2章の1 「宝石より美しいモノ」
「リア……」
誰かに名前を呼ばれた気がした。
目を開けようとしたけども、あまりにも瞼が重く目を開ける事ができなかった。
頭が痛いし体もだるい。
早く返事をしなければ……。
私に声をかける人なんてたった一人しか存在しないのだから。
「ミシェル、ごめんなさい……今起きます。とても眠たくて、だから怒らないで」
体を起こそうと力を入れたが、うまく起き上がる事ができない。
「寝ぼけているのか?」
ミシェルは私の体を軽く押し、起き上がろうとした自分を再びベッドに戻す。
「怒らない……だからまだ眠っていろ」
今日のミシェルは何だかとても優しかった。いつもなら挨拶をしてお礼の言葉を言わないといけないのに、いったいどうしたのだろう?
「ありがとうございます、ミシェル」
ミシェルは私の髪に触れ、優しく頭を撫でてくれた。
こんなに優しいミシェルは初めて。
きっとこれは夢――私の妹がこんなに優しいはずがないもの。
話し方も違っていたし、声も低くまるで別人のようだった。だけどこれが夢なのならば、そういうミシェルが居てもおかしくないのかもしれない。
そして優しいミシェルの夢を見ていられるのならば、私はもっと眠り続けたい。
やがて夢は暗闇に戻り、私は再び深い眠りにつく……。
「……っ!」
酷い頭痛で目が覚めた。
とても心地よい空間から突然絶望的な場所に叩き落とされたような気分だ。
咄嗟に思う、ああ夢の中に帰りたい――長い眠りの間に見たほんの少しの夢。優しくて懐かしくて、どこか違和感のある夢だった。だけど心地よく、いつまでもそこに居続けたいと思うような空間だった。再び眠りにつこうと努力はしてみたが、ズキズキと刺すような頭痛がそれを許してはくれない。
溜息をつきながら仕方なく重い瞼を開け、自分の視界に入った光景に驚く。
自分の部屋とは思えないあまりにも豪華な部屋。
ここはいったいどこだろう? そう思ったと同時に昨日起こった事も思い出す。
現実が一気に押し寄せ、目眩を覚えた。
頭の中が混乱して、何が何だか解らなくなってきた……。
これではいけないと思い、一度深く深呼吸をしてから自分の手のひらを見た。
白く美しい繊細そうな指、そして自分の腕にかかる金色に輝く髪。
昨日の記憶は夢でも幻でもなく、確かに現実に存在する。
――私は変わったのだ。
私は女神リア姫の魂になり、最も醜い女から最も美しい女性になる事ができたのだ。
そしてこのままであり続けるためには、王様に相応しい中身だと判断されなければいけない、そうしなければ私は死んでしまうのだから……。
昨日起こった事を明確に思い出すと、相変わらず続く酷い頭痛などどうでもいいような気がしてきた。これくらいの痛み、醜い自分の姿と家族の所へ戻る事に比べれば耐えられる。それに何よりも死ぬ事に比べれば、頭痛なんてちっぽけな物だ。
「……?」
ベッドから降り、立ちあがろうとして体に違和感を感じた。
昨日のだるさとは違って体中が痛くてよろけてしまったのだ。足が微かに震えていて、立っているだけで疲労感を覚える。
千年以上振りに動き出した女神リア姫の体が、昨日以上に悲鳴をあげているようだ。今感じる頭痛もそれに似たようなものなのだろうか?
なら体が慣れていけば徐々に治って行くものなのかもしれない。
――もう昼近いのだろうか?
外の日差しが高く感じる。
なんだか無性に外の景色が見たくなって、よろめきながらもベッドから一番近い窓まで歩き思い切り開ける。
冷たい風がびゅっと吹き抜けた。
そして目の前に広がる景色に心奪われる。
美しい……。
このお城は恐らくとても高い所に建てられているのだろう。
ここから眺める景色はまさに絶景だった。
まず一番に目を惹いたのがこのお城のすぐ近くにある大きな湖、まるで空から降り注ぐ太陽の光を吸い込んだようにきらきらと輝いていて、きっと傍で見れば透き通っていて魚やもしかしたら底まで見る事が出来るのかもしれない。そしてその湖に沿うように森が囲み、森を囲むようにしてたくさんの赤い屋根の家が立ち並ぶ。遠くのほうへ目線を移すと、この美しい大地を閉じ込めるように白い海がどこまでも広がっていた。大地と海の境界がなぞれるように明白に区別する事ができ、白い海に囲まれる事によって大地がより一層美しさを放っているように見える。
――確かレオンはこの場所を大地サハと呼んでいた。
そしてあの白い海はきっと凍っているのだろう。
昨日レオンが言っていた事を思い返せばそのらくらいの想像はできる。
だけど、景色を見れば何か思い出せるような気がしたのだけども何の懐かしさも感じない。きっと、ここから見る景色と私がいた場所の景色に違いがあるからかもしれない。
窓から離れ、まず自分がどうすればいいのか考えた。
そして机の上に置かれたベルの存在を思い出す。
まずは侍女を呼ぼう、そう思いベルを鳴らした。
しかし何度ベルを鳴らそうとも、部屋の扉が開く事はなかった。
変わりに扉の向こうから声が聞こえた。
「はぃ! はぃはぃ! 聞こえてますよー! ちょっとお待ちくださいね!」
「邪魔だわ……蹴飛ばしちゃおうかしら?」
昨日会った双子侍女の声だった。
何かに苦戦してるようで、扉の向こうから物音が聞こえる。
「……?」
しばらく待っていたが、なかなか双子が入ってこないので自分から扉を開けた。
「!!」
半分ほど開け、目の前の光景に驚き思わず止まる。
「あ、リア様! ストップです! こっちに来たら危ないです!!」
「リア様に先に扉を開けられてしまった――辿り着けなかった……」
何に驚いたのかというと双子のアミムとキーチェの姿が半分見えるか見えないかほどに、たくさんの箱が廊下に積まれていたからだ。
「これはいったい?」
「あ、はい! お喜びくださいませー! これはすべてリア様への贈り物です!」
「昨日正式にリア様の妃第一候補が発表されましたので、貴族様からの祝い物というやつです。邪魔でもう入らなくて、扉の外にも結構あります」
これがすべて私への贈り物?
信じられない量に圧倒されたじろぐ。
これが女神リア姫の力なのだろうか……。別に妃が正式に決まった訳でもない、妃候補という段階でこれだけの祝いの品が届くという事は、それだけ私が期待され注目されているという事?
私のような平民設定の女が祝われたという事に少し嬉しさは感じるが、それ以上に重みも増す。
「申し訳ございません! 王様が万が一にも早くお帰りになった場合の事を考えて、通り道だけでも確保していた所でございます!」
「面倒だわ……でも王様の通る道に箱なんてあったら打ち首にされるわ」
そう言いながら双子は私の目の前にある荷物をどかしてくれた。廊下に出るとちょうど真ん中だけ人が一人通れそうな道だけ残し後は祝い品で埋まっている。
双子達はすっかり疲れた様子で、どうやら大量の祝い品とずっと戦っていたようだ。
「凄い量ですね……。誰か他に人はいないのですか?」
「はい。人を呼びたいのは山々なのですが、この部屋はクラウス王やリア様に特別に許可された高貴なお方か、私達のような専用の侍女しか入る事が許されないんですよ」
「全く、外の衛兵は中に運べと言うだけで手伝いもしない。冷酷無道な衛兵どもめ!」
二人だけでこれだけの量をすべて開けて片さないといけないなんて、それでは三日かかっても祝い品を片付け終わる事はできないだろう。
こういう時くらいは特別に人の出入りの許可が出ればいいのに。
それが出来ないのならば荷物の判別は外でやればよかったのに――と双子に言ってしまっては元も子もない気がしたのでそれを言うのは止めた。
「私でよければ何かお手伝いしましょうか?」
そう問う私に、双子は同時に慌てた。
「いえいえいえいえ! 決してそのような事! お気使いはとても嬉しいですが!」
「未来の妃様に荷物運びさせたなんて、侍女に汚名がつきます……」
二人の慌てぶりに私は何もしないほうがいいと判断した。双子の疲れた表情を見ると何もしないというのはどうも落ち着かないが、きっと私が手伝ったりしたら侍女達のほうが落ち着かないのだろう。
「解りました。ですがあまり無理はしないように……」
「はい! ありがとうございます!」
「ありがとうございます」
――その時だった、突然ベルの音が響き渡った。
「あれ? まだ昼なのに? こんな早いお帰りなんて聞いてないわ!」
「聞いてなくてもクラウス王のお帰りよ……リア様、それではまた後ほど」
アミムは動揺したキーチェの襟元を引っ張るようにして、侍女の部屋へと慌てて引っ込む。
と、同時に入り口の扉が開く。
「またこれは随分と……」
呆れた表情を浮かべながら、クラウス王は部屋の様子を見渡す。
闇のように冷酷で悲しい瞳を持った王様は、昼間に見てもやはり闇のままであった。
私はドレスの裾を持ちお辞儀をする。
「お帰りなさいませ」
美しく冷たい瞳で王様は私をじっと見つめた。
相変わらずこの人の目線は氷の棘のようで、少しでもこちらが油断をすれば心臓を突き刺されそうな気分になる。生きた心地がしないという心境は、こういう事なのだろう……。
「別に帰ったわけではない。お前の様子を見に来ただけだ」
全く予期していなかった言葉に驚いた。
「今朝、声をかけたが寝ぼけているようでよく解らなかった。だから死んではいないかと確認に来た」
「!!」
寝ぼけていたという言葉に思わず赤面する。確かに私は変な夢を見ていた、そしてそれがどんな夢だったのかぼんやりとではあるが思い出す事ができた。
誰かに話しかけられ私はそれに答えていた、ただそれだけの夢だったような気がするが……その相手が夢の人物ではなくクラウス王だったとしたのならば何て恥ずかしい事なのだろう。
私の表情を見たクラウス王は意地悪そうに笑う。
「女神リア姫が恥ずかしさで顔を赤らめるとは……これはなかなか面白いものを見た」
「――からかわないでください」
「別にからかった訳ではない、お前の今の顔は美しい。醜い笑顔に比べれば数倍も美しい」
褒められたのか皮肉を言われたのか……。
少なくともクラウス王は私の反応を見て遊んでいるようにしか思えない。
「それにしても……」
クラウス王は再び廊下に積み上げられた祝い品に視線を向ける。
「なぜここの侍女はこれを中に入れた? 早く捨てるよう命じておけ」
「……捨ててしまうのですか?」
「当然だ。お前を女神リア姫の生まれ変わりとして祝う者もいるかもしれない、しかしこれを贈った者達のほとんどはお前の存在を邪魔者だと思っているだろう」
「私は邪魔者なのですか?」
「女神リア姫の生まれ変わりと言われれば、表だって反対する者はいないだろう。しかし私の妃になりたい者はこの大地にはたくさんいる。お前の存在を邪魔だと判断し、ここにある祝い品に針や毒を仕込んでいるような輩もいるかもしれない」
「…………」
クラウス王の言っている意味を何となくであるが理解した。
私はこの大地の事はまだよく解らないし、王様の妃第一候補に選ばれた事がどれだけ名誉な事なのかも知らない。しかし、クラウス王はさっき窓から見た美しい大地の王様なのだ。その地位に憧れ妃になりたい者は数え切れないほどにいるのかもしれない。その者達にとっては、例え女神リア姫の生まれ変わりであろうと邪魔者に変わらない。
祝ってもらい喜ぶ、これらはそんな純粋な贈り物ではない事に気づき少し気持ちが沈む。
だけど、これだけの量の祝い品を捨てるのは少しもったいない気もした……。
双子が一生懸命朝から片付けてくれていたと思うと、なおさらすべてを捨ててしまうには心が痛む。
「きちんと一つずつ開けて、安全を確かめれば使える物もあるのではないでしょうか?」
私のその言葉に、クラウス王は何を勘違いしたのかこう返す。
「ほしい物があるのならば私に言え。美しいお前になら何でも好きな物を与えてやろう」
「……? 別に何もいりません。ただここにある物を簡単に捨ててしまう事にためらいを感じているだけです」
クラウス王は疑問を感じたようだった。
「お前は捨てる事に罪悪を感じているだけであって、物には興味はないというのか?」
「はい、興味はありません」
「ここにある祝い品はすべて宝石やドレスだぞ?」
「はい、解っております」
「お前はそれがほしいとは思わないのか?」
宝石やドレスがどれだけ高価で美しい物なのかも知っている。美しい物が好きな王様の気持ちも解らなくもない。だけど今の私にはそんな物には興味は感じられなかった。
ただ美しい女神リア姫の体と、ここに残りたいという願いさえ叶えさえすれば……。
「何もいりません。この体とここに住めるだけで私は満足しています」
クラウス王は不満そうな表情を浮かべた。
すぐ近くまで歩み寄り、私の頬にそっと手を伸ばす。
「王の心もいらぬと申すのか?」
「……?」
何を思ってクラウス王がそう言ったのか理解できず躊躇った。
私をまた試しているのだろうか? それともからかって遊んでいるだけ?
私はなるべく冷静を装い返す。
「……王様の心までも欲しいと願うほど、私は強欲ではありません。それにクラウス王が女神リア姫の体と、美しい振る舞いの出来る中身だけを求めているのは知っていますから」
私の答えにクラウス王は凍るような笑みを浮かべ、私から手を離す。
「よく理解しているな、褒めてやろう」
褒められたのに、彼の冷たい笑いが怖く感じた……。
私は何か間違った答えをしてしまったのだろうか? クラウス王の真意が掴めない。
「ありがとうございます」
正しい答えを得られないまま、クラウス王は私から背を向けた。
「ならば早く美しく笑えるよう努めろ」
それだけ言い、彼は再び重たい扉を通って行ってしまった。
「…………」
――緊張の糸が切れ、崩れ落ちるように膝をつく。
あの人とこれから何度もこうやって話さなければいけないのか……。
そう思うと、余計に頭が痛くなってきた。
だけど私はもう後戻りもできないし、例えそれが出来たとしても戻りたいとも思わない。
「リア様! 大丈夫ですか!」
「リア様、顔色がとても悪いです。部屋で休みましょう」
双子の声が聞こえ、ほんの少し安堵する。
レオンが二人を選んでくれてよかった。
私はそう心から感謝した。