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ユステス・アルカス  作者: 青生翅
Chapter.0
1/4

000 雪と花の名



 ――薄紅の雪みたいな。


 いつかのおまえの言葉が、それこそ淡雪のように、散る花のように、儚く思い出される。

 どれほど強く瞼を閉じても、生まれる暗闇の中におまえの笑顔はない。

 

 あれほど笑っていたのに。

 哀しいほどに笑っていたのに。


 結局一度も泣かなかったおまえの、見たこともないはずの涙がほろほろと。

 枯れることなく、まるでおれまでを溺れさせるように流れている。


 なあ、どこにいるんだ。


 あれほど帰りたがっていたおまえなのに。

 名も知らぬ人々を、いまこの瞬間も帰し続けているんだろうか。







   * * *






 雪、雪、雪。


 大陸暦一八八二年。

 華翁の国にも、雷獣の国にも、双帝の国にも。争う三国のそれぞれ、中央にも前線にも等しく、冷たい≪銀雪姫≫が美しくも残酷な姿を現す。


 それでも流れる血は雪の白さをすぐさま赤く染め、熱を失うまでの間に結晶を生臭い血水に変えるだろう。これが前線ともなれば、雪が降り積もる間もないのかもしれない。

 その光景がすぐさま瞼の裏に浮かびそうで、ミラルド・ナインはうそ寒い想像にふるりと頭を振った。


 華翁国とも呼ばれるベルフィナの、国立学校北部校の魔法科を卒業してもう一年八ヶ月だ。卒業生たちは一律就職を先送りにし、未来への希望を描くよりもまず、今という時代に国を守るべく戦場へと送られることになった。それ自体は卒業のさらに一年前にわかっていたことで、どうしてもそれを受け入れられない生徒は卒業資格と命の危険を天秤にかけて、早い段階で学校を去って行った。士官学校と並んで、国立学校魔法科の生徒とはそういうものだと割り切るには、あまりに当初の戦況は悪く、かつての上級生や同級生たちを責める気にはならない。


 しかし中には、自らの意志を持つことが難しかった「優等生たち」がいることも、ミラルドはどうしたって忘れられない。いまだ新聞の戦死者欄に名前はないものの、自分たちより早くあらゆる思惑を背負わされて戦場へと旅立った彼らに降りかかるのは、何も純粋な火の粉だけではないはずだ。


 ある者は若き英雄として、世論戦の一つに組み込まれた。

 ある者はその才能ゆえに、戦術の要としてけして退くことは許されない。


「おいミラルド、アサン先輩また一面だぞ」


 雪に湿った新聞を広げ、野戦病院の冷たい天幕の中で少ない魔石の熱を囲む集団は、魔法科卒業生の中でも魔法薬学や医療術に優れていた面々だ。主席卒業生であるミラルドも、攻性魔法よりは支援系を得意としていた。


 夜明けまであと少し。巡回当番ももうしばらくすれば戻ってきて、簡単な朝食を摂った後には今日という一日が本格的に始まる。今は静かな怪我人たちも、日が昇り血流が良くなるにつれて痛みや口数も増すだろう。宥め慰め叱り飛ばし精神を摩耗させるその前の、けだるくわずかに穏やかな時間だ。


 同じ北部校出身者が指した新聞記事には、なるほど確かに一つ上の学年だったセルディク=アス・アサンが白黒の姿で載っている。秀麗な面立ちはこの三年弱の戦争で精悍さを増して、そこにはわずかに少年の面影を残すばかり。校内で言葉を交わしていたあの頃より痩せただろうか。引き締まった体つきに纏う軍服が、不思議と特別なものに見える。

 戦線をまたかの国の内へと進めた功労を讃えている内容だ。


 双帝国との戦端が開かれてすぐに、彼を含めた数人の生徒は卒業そのものが早められ、物々しい軍部のお迎えで戦場へ立つことになった。連れ去られたも同然の事実は、声高には話せない。


 名のある侯爵家嫡男にして、女王陛下の甥。同盟国となった雷獣国ダンカッセンの王家とも縁戚にあたる。そんな若く麗しく血筋正しい青年が、一粒種のベルフィナ王太子の代わりをやってのけている。


 今ではベルフィナの若き英雄と呼ばれるセルディクだが、その内実は物語性とはかけ離れた、酷く現実的な戦略に組み込まれている結果だろう。軍部の仕事はある意味で無駄がない。彼の周囲には常に精鋭の護衛が付き、広報担当が十数人体制でいることは間違いない。記事にされるような危機一髪の状況とそれを上回る幸運は、幾人もいる「英雄候補」を統合した姿なのだろうとミラルドは考える。


 彼が早められた卒業の直前、諦観の中にも捨てきれないものを滲ませて語っていたことを思い出す。


『どんなに努力を重ねてきても、才能があると評価されていても、ぼくは残念ながら「天才」じゃない。「彼女」のように一人で戦局を変える力などないならば、ぼくよりずっと有能で経験もある大人のいうがままに舞踏するくらいはやってみせるさ』


 それが本当は道化と呼ばれる所業であってもねと、セルディクはいったのだ。けれど本当にその荷を背負える若者が、そう簡単にいるはずもないことも本当だ。彼ほどに多くを兼ね備え、そして高い矜持すら必要ならば折ってみせるなんて。


 溢れるほどに持っているからこそ、寛容になれるのか。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。何にしてもセルディク=アス・アサンは今のベルフィナにおいて「英雄」を演じ切れる逸材だろう。軍部と女王陛下の目の付け所はきっと正しいのだ。


 けれど。


「双帝国ラバーヌ内に三つ目の転移門設置だってさ」


 セルディクの記事の下、目立たないというほどでもないが、いささか地味な書かれ方をしているそれを読み上げた声に、ミラルドは意識が引かれるのを感じた。


 転移門。この戦争に投入された、分の悪い始まり方をしたベルフィナ・ダンカッセン同盟の戦局をおおいに変えた新技術だ。双帝国にまで入り込めるほどの快進撃は、ひとえにこれの存在があったからに他ならない。今なお絶対の生命線だ。


 特に国立学校北部校の出身者には思うところの多いものだ。


 記事には詳しい転移門の位置はもちろん書かれていない。前線の位置からだいたいのところは読み取れるが、明確な座標が万が一敵方にでも知られたら一巻の終わりだ。第二、第三の転移門へと続くそれを敵に掌握されれば、移動と補給線を抑えられた挙句に同じ利用のされ方をする。反則的な魔法技術の投入によって巻き返した戦況は再び敵国優勢となり、今度こそ持ち直す前に滅ぼされるだろう。


 下手をすれば諸刃の剣でもある。そうとわかっていても、使わずにはおれなかった。


「あー、それって試作段階を無理矢理に軍部が採用に踏み切ったってやつだもんな。技術発案者は常に前線と一緒に移動で、設置が終わっても異常が出ないかしばらく付きっ切りになるって。めちゃくちゃ危ないんだろ?」


「そりゃそうだ。魔砲弾やら何やらが飛び交ってるすぐ近くで作業すんだぞ。しかも研究所や開発局じゃなくて一個人の発案。実質管理できんのはたった一人だけって話だし」


 ミラルドたちがいる野戦病院は、敵の攻撃が飛んでくる位置からはだいぶ離れた後方にありながら、支援関係としては最前線にあたるといってもいい。転移門の存在は、純粋な戦士をより深く早く戦地へと送り、補給支援を担当する者は比較的安全な場所でそれに従事することを可能にした。 

 術式安定のためにはしばらく技術発案者が付ききりになるとはいえ、一度固定が上手くいけば魔力調整を行うのは魔法士資格を持つ一般兵士が担うことが出来る。恐ろしいまでに画期的な技術であり、軍部が目を付けたそのまま急ぎ組み入れたのも頷ける。

 前線が進んでいくにつれて古い転移門の位置に後方支援系の陣が引かれることになり、毎日山ほどの怪我人が送られてきては治療を受けて戻るか、程度によっては完全に戦場から退く。その判断を下すのは治療師であるミラルドたちだ。


「あれ、そういえばこれって北部校のやつだよな。天才って呼ばれてんだろ?」


 確か東部校の出身者だったか。無邪気に瞳を輝かせて問われるそれに、数人の北部校卒業生たちは、ああまあと曖昧に頷く。


「特例でおれらより一年早く卒業してったよ。在学中に一級魔法士の資格も取ってたけど、学校の授業そこそこにみょうちくりんな発明とかばっかりしてたよなあ……そうしたらいきなりこんなすげぇもん考えてたなんて思っちゃいなかったけど」


「そうそう。確かに頭は異常に良かった。けど、どっちかって言ったら変人のくくりだったような」


 そう簡単であるはずもない一級魔法士資格をあっさり取得し、もう教えることはないとばかりに教師陣も好きなようにしろと放っておくしかなかった「天才」。出ずともいい授業の時間、子供の玩具にしか思えない発想の品々を作っては学校内で奇妙な実験を繰り返していた。

 へらりと笑ってばかりいた、少しばかり珍しい黒髪黒瞳の小柄な姿がミラルドの記憶の内で跳ね回る。落ち着きのない黒ウサギのようなやつだった。


「えーっと、転移門発案者……アステス? ウステスか?」


「ユステス・アルカスだ」


 新聞記事の中にある変わった名前の綴りに、面識のない人間は苦労する。

 気付いたときにはだんまりだった己の口が動いていた。ミラルド自身驚くほど滑らかに、かつての同級生にして現在の戦争の要である人物の名前が紡がれる。


 ――雪と花の名前なんだよ。


 声が、耳元のすぐ近くで囁くように思い出せるから。ミラルドは自分が分からなくなる。


 何故だ。

 一足早く強制的に卒業させられたあいつが、軍部によって連れて行かれてから二年半以上。なのに日に日に思い出す影は濃くなり、奔放に吐かれていた数々の、それこそ意味のない言葉もそうではなさそうなものも、等しく重さを持って脳裏に存在するようだ。


 ミラルドが魔法科で追い続けて抜けなかった「天才」であり、今は最前線の新たな転移門に齧り付いているはずの、吹けば飛びそうなユステス・アルカス。

 非常識で怖いものなしに見える――

 でも本当は誰より臆病で、夢を見れない「少女」。


 治療師に与えられる月色の長衣の下、軍服の内ポケットに入れた幾通かの手紙を無意識に上から抑え、ミラルドはその同級生を思い起こす。苦み走った記憶の中、今感じる不安感や焦燥の種はいったいどこにあったのだろうかと。


 そして芽吹いて行く先は、どこに……?。


 この遥か先、戦地で裸の命を晒している彼女と、血を纏って送り返されてくる負傷兵たちを通して繋がっている現実が、ひどく脆い。








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