2章の3 「謝罪」
私が女神リア姫の魂になって初めて目覚めた部屋、そこは特別医務室だった。
昨日は自分の事だけで精一杯で、彼の部屋がこんな場所だった事に気づかなかった。
ここはとても広く明るい部屋ではあったけども、城内の豪華で美しいイメージとは違っていて無機質、という言葉が合うのかもしれない……。真っ白な床、真っ白な壁、一通りの家具は揃ってはいるがそのどれも生活を感じ取る事は出来なかった。それに見た事もない物も色々とあって、それがどのように機能する物なのか、それともこれはただの置物なのかさえも解らなかった。
「頭を上げてください、これは私が決めた事です」
そしてその無機質な部屋に住むレオンは、頭を下げ私に謝罪をしていた。
レオンは私の体が捨てられる事になってしまった事に、酷く責任を感じているようだった。クラウス王は私の体を氷の海のどこかに捨てるよう命じておくと言っていたので、恐らく王様はレオンにそれを命じたのだろう。元の体を保管し、いつでも戻れると私に説明してくれた彼にとってこの命令を聞いた時どれほどショックだった事だろう。
「謝らなければいけないのは私の方です。レオンに何も相談しないで、こんな大事な事を決めてしまってごめんなさい」
「そんな! あなたに謝られてしまったら、私は余計にどうすればいいのか解りません」
レオンはようやく顔を上げ目を合わせた。彼の品のある美しい顔は悲しみに歪み、青い瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだった。
「私は……クラウス王に逆らう事ができません。本当はあなたの体を守りたかった、だけど私にはそれが出来ないのです。本当に申し訳ございません」
逆らう事ができない――それはつまり私の体がすでにクラウス王の命令通り、捨てられたのだという事が解った。そして、同時にレオンが悪魔ではない事も確信する事ができた。
悪魔がこんなに傷ついた表情を見せるだろうか?
悪魔がこんなにも泣いてしまいそうな表情をするだろうか?
彼はただクラウス王の命令に従うしかできない立場なだけなのだ。今回の事も含め、双子の言っていた私の知らない今までの事もすべて、このような表情をしながら実行してきたのではないだろうか?
今の彼を見ると、そう思えてならない。
「もう謝らないでください。私は後悔なんてしていません」
「しかし……リア様はまだ記憶を思い出していません。今のあなたは後悔していないかもしれない、だけど明日には何かを思い出し後悔をし、私を憎むかもしれません!」
彼の不安と罪悪感が痛いほど伝わってきた。
どうすれば彼の気持ちを少しでも和らげることができるのだろう……。私は最初から自分の体への未練なんてなかった、自分の体に戻る事と魂の行き場を失い消えてしまう事に違いを感じなかった。それはこの先、私が記憶を思い出しても変わらない、そうはっきりと感じる気持ちをどうやってレオンに伝えればいいのだろう……。
必死で考え、それを言葉にした。
「私がなぜあなたを憎むのですか? むしろ私はレオンに感謝しているくらいです」
「……感謝?」
「はい、私はあなたに感謝しています。あなたに選ばれていなければ、私は今も自分の姿を嫌い、家族に怯え、絶望の中で暮らしていました。そんな私にレオンは女神リア姫の中で生きられるという、素晴らしいチャンスを与えてくれたんです。これは私の願い、最後の生きる希望なんです。そんなあなたを憎むわけがありません」
そして出来る限りの笑顔を作って見せた。
「だからレオン……。これ以上自分を責めたりしないでください。あなたは何も悪くない、あなたが罪を感じる必要なんて一つもない、これは私が決めた事なんです。今も、そしてこれからも私の気持ちが変わる事はありません」
「!!」
レオンは非常に驚いた表情を見せた。
女神リア姫の笑い方を真似たつもりだったけど、やっぱり私の笑い方は醜かっただろうか? それとも何か可笑しな事を言ってしまったのかもしれない。
すぐにでも謝るべきなのだろうか?
あれこれと考えてを巡らせていると――やがて彼は独り言のように呟く。
「あなたは本当に、似ているのですね」
「……?」
レオンは苦笑いを見せた。
彼がいったい誰と似ていると言ったのかは解らない。ただ単純に女神リア姫本人と似ていると言っただけなのかもしれないし、他の誰かの事を言っていたのかもしれない。
「解りました」
――だけど、そんな答えはどうでもよかった。
真っ直ぐと見つめてくれる彼の瞳に心底ほっとする。
レオンの気持ちが切り替わってくれた、先程までの絶望とは違う――前に進もうとする決心のようなものを感じられる。
「あなたが必ずクラウス王の妃になれるよう全力を尽くします。そして何よりもリア様が幸せになれる事を約束します。私があなたを選んだのですからこれは当然の責務です」
彼の心強い言葉に心から感謝した。
「ありがとうございます! 私にはレオンしか頼れる人がいません、レオンが伝えてくれなければ何も解らない、レオンが助けてくれなければどうする事もできません。だから私に色々な事を教えてください。世界の事、大地の事、王様の事、他にもたくさん知りたい事があります」
「それはもちろんです、解らない事があればどんな事でも聞いてください。答えられる限りのすべてをお答えします――」
そこまで答えレオンは怪訝な表情を見せた。
「お話の途中申し訳ございませんが、失礼します」
「……?」
そう言って彼は右手を伸ばし、私の額に手を当てた。
「熱はないようですね、どこかお体の調子が良くないのでは?」
どうやら彼は私の不調に気づいたようだ。
この部屋に入って最初に見たレオンの悲そうな面持ち。
その理由がなんなのかすぐに解ったから、自分の体調の事などとてもじゃないけど言い出せる気分にはなれなかった。そしてこれ以上の心配はかけまいと、このまま誤魔化してしまおうかと思っていたが――さすがにそう上手くはいかないようだ。
真っ白の部屋で、白いローブを着たレオンにそう聞かれると、なんだか急に彼が医者のように見えてしまった。いや、見えるんじゃなくて彼は医者なのだ。研究者とも聞いているが、私のイメージでは医者の方が近いと思う。
彼は私を一度椅子に座らせてから答えを待つ。
しばらくどうしようかと黙っていたが、嘘が通じる相手ではないという事は解っていたので、誤魔化す事は諦め素直に答える事にした。
「体中が痛くて、あとは頭痛がします」
レオンは心底申し訳なさそうな表情を見せる。
「そうですか……。すみません、自分の事ばかりで頭がいっぱいで、まず最初に確認するべき事を忘れていました」
「いいえ、我慢できないほどだったらここには来ていません。それに痛いのは、女神リア姫の体を急に動かした事が原因なのは、何となく解りましたから」
千年氷の中に眠っていた体――強引な復活。
むしろこれだけで済んだ事を感謝すべき事なのかもしれない。
「そうですね、体が痛いという事はリア様の体がしっかりと活動している証拠になります。痛みがない方が筋肉が生成されていない事になりますので、その痛みは良い事です」
と、そこまで言うと一度言葉を区切り再び続ける。
「しかし頭痛は予想していなかった症状ですね。それはどのような痛みですか?」
レオンの問いに、自分の頭痛をどう表現すればいいか迷った。
今の状態に相応しい言葉を探し――それはとても曖昧な言い方になってしまう。
「ズキズキとしたり、締め付けられるような感じがしたり…… 片側だけが痛かったり、全部が痛い時も……耳元だけが痛い時もあります」
私の頭痛はとても奇妙なものだった。
自分の頭痛の症状をすべて伝えようとして、それに初めて気がついた。
一定では無い? こんなおかしな頭痛があるのだろうか?
レオンも私の頭痛の不確定さに気づいたのだろう、何かを考えているようだった。
「しばらく様子をみる必要がありそうですね……」
ほんの一瞬部屋の中が無音になり、心が締め付けられるような気分になる。
しかしレオンはすべての不安を払拭させるほどに、優しく笑った。
「心配する必要は何もありません。私はこの大地で一番優秀な研究者であり医者です。私がリア様の傍にいる限り私があなたを守ります」
彼の笑顔があまりにも美しくて、心の淀みがすっと消えていく。
それよりも気になってしまったのは、レオンは研究者であり医者だ――と答えた事だ。彼にとっては医者というよりも研究者であるという自覚のほうが高いのだろうか? 言葉の順番などただの偶然だっただけで、考え過ぎなのかもしれないけども。
「痛み止めを処方しておきましょう。ですが急に通常の量を使ってしまったら体に何か影響が出るかもしれません。最初は少量から試してみましょう。もしそれで我慢できないようであれば、いつでも私に言ってください」
「解りました」
そしてレオンは一瞬迷った表情を見せ、気まずそうに言った。
「それでは……今日はもうお部屋に戻りましょう」
「!!」
「今は何よりもリア様のお体を休ませる事が大事だと思われます。あなたが私に色々な事を聞きたい気持ちは解ります、しかしそれは明日に――」
「待ってください!」
思わずレオンの言葉を遮ってしまう。そして思いつく限りの言葉を探したが、焦りのせいか早口となって勢いよく流れ出た。
「このくらいの痛み我慢できます! 私はそれより何かを知りたいんです、何かを知れば少しでも記憶を思い出すかもしれないでしょう? そうすれば私は最低限の振る舞いくらいは出来るようになれるかもしれない、邪魔者扱いされていたって私は貴族の家庭で育ってきたのだから……そのくらい学んでいるはずなんです! だからどうか、もう少しだけここにいる事を許してください!」
私の必死の訴えに、レオンは困惑の表情を見せた。
「困りましたね……」
「お願いします! 本当に少しだけでいいですから!」
彼がうんと言うまで絶対にここを動かない――という意思を伝えるためにも、レオンの目を真っ直ぐと見つめた。もしかしたら睨み付けていたのかもしれない。
女神リア姫の美しさも品の欠片も無い行為なのは解っているが、このまま流されるまま部屋に戻って一日が終わってしまうのだけは嫌だった。何も変わらず、クラウス王にただ呆れられ、他の女性と中身を変えられてしまうかもしれない――そう思うと居ても立っても居られない。
やがてレオンは諦めたように大きく溜息をつく。
「仕方がないですね」
そう言いながら右手を差し出した。
「バルコニーに出ましょう、大地のご説明をさせて頂きます」
「あ、ありがとうございます!」
嬉しさに頭痛も筋肉痛もすべて忘れ、彼の手をただただ喜びながら取った。
「本当に少しだけですからね?」
釘を刺すように言ったレオンの言葉に、何度も頷いて見せる私を見て彼は笑った。
その笑顔は本当に――本当に優しかった。
◇◇
――この景色は何度見ても美しい。
さっき見た景色よりもレオンの部屋は低い位置ではあったが、十分に大地サハを見渡す事が出来る。輝く湖、それを囲む森、森を囲む家、そして大地を囲む氷の海。部屋の中とは違い、バルコニーなので少し寒いと感じるが、肌が痛いと感じるほどではなく、むしろ心地良い冷たい風だった。
隣を見ると青い長髪を風になびかせながら、その髪色よりも濃い美しい青色の瞳で外の景色を眺めているレオンがいた。まるで大地に魅了されるように彼の瞳は輝きを放ち、生き生きとしていた。
「美しいでしょう? ここが女神リア姫の作ってくれた私達の住む大地サハです」
そう言われ再び美しい大地に視線を戻す。
「…………」
――サハ。
私は大地サハという名前を知っているような気がした。もう何度もレオンから聞いているし、自分の住んでいる場所なんだから知っていて当然の事なのだけども――何と言えばいいのだろう、そういうのとは違う、きっと前の自分よりも大地サハを身近に感じているような気がする。
なぜなら、私の体の本当の持ち主が作った大地だからだ。
女神リア姫がまだ英雄でもなく、ただのリア姫だった時。
一度世界は滅びかけた。
すべての人々が絶望し滅ぶ様を呆然と見ていた中、彼女だけは希望を捨てずに多くの人を救いたいと願い続けた。やがてその願いは大きな力へと変化を遂げ、彼女は自分の命と引き換えにこの美しいサハと呼ばれる大地を作り上げた。
彼女が美しかったから、この大地もこんなに美しいのだろうか?
「あの美しい湖の名前はノイシュローヘン湖。彼女の正式名リア・ノイシュローヘンからその名前がつけられましたが、実際の呼ばれ方は千差万別、女神という言葉が当てはめられている事だけは統一されてますが、生命、奇跡、恩恵、加護――そうですね……ここでは女神の加護と呼びましょう」
「女神の加護?」
「はい。女神リア姫は大地サハを作り上げただけではなく、これからここで生きる人々の未来の事も考え、大きな力を湖に残しました。サハが氷の海に囲まれている割にここがさほど寒くない事に気づきましたか?」
そう言われ、はっとした。氷の海に囲まれいるのにここは極寒ではなく湖も凍ってはいない、木々もたくさん生い茂っている。
美しさばかりに気を取られ、そんな単純な矛盾にも気づかなかった。
「どうしてサハは凍っていないのですか?」
「それは女神リア姫の加護が私達の大地を守ってくれているからです。サハに住む人々が湖を中心にして暮らしている理由は、湖とその付近だけの温度が高いという理由があります。大地の最先端付近は氷点下五十度にも及びますが湖周辺は二十度ほど、湖からは魚も捕れ木々も生えます。
そして何よりも凄い事は、湖の水が万能な事です。雨水の場合飲み物としてしか使う事ができませんが、湖の水は飲み物と同時に生活に必要なあらゆる物のエネルギーとして使用出来ます。例えばそうですね……一番使う物は火を使う物が多いですね。木材で同じ効果は得られますが、森林地域は限られた部分しかありませんのであまり乱用はできません。ですので、湖の水を固めた物を使って暖炉の火やロウソクの火などをおこして使っています」
レオンの説明に思わずぽかんと口を開けてしまう。
湖周辺が暖かい? 湖がエネルギーになる? 湖の水を固めて火を使う? 今の私ではあまりにも難しすぎて、理解するには相当な時間がかかりそうだったが――とりあえず女神リア姫が残してくれた湖が、サハの人々にとって生きるために絶対に必要な物だという事は解った、つもりだ。
だけど私は相当まぬけな表情をしていたのだろう。レオンは少し考えるように頭を捻り、何か思いついたように再び話しを続ける。
「すみません――突然難しすぎる事を言い過ぎてしまいましたね。そうですね、それならばリア様に一番身近な物の説明から致しましょう」
「物、ですか?」
「はい、昨日私が過去の遺産のお話をした事は覚えてらっしゃいますか?」
「えと――私の魂が女神リア姫に移動するために使った物ですよね」
「そうです。あなたに使った物も含め、あの氷の海の中にはたくさんの過去の遺産が埋まっています、そのどれも膨大なエネルギーを要する物ばかりで使える物は少ないのですが、それも女神の加護、つまり湖の水を使って動かす事ができます」
「!! じゃあ私は女神リア姫の体を、彼女の残してくれた力を使って動かしたという事なんですか?」
「……正確には過去の遺産を利用してますからすべてという訳ではありませんが、ほとんどは女神リア姫の残してくれた力に頼ってはいますね」
「…………」
何とも言えない心境に陥る。大地サハを作り出し、人々を今も救い続けている女神リア姫の死体を使って、なおかつ彼女の力を使って動かしている。それだけははっきりと理解できた。これだけは今の私では理解できないでは済まされなかった。
そして実感する。
解っていたつもりだった。
自分の行っている事がどれだけ人道に反しているのかを。
解っているつもりだったはずなのに……。
――その罪悪感はとてつもなく重たいものだった。
レオンが不安そうに私の顔を伺う。
「大丈夫です……」
だけど――だけど引き返す事なんてできないんだ。
これは私が選択してしまった事なのだから、後戻りなんて出来ない事なのだから。
そして何よりも解る事が一つだけある。
後戻りできたとしても、あの時の私が記憶を失っていなかったとしても、私は何度だって同じ選択をしていた――という事だ。
罪悪感など美しくなれる事に比べれば、あの家族から離れられる事に比べれば、私はどんな重たい事実でも同じ選択を繰り返す。それくらい私の現実は追い詰められていた。
ならばここで立ち止まるよりも、生きるために進まなければならない。
「質問をしても、いいですか?」
心の中で繰り返す「情報を少しでも得る、目的を失っては駄目」と。
「勿論です、どんな御質問でもお答えします」
気持ちを取り戻すように一度息を吸い込み、なるべく淡々と事務的に聞く。
「昨日レオンは、魂を移すための物を使うためには膨大なエネルギーを使うと言っていましたが、あの湖のどれくらいの量を使うのですか?」
私の冷静すぎる質問に驚いた表情一つ見せず、レオンはすぐに答えてくれる。
「あなたに使った物は、過去の遺産の中でも特に女神の加護を必要とします。湖が湧き出る約一か月分、量で言うのならば約三分の一のエネルギーが必要です」
「そんなに使うんですか!」
「はい、ですからあまり無闇に乱用する事はできません。湖が枯渇するという事は、大地サハの生命が消えてしまう事になりますからね」
「…………」
この体を動かすために必要なエネルギーの量を聞いて尻込みした。確かに魂を再び女神リア姫に入れるための行いを用意するには、最低で1ヶ月はかかると聞いてはいたが、実際にその量を聞くと印象が大きく変わる。
たった一人の死体を動かすために、それだけの量を使ってしまうなんて――と思ったが、考え直す。この体はただの人ではないのだ。歴史上最も美しく大地サハを救ってくれた女神リア姫の体なんだ。それくらいの量を使ってでも取り戻したいものなのかもしれない。
特に美しい物が好きなクラウス王にとっては……。
「ですから、あのせっかち王様も、さすがにすぐに他の者に変えろなどとは命令はしません。そんなに心配なさらなくても大丈夫ですよ」
私を安心させようと思ったのか、レオンはそう言った。
「そうですね……確かに実際に使う量を聞いて少しほっとしました」
言葉のままに本当にほっとしてしまった。ちょっと前までは罪悪感の重さで葛藤していたというのに、もう私は自分の事だけを考えてしまっている。
だけど心から良かったと思った。
私はまだ女神リア姫でいる事ができる――時間がある。
大丈夫。
「そうですか、それはよかったです。今のリア様は少し休息が必要です、焦らずに――と言ってもそれは難しい事でしょうが、どうか無理だけはなさらないでください」
「…………」
レオンの言葉に自分の思う事すべてが見透かされているような気がした。
確かに私は焦っている。このままでありたい、早く記憶を思い出したい、美しく振舞えるようになりたい――そればかりを考え気持ちだけが先を行き、体が悲鳴をあげている。
現にレオンが今こんなに私の事を心配している、きっと私の顔は青白く美しくないのだろう。醜いのだろう。
焦った気持ちを落ち着かせるように、深呼吸をした。
「ありがとうございます。部屋に帰ったらちゃんと休みます」
レオンはほっとしたように笑った。
さっき部屋で見た時の笑顔とは違うけど、これもまた優しい笑顔だった。
彼の笑顔はすべて優しい。
この笑顔こそが、クラウス王の求める美しい笑顔に近いのではないだろうか。
取り繕った作り物の醜い笑顔などではなく、心から相手を思いやる美しい笑顔。
クラウス王はそれを見抜いて、冗談なのではなく心底私の笑顔を醜いと言ったのではないだろうか? それならば、私にはそれが出来るのだろうか。
誰かのために、誰かを思い、自分以外のために美しく笑う事。
自分の事ばかり考えている今の私では、到底無理のような気がする。
だけどそれが出来た時――私は少し女神リア姫に近づけるのかもしれない。
だって彼女は誰かのために、誰かを思い、美しく笑って犠牲になったのだから。
いや彼女は犠牲などとは思っていないだろう。
――愛する人を守りたい。
きっと、そう思って死んでいったのだから。