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斑鳩  作者: 雪路 歩
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第五章 無色のインタールード

  第五章  無色のインタールード


 朝のホームルーム終了後、保険医の芹沢先生(下の名前は覚えていない)が、廊下に出て来た担任をすぐ様呼び止めて捕まえたのに私は気付いた。

 風通しを良くするために引き戸は開きっ放しにしているので、二人が会話している姿がよく見て取れた。

 でも私の席は窓際の教室奥なので、その会話の内容まではさすがに遠過ぎて聞き取れなかった。それにその間に立ち塞がるクラスメイトたちの、ワイワイ、ガヤガヤとした話し声が大きくて、聞くのは無理な話だった。

 出欠確認の際、私は守野青羽が保健室に行っていることを担任に一応は伝えておいたのだが、どうやら彼はあの後本当に保健室に行ったようだった。

 担任は私がそう伝えると、最初驚いた顔と反応をしていたが、そうかと一言だけ言って、とりあえずは出欠確認を進めたのはついさっきのこと。

 二人の会話する様から目が離せないでいると、やがてその会話は終わりを迎えた。芹沢先生と担任は、そのまま一緒に廊下を進んで行ってしまった。

 運動系の部活動をしていると怪我が絶えないので、私は芹沢先生とは顔馴染みであった。だから話し掛け辛いとか、そういう気持ちはカケラも無い。今からでも追い駆けて事情を聞いてみようかとも思ったが、これから全校集会が始まるから難しいかもしれない。次に担任が教室へ来るまで待機していなければ怒られるかもしれない。

 二人の会話の内容はきっと守野青羽がらみだろう。それならば全校集会が終わった後にでも聞きに行けば良いと思うのと同時、微かな疑問と罪悪感がわいてくる。すぐにその可能性に思い当たった。

 私が無理させたのが原因で具合悪くなった――その可能性は高い。

(――……よし! 合宿が始まる前に保健室を訪ねて、青羽君にお礼と謝罪をする! そして、そこで今朝する予定だった昨日の返事を、改めてし直すべきだと三森水穂(十五歳)は思い到ったのですよ!)

 そうなると、全校集会終了直後が勝負だった。剣道部員は放課後、すぐに格技場に集まって点呼を取る段取りとなっている。それが終わると即バス移動となっていた。

 何より私は一年生の新入部員である。先輩たちよりも早くに集まって、色々と雑用をしなければならないから、時間的余裕はほとんど無かった。

 今日は多くの運動部が合宿の開始を予定しているため、校内大清掃は昨日の内に全て済ませていた。だから今日の放課後は掃除をしなくても良いのだ。そして、全校集会は全生徒が等しく同じだけの時間を束縛されるものである。そうなると、掃除が長引いたから、集会が長引いたから遅れましたと言う言い訳は通用しなかった。

(――……よし! 全校集会が終わると同時にすぐに保健室に駆け込もう! 無理させちゃったし、飲み物の差し入れ(もちろん自腹)を持って行こう!)

 その時、三森水穂は“それ”を後回しにすることを選んでしまったのだった。


 ――それから数分後、終業式は中止となった旨が担任から伝えられた。

 学校の裏庭で何か事件が起きたらしい。裏庭には絶対に近付いてはならないと厳重に注意された。

 部活に入っていない生徒は即下校し、本日から合宿がある生徒はいち早く合宿を開始することとなった。当初の予定より大分早く夏季休暇の開始となってしまった。

 それを聞いた生徒の大半が喜んでいる最中、三森水穂はそれを聞いて内心慌てていた。次に守野青羽に会えるのは夏季休暇期間の半ばにある登校日だけとなってしまうからだ。こんなことなら、夏季休暇中にある有料の補講を受けることにしておけば良かったと後悔していた。

 三森水穂は彼がそれを受けると前に言っていたのを覚えていた。そして、数学、英語、化学の三つある補講の内、その三つ共全てを受けるとも聞いていた。

 正直、なんでこんな真面目君が“こんな高校”に来ているのだろうかと、三森水穂はその時疑問に思ったのだった。

 まだ一年生で、それを全て受け様とする者はかなり珍しかった。大抵の一年生は、さすがにそこまでは受けない。少なくとも“この高校の校風”ではそれが多数派だった。守野青羽のあり方はこの学校では少数派だった。なぜなら、受けても英語と数学だけである場合が多いからだ。多く受けても、せいぜいその二つ止まり。

 この学校のレベルからもわかる通り、理系の大学への進学希望者は極めて少なかった。二年生から本格的に理系と文系に分かれるのだが、その際に理系を選択する者は百数十人いる内の十人前後程度だそうだ。去年は確か、百五十人いる内の八人だけが理系を選択したそうだ。

 そのため、多くの者にとっては、少なくとも“この高校の校風”では、化学は受験に必要な教科ではなくなってしまうことが大半であるため、なおのことその補講を受けようとする者は数少なかった。更に言えば、勉学に対し熱意のある者自体少なかった。それがこの高校の多数派であった。

 水穂自身もその多数派の生徒と同様に、まだ一年生で、まだ受験生でもないので、夏休み中にまで学校に勉強をしに来るのは正直嫌だった。炎天下の中、それなりの回数学校へ通わねばならないと言うのも億劫にさせる要因の一つだった。とにかく、面倒臭いの一言に尽きるのだ。

 何より水穂は、ただでさえ運動部に入っているので、人より遊ぶ時間が少なく、おまけに“家業”も手伝わないとならないのだからなおさらそう思えるのだった。

 けれども今になって、それでも受けるべきだったと彼女は後悔していた。時間は取られても、夏休み中もそれなりの頻度で“彼”と会える喜びの方がきっと大きかったはずなのだ。

(――何だ……勉強も出来て、一緒の時間も増えてって、良いこと尽くしじゃないの。そんなことに今更気付くなんて、私って本当にバカなんだな……)

 廊下を進んでいると、教師達が廊下の要所、要所に見張りに立っていて、玄関の下駄箱置き場以外へと通じる通路は完全に封鎖されていた。裏庭へは絶対に行かせない積もりであるらしい。

 裏庭がどうなっているのか、正直気にはなるが、それなりに興味だって抱くのだが、さすがに危険な場所に本気で行こうとは思えなかった。

 途中、保健室に寄ろうかとも思えたのだが、立て込んでいる時に寄り道してはいけないと思い、空気を読んでそれは諦めた。保健室へと通じる廊下にも教師が見張りに立っていたので、その考えに後押しをする形となった。

 今朝守野青羽と一度だけ訪れた、下足入れのロッカーが立ち並ぶ玄関へと再び舞い戻って来た。あれからまだ三十分程しか経っていない。何だか時間の感覚がおかしくなっている気がした。いつもならここへ来るのは夕方近くの時間帯になのだから、なおさらそう思えるのだった。

 上靴をビニール袋に入れて、それを鞄に収めると、通学用の革靴に履き替えて外に出る。相変わらず、外は殺人的なまでの日射と熱気に満ちていた。すぐ様むわっとした空気が顔とむき出しの足の素肌の上を取り巻いて行って、更に気が滅入って行く。

 そちらをチラリと見やると、やはり裏庭は立入禁止となっていた。コーンが立てられて、わざわざロープで封鎖すらされていて、その前で教師達が厳しい顔をして見張りに立っていた。体育会系の、腕っ節の強い、強面の教師達が真剣な顔をして生徒達の姿を遠目に睨み付けていた。

『少しでもふざけた真似をしたら容赦はしない』――そんな雰囲気がありありと漂っていた。

 ――なんなのさ!? 今日は本当になんなのさ!? なに一つ思い通りにいかないじゃないのっ!?

 ダメダメな日だった。今日は本当に何一つとして思い通りに行かない日だった。


 後日……話を聞いた所によると。

 裏庭の木の葉が全て枯れ落ちていて、蝉が大量に死んでいて、更に無数のカラスが気絶している状態であったのを守衛が見付けたのがその事件の発端だそうだ。

 その光景を見つけた守衛は『毒ガスでも発生したのか!?』と思い、慌てて職員室に駆け込んだのだと言う。教師達もそこへ駆け付けると、事実その光景を目の当たりにし、万が一の事を考え、その後、保健所を呼ぶ騒ぎにまでなったのだそうだ。

 生徒達が帰った後、学校へは保健所の職員が大勢来て、マスコミも大勢来てと、夏休み開始直前になって想定外の大仕事が降って湧いたため、教師達はその対応に夜遅くまで追われたのだそうだ。

 次の日の新聞の紙面では、その顛末がそれなりに大きく取り上げられたらしい。それは“毒ガス”の発生ではなく“猛暑による突発的な現象”だとその紙面では記載されていた。ニュースでも、その庭の光景が少しばかり流されたらしい。

 この事件は専門家の間で“とりあえずの解明”がなされた。木々の葉が枯れ落ちたのも、無数のカラスが気絶していたのも、蝉が大量に死んでいたのも、その他植物が全て枯れ果てていたのも、土中のあらゆる生物が死滅していたのも――“あくまで偶然が重なった結果”として判断されたのだった。そう説明するより他無かったのだ。

 事実、毒ガスは一切発生しておらず、その日は記録的な猛暑でもあったため、“そう言う例外もたまにはあるよね”と言う感覚で、三森水穂含めた一般人の間では“その事件”は“普通の例外”として受け入れられたのだった。

 合宿と言う束縛期間があったために、三森水穂は“その事件”と“彼”が関係していると言うことに気付けなかった。

 だからこそ……その時の彼女は“真相”に行き着くことも、ましてや関わることも、この時ばかりは何一つとして出来なかったのだった。


 それは澄んだ水の様に無色透明なもので、そうと気付けない程の微かな“変化”だった。それは、その時までは確かにそこにあるのが当たり前の、それこそ空気の様なものであった。その空気に変化があったところで、誰も何も気付けないのは道理だった。

 それをはっきりと認識し、意識していなければそうと気付けない……およそ大半の者が容易に見過ごしてしまう程の、極めて小さな“兆し”であった。

 例えるならば、正にそんな始まりであった。幕間に流れる間奏曲の様に、意識せねばそこにあるとは気付けない程、それは日常の中に自然と埋没しているものであった。


 それは、無色のインタールードであった――

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