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1章の6 「捨てる覚悟」

 クラウス王……。

 私は彼をもう一度よく見た。

 年齢はレオンと同じくらいだろうか。眼差し一つで彼の放つ深い闇に吸い込まれてしまいそうになる。唯一王様が闇ではないと教えてくれたのは、彼の肩に巻いている金の刺繍がされた深緑の装飾品と、マントに隠れてよく見えないが、ローブのような黒い服に付いている白い腰紐――そして息を呑むほどの美貌と白い肌。

 これが高貴なる王のオーラというものなのだろうか。

 闇と美しさが交互する中でクラウス王の冷たく悲しい瞳からは、計り知れないものを感じた。いや悲しいと表現してもいいのだろうか? 無であるような気もするし鋭いだけのような感じもする――やはりこの男のどの部分を見て悲しいと思うのか解らない。



 一端この疑問を振り払い、現状に気持ちを取り戻す。


 王様は私が挨拶するなり、笑顔が醜いと言った……。

 心を突き刺すこの感覚は懐かしいような感じもした。

 きっと家族の誰かに同じような事を言われていたのかもしれない。


 だけど――今の自分は前の姿とは違う、私の笑い方はそんなに変だったのだろうか?



 クラウス王は不機嫌そうな表情を浮かべながらソファーに座った。

 脚を組み、冷たく言う。

「座れ」

 彼の言葉に自分の中の疑問、記憶がすべて焦りへと変わり、慌ててクラウス王と向き合うようにソファーに座る。品の欠片もない今の自分の動作に座ってから後悔を感じ、恐る恐ると王様の顔を伺った。

「…………」

 クラウス王はまるで見る人を凍らしてしまいそうな瞳で私をじっと見ていた。

 つららにでも体を刺されているような気分だ。

 なんとも耐え難い間が続いたが、ここで怯えてしまってはきっと私は相応しくないと思われてしまうかもしれない。反射的に彼から顔を逸らしてしまわないように、ぎゅっと両手を握り締め息を止めた。

 やがてクラウス王は問う。

「お前は記憶障害だと聞いている、完全に忘れているのか?」

 やっと話しかけられた事に少しだけ安堵を覚え体の中に酸素が戻る、だが彼に問われているのだと思い直すと再び体が固まりそうになった。

 彼にそれを悟られぬようになるべく冷静な口調で答えた。

「ほとんどの事はまだ思い出せていませんが、覚えている事もあります」

 その答えに王は何か考えるようにしばし黙り、再び問う。


「ならば今のお前に問う――なぜ女神リア姫の中に入り私の妃候補になる事を望んだ? 地位か? それとも女神リア姫の体がほしかったのか?」


 彼の問いに私はすでに中身が相応しい人物であるのか、試されている事に気づいた。なんてせっかちな人なんだろう、笑顔が醜いと言った後は目的はなんだと聞く。もしかしたらさっきの醜いという言葉も、私を動揺させ反応を見るためだったのかもしれない。

 そしてこうも思う、クラウス王の前では嘘は通用しない。

 下手にお世辞なんか言えば、きっと彼の闇の瞳はすぐに見抜くのであろうと……。

 だから私は彼の問いに自分の思うまま応える事にした。


「地位がほしかったのではありません。ですが女神リア姫の体は――ほしかったのだと思います」


 クラウス王は少し興味を示したような表情を見せる。

「なぜほしかった?」

 なぜと言われ考えた。

「……それは、私の願いを叶えるために結果的にほしくなってしまったのだと思います」

「おまえの願いはなんだ?」

 それには悩まず答える事ができた。

「私の願いは、美しくなり自分の家族から離れる事です」

 クラウス王の冷たい瞳が一瞬だけ揺るぎを見せたかと思うと、今までの無感情の声とは違う、まるで急かすように彼は問う。

「お前自身の体は醜く、お前は家族を嫌っているというのか?」

 なぜ彼がこんなにも興味を示したのは解らなかったが、私は嘘のないよう言葉一つ一つを思い出すようにゆっくりと答えていく。

「私にはまだ不安定な記憶しかありません……だけどなぜか嫌な事ばかり先に思い出してしまって、このままで在り続けたいと願う明確な理由を心が教えてくれるんです」

 一度、深く息を吸い込み、

「クラウス王の仰る通り私自身の体は醜いです。だから私は女神リア姫にいつも美しくなりたいと願い続けていました。家族の事も嫌っています、けど正確に言うのならば嫌うではなく怖いと言ったほうが正しいと思います」

「怖いだと?」


 心がぎゅっと締め付けられるような感覚がした。

 思い出したくない――怖い……。

 私は、本当の私の存在は、

 生きている価値のない無意味な存在なんだから。


 声が震えているのを感じながらも、ゆっくりと答える。

「はい、私は家族が怖かったんだと思います。住まわせてもらっているだけで実際に私の居場所なんて最初から存在しない。ただの邪魔者みたいな存在で、いつ見捨てられてもいいような子で、顔色を伺い、お世辞を言い、嬉しくもないのに笑って褒めて……だけど私が突然消えようとも気がついてくれない……私は……いらない子なのにそれでも頑張って……笑って」

 何を言っているのだろうと思った。

 記憶もないのに言葉だけが勝手にどんどん溢れ出てきて、きっとこれは私の事なのだろう。けど今日初めて会った王様に、こんなに必死に自分の事を話して、これじゃあまるで彼に同情を求めているようだ。


 だけどなぜ、私は泣いているのだろう……。


 目の前がぼんやりとなり、頬が濡れている事に気づいた。

 私が泣いているの? それとも女神リア姫が泣いている?

 解らない、自分の涙の理由が解らなくて混乱した。


「もうよい」

 彼の氷のような瞳がほんの少しだけ和らいだような気がした。

「手を出せ」

 言われるがまま私は右手を彼に差し出した。

 クラウス王は両手で私の手を包み込み、まるで壊れ物を扱うかのようにそれは優しく――あまりにも優しくそっと触れられ、悲しみと涙と動揺が混同し頭の中が朦朧としてしまう。そして今までの冷たい口調とはまるで別人のように、囁くように彼は言う。

「温かい……ついこの前までは触れようとしても、氷に阻まれ何も温もりを感じる事ができなかった」

 私の手よりもずっと大きいクラウス王の手が、ほんの少し強く力を込める。


「生きているのだな、確かに生きている」


 私は生きている。

 その言葉は私に向けられ言われた言葉なのだろうか?

 それとも、女神リア姫に向けて放った言葉なのだろうか?

 答えは解らないけども不思議と涙は止まった……。

 気持ちがふっと楽になり、冷静な気持ちに戻る事ができた。


 王様の手には不思議な力があるのだろうか?



 私が落ち着いたのを見届けると、彼は私の手をゆっくりと離した。そして今一瞬起こった事がすべて夢だったのではないかと思ってしまうほどに、彼は再び無表情に戻った。

「お前の言いたい事は理解した。お前は私に気に入られ、醜い自分と怖い家族を捨てたいのだな?」

 捨てる、という言葉に若干の抵抗はあったが、実際に私の行っている事は捨てるという事なのだろう。

「そうなのだと、思います……」

 その答えにクラウス王の瞳が闇に染まった。

 深い闇は私の視線を捕らえ、闇は抑揚のない声で言う。


「なら今すぐ捨ててしまえばいい」


「捨て……る?」

 クラウス王の言葉に戸惑う。

「そうだ。お前自身が体を捨てれば、お前はもうどこにも戻る事はできない。私が他の者に変えろと命令すればお前は死を宣告された事になるだろう。だが、その行為は何よりの私への証になるだろう」

「…………」

 それはつまり私自身の醜い体の方を捨て、王様に私がどれだけの覚悟をしているのか示せという意味……私自身の体を捨ててしまえば後戻りなんて出来ない、クラウス王の判断次第で私は魂の行き場を失い死んでしまうという事になる。

 だけどそれだけの選択をするという事は、同時にクラウス王への大きな証明にもなる。


「何を悩む必要がある? お前の言葉は偽りだったのか?」


 偽りなんかじゃない……。

 私は醜い自分が嫌いだった、辛くて怖い家族の元に帰る事が嫌だった。


 もし戻る事になれば、私にとってそれは死に値する事だった。


 そうだ……戻る事、それはつまり死なんだ。

 体を残したままいずれ元に戻る事と、体を捨て行き場のない魂となって死ぬ事に何の違いがあるのだろうか? 両方とも死んでいるのだから……。

 それならば王様の信用を得て、少しでも生き残る可能性に賭けた方がいい。


 私は生きたい――女神リア姫の中で生き続けたい。


 顔を上げクラウス王の闇の瞳を真っ直ぐと見つめた。

「捨ててください。元の体に未練はありません」

 そう、未練なんてこれっぽっちもない。私はきっとこの選択をした事に後悔する事は一度だってないだろう。例え記憶を思い出したって、これから自分の未来が何が起ころうとも私は間違ってなんかいない。


 クラウス王は満足げな表情を浮かべた。

「解った、ならばお前の体を氷海のどこかに捨てるよう命じておこう。その変わり、今のお前の言葉と涙が偽りではないと信じると誓おう」

 彼は椅子から立ち上がり、私の顎を軽く持ち上げた。

「笑う練習はしておけ、お前の笑顔は醜い」

 一瞬彼が笑ったかのように見えたが、幻だったのかもしれない。

 闇の王様は私から手を離し、そのまま無言でこの部屋を立ち去った。



 ――まるで嵐が去ったかのように部屋が静かになった。


 クラウス王が私をどう思ったのかは解らない、これから自分がどうなってしまうのかも解らない。様々な思考が飛び交ったが、きっと今考えても答えは出ないのだろう。

 とりあえず今の私には、これが夢ではないと思う事が精一杯だった。


 ふと、レオンに渡された日記の存在を思い出す。

 そうだった、記憶を早く思い出すために日記を渡されたのだった。とても疲れて眠かったけども、それだけは書く事にした。

 机の上に置かれていたペンを取り、思うままに真っ白な日記に書く。



『一番最初に思い出した記憶は自分の名前と、自分が醜かったという記憶だった。

 そして家族の事を怖いと思っていた事も思い出した。

 だけど今の私は誰よりも美しい、もう怖い家族は遠い存在。

 誰の瞳にも映らなかった私は、これからたくさんの瞳に映るのだろう。

 誰にも愛されなかった私は、これからたくさんの人に愛されるのだろう。


 これが罪深き行為である事は知っている、でも私は願う。

 このままで在り続けたい、もう二度と戻りたくなんかない。

 私はここで生き続けたい。


 女神リア姫様、どうか私の罪をお許しください』



 あまりにも簡単過ぎる日記だとは思ったけど、どうせこれは誰が見る訳でもないのだからこれでいい。日記を閉じ、とにかく眠りたいと思いベッドに倒れこんだ。

 疲れた、体がだるい、頭も痛い、もう何も考えたくない。

 眠ろう――明日のために今日はもう休もう。


 心の中でもう一度女神リア姫に謝罪をし、やがて深い眠りに落ちる。

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