? クラスメイトの白根葵の事ですけど」
当たり前に返した言葉を、珂澄さんは口の中で反芻していたようだ。
シラネアオイ、シラネ……と何度か繰り返したところではっと動きを止めた。
その名に聞き覚えがあるのか。知っていたのか。
「……おい、夙夜」
瞬間、珂澄さんの声のトーンが変わった。
その変貌ぶりは、何時だったか片鱗を見せた夙夜のケモノの時の雰囲気と酷似していて、思わず背筋を冷たいものが駆け抜けた。
「まかさ、お前『イナリ』と関係を持ったんじゃないだろうな……?」
「?!」
何故だ。
何故、オレたちもつい先日知ったばかりのその名が、珂澄さんの口から?
オレの思考回路は停止寸前。よく止まる回路にうんざりだ。少しばかり予想外の出来事が起きたからって、すぐに停止しようとしやがる。
助けを求めるように夙夜の顔を見ると、相変わらず悲しそうに微笑んでいた。いつものように、ごめんねと謝る時と同じ表情。
その表情から不意に、白根のマンションでのやり取りを思い出す。
――オマエ、白根の組織の事……『稲荷』のこと、知ってやがったな
――うん、ごめんね、マモルさん
知っていたのは夙夜だけじゃねえ。
珂澄さんも知っていた。
「イナリがお前に何をしたのか、忘れたわけじゃないだろう?」
珂澄さんの声が震えている。
「うん、忘れてないよ」
「何故お前をあの家から連れ出したのか、分かっていないわけじゃないだろう」
「うん、分かってるよ」
淡々と珂澄さんの問いに応える夙夜。
いつもと同じ、へらへらとした表情だってのに、どこか不安を煽りやがる。
何でだよ。
ただの人間、口先道化師、物語の、蚊帳の外。
ここまできて、また疎外感。何も知らないオレに、『オマエは何も知らないだろう』とあざ笑うように現実を突きつけてきやがる。
ああ、知らねえよ。
夙夜の過去も、珂澄さんの仕事も、白根の組織が何をしてきたかという事だって。
と、そこでようやく珂澄さんはオレの存在に思い至ったようだ。
「すまない、少年。やはり今日は席を外してくれないか? この馬鹿とサシで話があるんでな」
「外さなくていいよ、マモルさん」
夙夜が珂澄さんを制した。
珂澄さんの眉が上がる。
オレにとっては、それだけで非常に恐ろしいんだが。
夙夜はへらへらと笑いながら珂澄さんに告げる。
「マモルさんは知ってるよ。アオイさんの事も、稲荷の事も。誰よりも梨鈴に近かったし、誰よりシリウスに近かったし、今だって誰よりノアに近い」
「なっ……!」
その名前をすらすらと述べた事に、オレは絶句した。
オレ達がこれまで関わってきた珪素生命体の名が羅列されたからだ。
「……『稲荷』の事もか」
「うん。アオイさんはオレの監視だよ。マモルさんと、あとはスミレ先輩にも一人」
「少年神谷か……あの物言い、何かおかしいとは思っていたんだ」
ため息をついた珂澄さん。
というか、白根に喋るな、と言われた情報をよくもまあペラペラとしゃべるな、こいつは。
内心焦っているオレを尻目に、二人とも何か納得したようだ。
珂澄さんがため息と共に折れた。
「いいだろう、少年の同席を認める」
我慢の限界。
「だからいったい何がですか」
とうとう我慢していた言葉が口から洩れてしまった。
珂澄さんは大きなため息をつき、やれやれといった表情を見せた。
「……夙夜、お前がいいのなら私から話そう」
「うん、いいよ。マモルさんなら構わない」
「仕方ないな」
この叔母と甥はよく似ている。
何を考えているのか分からないところ。秘密主義なところ。気の抜けるような笑顔。最終的に楽観主義なところ。
そして、ヒトの気なんぞ全く意に介さないところ。
「少年。君に少しだけ昔話をしようと思う。夙夜と、稲荷の話だ。面白い話ではないが……聞く気はあるか?」
ほら、こうやってオレを簡単に舞台に引っ張り上げやがる。
モノガタリの蚊帳の外、何の関係もないオレを渦中の人物に仕立て上げるんだ。
まあ、オレだって夙夜の過去に興味がないわけじゃねえ。
「ええ、はい、まあ話していただけるなら」
心臓は相変わらず早鐘のように鳴り響いていたけれど。
モノガタリの核心に迫る事を覚悟したオレは、知らない部分を少しずつ瓦解させていけばいいだけなのだ。
その為に夙夜の過去は必要だ。
そう自分に言い聞かせながら。




