プロローグ2 「美しい物」
王様は美しい物が好きだった。
美しい物に囲まれて生きる事さえできれば、家族なんていらなかった。
美しい物であれば例えどんな手段を使ってでも手にいれようとした。
――美しくない物が視界に入れば王様はそこから目線を逸らした。
そして、この美しい大地を作ってくれた最も美しい女神リア姫をずっと求めていた。
「……美しい」
城内とは思えないほどに薄暗く凍るような寒い部屋。
辺りには金属類が無造作に散らばっていた。
その部屋で溜息のような歓喜の声をあげる男。
彼の名前はクラウス・ミルフォード。
闇色に染まった瞳と、氷のような冷たい眼差しを持つ美貌の男。
闇王、氷王……どちらの通り名も大地サハに君臨する王の名に相応しい。
「私はおまえをどれだけ待ち望んでいた事か」
クラウス王の目線の先――そこには千年以上も前に死んだはずの姫がいた。
雪のように白い肌、紅い唇、黄金色の髪、目は閉じているから何色なのか見る事はできないが、歴史に残る絵や文面が正しいのならば澄んだ空のような青い瞳をしているのだろう。彼女はまさに、誰もが頭に思い描く女神リア姫の姿をしていた。
だがクラウス王は彼女に触れる事ができなかった。
それは彼女が氷の中に入っていたから……。
「これは生きているのか?」
氷の中でまるで息をしているかのように美しく眠った表情を見せる姫を見て、クラウス王は彼女が死んでいるとは到底思えなかった。
冷静に考えれば解る事のはずなのに、そう聞かずにはいられなかった。
「いいえ彼女は死んでいます」
クラウス王の希望をあっさりと否定したのは、彼の一歩後ろに立つ男性だった。
白いゆったりとしたローブを着ていて、青い長髪、その髪の色よりも濃い瞳の色を持つ品の良い男だ。
「今朝、氷海調査部隊からの報告があって私もこれに対面しましたが、正直驚きました……千年も前の死体がここまでの状態で保たれているなんて――私も最初彼女が生きているのかと思い調べましたが、残念ながら生命活動は感知できませんでした」
続けて白いローブの男は話す。
「しかし彼女が本物ならば、例え死んでいたとしても形を残す事は可能だと思います。彼女の死体がどれだけ維持されているのか調べてみましたが――結果は損傷の箇所は一切なし、透過した検査も行いましたが彼女にはすべての器官が存在します。勿論、活動はすべて停止していますが、死んでいる事のほうが不思議なくらいです」
丁寧な口調でありながらも、男の気持ちが高揚しているのがクラウス王には伝わった。それだけ今、目の前で起きている現象は奇跡に近い事なのだ。
「つまり千年も前に彼女が私達に与えてくれたエネルギーは、今もなお活動し続けています。それが何よりも彼女が亡くなった後でも、女神リア姫の偉大な力が続くという証明になります。そしてこれが本物であるという確証に繋がります」
クラウス王は初めて男に目線を移した。
「では女神リア姫自身が自分の死体が維持されるように、何らかの力を加えたと?」
男は頷いた。
「はい。それが女神リア姫の希望だったのか、その時代にいた民達の願いだったのかは解りませんが――彼女がそのような力を使ったのだと思います」
クラウス王は再び彼女を見つめ、愛おしい女神リア姫に触れるように氷に触れた。
「――わかる。もしあの時代の人間が彼女が死ぬと予め解っていたならば、彼女にこう求めただろう……死ぬのならば、せめてその美しい姿を残してほしいと」
クラウス王はしばし彼女の美しさを眺めながら、黙る。
そして次第に王の闇の瞳はより濃く、冷たくなった。
「だが違う……私はそれだけで終わったりはしない。彼女を崇めろだと? 氷の中に埋めろだと? 私はそんな事はしない、死んだ死体を見つけてそれに祈りを捧げるだけなんてごめんだ」
「……クラウス王?」
不安を交えた口調で男は呼びかける。
王は強い口調で命令した。
「レオン、彼女を氷から取り出し――動かせ」
あまりにも無謀な命令に、レオンと呼ばれた男は困惑した。
「女神リア姫を機械仕掛けにでもしろとおっしゃっているのですか?」
冗談めいた問いかけにクラウス王は動じない。
「最悪の場合それでも構わない」
レオンは更に困惑した。
「そのような事は……」
「お前なら出来るだろう?」
レオンの言葉を遮るように彼は言い放つ。
「私はお前が誰よりも優秀である事を知っている。そしてお前が誰よりも過去の遺産へ情熱を注いでいるのかも知っている。レオン、お前は昔私に言った。エネルギー不足さえ解消できればこの世界で不可能な事などないと」
「…………」
「お前は王である私に嘘をついたのか?」
まるでレオンを追い詰めるようにクラウス王は冷たく睨んだ。
彼は今自分が置かれている立場を理解し、それでも冷静に返す。
「それは人道に反しています。彼女はこの世界を救ってくれた女神リア姫です」
しかしその言葉にクラウス王が微かに笑う。
「それはつまり、人道に反すれば可能だという事だな?」
「…………」
それは不可能だ。と言えばもしかしたらクラウス王は自分の命と引き換えに諦めたかもしれない。だが可能な事を不可能と言えるほど、彼は自分のプライドを捨てる事ができなかった。クラウス王もまた、彼の性格を十分に知っていた。
「可能です……。ですが、それには膨大なエネルギーが必要です」
「構わん、民への配給をしばらく削ればいいだけの事だ。早く説明をしろ」
そう冷たく切り捨て、本題を早く述べろと命令するクラウス王に、レオンは諦めたように口を開いた。
「女神リア姫を機械仕掛けにする必要はありません……過去の遺産は膨大なエネルギーを必要とするため、あくまでこれは小動物実験でその機械の在り方を把握しただけなのですが、彼女の体だけならば取り戻せると思います」
クラウス王は黙って彼の話を聞く。
「私は過去の遺産の機械の一つを使って、片方にはまだ死んだばかりのネズミを片方にはまだ生きているネズミを設置しました。すると、死んでいたほうのネズミが動き出し、生きていたほうのネズミが死んでいたのです」
そこまでの説明でクラウス王は何かに気づいたように目を見開く。
「お察しのとおり、死んだネズミが生き返ったのではなく、生きているネズミの魂が死んでいるネズミに移動したのです」
「そんな事が――可能なのか!」
レオンは頷いた。
「これが人間で可能ならば、誰か別の生きている人間が彼女の体内に入る事ができるという事になります。女神リア姫の体には全くの問題はありませんから……」
慌てて付け加えるようにレオンは言った。
「決してこれは誰か一人の体を犠牲にするという訳ではありません。本人の意志に反しているのならば、元の体に戻る事は可能です。一度死体に入ったネズミが別の死体に入る実験には失敗しましたが、元々の体ならしっかりと保管しておけば戻れます」
「それはつまり、女神リア姫の体内に誰でも何度でも入る事ができ、自由自在に動かす事が可能という事か?」
「いいえ誰でもという訳ではありません。彼女と同じように女性で、体格が似ていなければいけません。それさえ守れば何度でも同じ事を繰り返す事は可能です――あくまでネズミだけの実験情報ですが……」
そこまで説明し、レオンは不安げに彼の様子を伺った。
「…………」
クラウス王は黙って何かを考えているようだった。
恐ろしいほどの沈黙、より一層闇に近づいていく王の瞳。
レオンは知っていた。
彼がこのような表情をしている時は、自分が考えもしない発想をする。
そしてその発想はとても残酷で絶対であることも……。
「氷海調査部隊が邪魔だな……」
クラウス王はそう呟いた。
「邪魔と申しますと……?」
恐る恐る聞いたレオンに王は返す。
「女神リア姫を見た者は、私とレオン、残りは氷を掘って運んできた氷海調査部隊だけだ。もし奴らを残したままこれを行えば、お前が最初に言った通り周りの者は人道に反していると言うだろう。女神リア姫は民にとって英雄どころか今や神に近い存在だ。いくら私が王とてその反感は免れぬだろう」
クラウス王は問う。
「女神リア姫を運んできた者達は何人だ?」
レオンは一度息を呑み、答える。
「十五人です」
「そうか……そのくらいの損傷ならば、女神リア姫の体に比べればいくらでも補えるだろう」
そしてクラウス王は冷たく命令した。
「全員殺せ」
彼の言葉にレオンは慌て、声を大きく懇願した。
「お待ちください! もう一度お考え直しください! 他にも方法はたくさんあります! 彼らに脅しをかけ秘密を守らせる事や、平民の端に追いやり声の届かぬ場所に追い込む方法だって!」
「黙れ!!」
クラウス王はレオンを凍るような瞳で睨んだ。
そして静かにこう言う。
「私はいつだって、こうして来ただろう?」
その一言に、レオンは悲しみと苦渋の表情を見せた。
そして震える声で小さく言う。
「……解りました。王がそう命令するのならば、そういたします」
レオンの答えにクラウス王は満足げな表情を見せる。
「そうだ、これは私の命令だ。お前が罪悪感を感じる理由は一欠けらも存在しない。今までも、これからもな……」
そしてクラウス王は再び氷の中に眠る女神リア姫を見つめた。
「私は求めていたのだ。彼女を手に入れるためならば、どんな犠牲であろうとも、それが人道を反した大きな罪になろうとも……」
クラウス王はまるで彼女に語りかけるように言った。
「私はそれでもお前がほしい」
彼のその言葉に一瞬彼女が微笑んだかのように見えたが、それは幻だった。
しかし、もうすぐそれは幻ではなくなる。彼女が動き出せば、女神リア姫はいつだって王に微笑みを見せる事ができるのだから……。
クラウス王は彼女から目を放す事なく再びレオンに命令した。
「彼女の中に入る女を厳選しろ」
そして次にこう続ける。
「候補は何人もいたほうがいい、女神リア姫に相応しくない中身であれば他に変えればいいだけの事……見つからなければ何度でも繰り返し、必ず彼女に見合った中身を見つけてみせよう」
もはや王に何も言い返す力もなくなったレオンは、彼の言うままに従った。
「仰せの通りに致します」