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斑鳩  作者: 雪路 歩
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第二十八章 茜色のサマーバケーション

  第二十八章  茜色のサマーバケーション


「――何をしているのかと思えば、宿題をしていたのね。こんな所まで宿題を持って来てるなんて驚いたわ。わざわざ終業式の日にまで持って来ていたのね。貴方って本当に真面目ね」

 ある日の事。一人、テントの中で宿題をしていると、鳥子がひょっこりと訪ねて来た。今日は色がまだ来ておらず、暇を持て余していたのだろう。そして、こちらがいつまでもテントから出て来ないので、何をしているのか気になったのだろう。

「空いた時間に学校でもちょくちょくやっておこうと思ってね……ホームルーム前の時間とか、ちょっとした空き時間にするだけでも結構進むもんなんだよ。僕ってこういうのは少しでも早目に終わらせたいって考えるタイプなんだ」

 シャーペンをカチカチと鳴らしながら、計算問題と睨めっこし続ける。

「本当に真面目ね……でも、それは同感だわ。夏休み終了間際になって慌ててやるのなんて嫌だもの。早目に終わらせて、後はのんびり過ごすに限るわ」

 顔を上げて声がした方を向くと、いつの間にか対面に鳥子は座っていた。彼女と目が合い、しばし真顔で見詰め合っていると、その内、二人同時にくすりと笑ってしまった。それだけの事なのに、何だか楽しくてしょうがなかった。

「ちょっとわたしにも見せて。自分の学校じゃない学校の宿題ってどんな物か気になるの」

 学校指定の学生鞄から、宿題の冊子を全て取り出して見せた。

「英語、数学、現国、化学、社会……この辺は何処の学校でも変わらないのね。まだ一年生だから、選択教科の地理と日本史と、生物と物理の宿題は無いのね。その分定期考査の科目も少ないから、一年生の頃が一番楽よね」

 保健体育、家庭科、他選択教科の宿題が無しなのも変わらない。少なくとも普通科の高校ではそれらの教科から課題が出る事は無かった。

「鳥子さんはどっちを選択したの? どうして選んだのかも参考に教えてほしいな」

 来年は自分もどちらかを選ぶ事になる。一つ先輩である鳥子の意見をぜひとも聞いておきたかった。

「わたしが選んだのは日本史と生物よ。日本史を選んだ理由は、歴史を学ぶ事で、呪いにまつわる知識が幾らか得られ易くなるかもしれないと思ったからよ。時代背景等を知れば、呪いをどうにかする何らかの足掛かりになるかもしれないと思ったの」

 何とも鳥子らしかった。九代目の呪巫女である鳥子以前までの時代をさかのぼって見れば、確かに何らかの解決策が得られるかもしれなかった。少なくとも、何かのヒントにはなるかもしれない。

「生物を選んだのは、単純に植物とか動物に興味があったからよ。従兄妹が医大生だから、その影響も多少はあるかもしれないわね」

 色の話でも少しだけ聞いていたが、鳥子には従兄妹がいるらしい。そして、その人が医大生だと言うのは初耳だった。それはもう半ば諦めている、自分の憧れの進学先だった。

「そっか……じゃあ、僕は来年は地理と生物を選択しようと思う」

「それはどうして?」

「日本史の知識だけあっても、そこを実際に訪れた時には地理の知識も必要でしょ? 鳥子さんの手伝いが出来る様に、足りない部分を補える様に、僕はそっちを選ぶ事にする」

 それを聞いて鳥子は目を見開いた。すると、机の上に肘を付いて、両手に顎を乗せた。そのままこちらの顔に顔を近付けて来て――

「――ありがとう」

 ニコリと微笑んだ。

「それじゃあ御礼に勉強を教えて上げる。暗記系の教科なら得意だから任せなさい。わからない所があったら教えて上げる」

 頼もしい限りだった。


 それから緩やかに時が流れて行った。

 自転車を借りて、あの商店まで買い物にも行った。最初に行ったのは色とだった。その次の日には鳥子を連れて行った。

 色も交えて、川で竹で作った水鉄砲で水遊びもした。二人して集中攻撃して来たのは卑怯だった。お陰でびしょ濡れになってしまった。

 商店で扱っていた花火を購入して、夜に三人でしたりもした。ねずみ花火に慌てふためく鳥子の姿が面白かった。

 少しずつ……少しずつ……時は進んで行った。着実に……確実に……終わりが近付いていた。夏休みの終わりが近付いていた。それはこの交流の終わりが近い事を意味していた。そして、自分の身に刻まれた呪いをどうするのか、鳥子との関係にどうけじめをつけるのか、それらの決断を下さねばならない日が近い事も意味していた。

 けれども自分達はそれを先延ばしにし続けていた。鳥子に長年の悩みを打ち明けて以来、自分は左腕に刻まれた呪いの事を忘れかけてすらいた。

 何もかも曖昧なまま、そうして先延ばしにし続けていた。

 ――そんな矢先にそれは起こった。

 夏休みの残りが後十日を切った頃の事だった。

 ある日の夕方、自転車を借りて一人で商店まで行った帰り、自転車がパンクしたので押して帰っていると、それを見かけた。数十メートルほど先、道の前方に三度笠を被った袈裟服の行者が立っていた。片手にはシャランと音が鳴る、輪が幾つも付いた杖を持っていた。

 しばし立ち止まってその姿を見ていると、それに気付いた。三度笠の影になっているからか、あるいはそういう装いをしているからなのか、その行者の首から上の部分はやけに黒く見えた。夏は日が暮れるのが遅く、辺りはまだ特別暗いわけでもないので、見間違えではなかった。

 こちらが立ち止まっていると、向こうも動かない。向こうは向こうで、立ち尽くして一体何を見ているのであろうか。もしかして全斎の知り合いだろうか。それならば声をかけて確認してみようと思った。追い着いて確認してみようと思い立った。

 自転車を押して自分が歩みを進めるのと同時、その行者も歩みを進め始めた。何ともタイミングが悪い。それは偶然だろうと思い、特に気にせず歩みを進めた。可能な限り早歩きで。

 自転車が使えないのであれば、帰りは遅くなってしまうであろう。山まではまだ大分距離があった。気長に行くしかない。これだけ早く歩いていれば、その内行者にも追い着くだろうと踏んでいた。

 けれどもなかなか追い着けなかった。着かず、離れず、距離は一向に縮まらない。大分汗をかいて来たので、自転車の籠に入れていたペットボトル飲料を取り出して飲んだ。

 そうして立ち止まって休憩していると、ふと、それに気付いた。例の行者もまた、こちらと同様に立ち止まっていた。こちらに背を向けたまま、ただ立ち尽くしていた。

 その瞬間、何かを悟った――悪寒が走った。

 明らかに何かがおかしかった。得体の知れない恐怖を感じ始めていた。肌があわ立ち、体中の神経がピリピリとし始める。

「………………」

 生唾を飲んで、拳で唇の下の汗を拭う。そして、勇気を出して一歩を踏み出した。すると……行者も一歩、全く同じタイミングで足を進めた。

 ――ゾッとした。

 その時だった。左腕の傷が疼いた。鳥子と出会った日以来、一度も来ていなかったはずの痛みが、今改めて訪れた。熱くも冷たさを覚える、全身の神経が張り詰める程に狂おしい痛み。脂汗をかきながら、その部分を押さえながら、目をつぶり、じっと堪えた。

 しばらくして、ようやくその波が引いた頃……恐る恐る顔を上げると、そこには既に行者の姿は無かった。慌てて周辺を見渡すも、どこにもその姿は見当たらなかった。

 行者の姿が消えた事に安堵を覚えると同時、別の予感がした。ふと、あの寺を訪れた次の日に全斎から言われていた事を思い出す。

 ――呪いは何も肉体だけに影響するものだけじゃないんだ。

 次いで、鳥子から電車の中で聞かされていた話も思い出す。

 ――今日まで、わたしの一族は、連綿と呪いを相続し続けて来た。それは原因不明の病や肉体に欠陥を抱えて産まれて来ると言う形、あるいは、“怪異的な不幸”に見舞われると言う形で顕在化した。

“怪異的な不幸”……それはつまり、呪われると身の回りで“怪奇現象”が起こる事もあると言う事なのかもしれない。それに気付き、慌てて自転車に飛び乗った。幾らパンクしているとは言え、こいで進めないわけではなかった。歩くよりは大分マシな速度で進めるはずだ。

 そして、その時になって、ようやくそれに気付いた。自転車に飛び乗った事で、前輪のタイヤに何かが突き立っているのに気付いた。なぜ今までそれに気付かなかったのであろうか。普通ならば、すぐにそれに気付いていたはずだった。

 自転車のタイヤに突き立っていた物、それは黒い鳥の足だった。よくよく見てみれば、それには黒い髪の毛が巻き付けられていた。赤く湿って見えるのは……もしかすれば血なのかもしれなかった。

 ――悪寒が走った。

 それでもその自転車を捨てて行く事は出来なかった。変な物が突き立っているとは言え、貴重な移動手段である事に変わりはない。今は少しでも早く鳥子の元へ帰らねばならなかった。そして、早くこの事を全斎にも伝えねばならない。

 山の下まで全力でこいで進んだ後は、自転車を放棄して駆け上がった。本当なら寺には寄らず、真っ直ぐ鳥子達の元へ向かいたかった。だが、恐らく全斎の助けが必要であるはずだ。否が応にも立ち寄るしかなかった。

 山を駆け上がり、境内へと通じる階段を駆け上がり、赤い鳥居を潜り抜け、白い砂利石が敷き詰められた道を駆け抜ける。寺の離れにある住まいの玄関戸をスライドさせるなり、無断で上がり込んだ。そうすると同時に声を張り上げた。

「――全斎さん! 大変なんです! 早く来て下さい!」

 しばらくして、奥からラフな印象で袈裟服を着崩した全斎が出て来た。右手には箸を。左手にはカップ麺を持っていた。

「ああ? 何だよ、今食事中だっつうの……ったく……色のヤツまた機嫌損ねやがった」

 どうやらまた色からカップ麺を渡されたらしい。今度は何をやらかしたのであろうか。だが、今はそんな事はどうでも良かった。

「さっきおかしな人を見たんです!」

 荒らぐ息を整える間も無く、矢継ぎ早に説明する。

「三度笠を被った行者が、僕の前を一定の間隔を空けて、同じ調子で歩くんです! 距離が全然縮まらなかったんです! そいつはその内姿を眩ませてしまいました。そして、自転車が、よくわからないものにパンクさせられていて、黒い鳥の足に、髪の毛を巻き付けられた物がタイヤに刺さってて……」

 そこまで説明した所で、全斎はあの日、鳥子と三人で話した時と同様の厳しい顔を取り戻していた。

「その三度笠の奴……顔が黒くなかったか? もしそうならそいつは傀儡かもしれん」

「……“くぐつ”?」

 前に漫画か小説で聞いた事のある単語だった。あまり良い意味の言葉ではないと言う事だけは覚えていた。

「“かいらい”と言えばわかるか? 俺や一族の間では“くぐつ”と呼んでいる。傀儡ってのは、人間を材料にした一種の生き人形みたいなもんだ。さっきお前が見たのは恐らく、ついこの間暴走した例の一族達が鳥子に放っていた刺客だろう。お前の前にそいつが現れたのは、お前の呪いを嗅ぎ付けたからだろう。だがお前は鳥子じゃなかったから見逃されたんだ……くそっ! 聞いてねぇぞ……! まさかあいつら、傀儡を追っ手に差し向けていたのか……何日もかけてここまで追って来てたのか!」

 全斎の眉間に皺が浮かんでいた。それはこの男が切れる寸前の兆候だった。傀儡とはかなり厄介な存在なのかもしれない。

「鳥子達は今何処にいる?」

「山の上です」

「ちっ……行くぞ! 道中行きながら説明するから付いて来い! 遅れるなよ!?」

 そう言うと、全斎は草履を履いて玄関から外へと飛び出した。カップ麺と箸は、そのまま家の前に放り捨ててしまう。

「裏道を使うぞ。この家の裏の斜面から向かえば早く着く。急勾配だから気を付けろよ?」

 住まいの裏手に行くと、木々の生い茂った斜面が広がっていた。全斎は迷い無くそこへと突っ込んで行く。自分も負けじと後を追った。

「出来るだけ木の根を踏んで進んで行け。でねぇと土がぬかるんでるから足を取られるぞ」

 全斎の言う通りだった。斜面が急な事もあって、何度も滑りそうになる。言われた通り、木の根を足場にして、飛び移る様にして上を目指した。

「お前が見たのは一人だけか?」

「はい!」

「追っ手が一人だけって事は無いだろうな……そうなると、もう何体かは鳥子達の方に向かってるかもしれん……糞っ!」

 全斎の言う通り、傀儡は一人だけではない可能性の方が高かった。

「この山には鳥子さん以外の一族は入れないんじゃなかったんですか?」

「それはあくまで一族だけの話だ。傀儡は別なんだよ。何故かと言うとな、傀儡は元は一般人である場合もあるからだ。傀儡の材料は呪いのせいで死んだ人間や、呪いのせいで廃人と化した人間なんだよ。一部の一族はそいつらを操り人形として未だに利用している。その材料となるのは、呪いに巻き込まれた一般人である事もある」

 それは驚愕の事実だった。

「それって……違法じゃないんですかっ!? 一族は死者を冒涜してるんですかっ!?」

「それはどう解釈するかにもよるな……――呪いのせいで、死してなお、ゾンビの様に彷徨う存在のままで在り続けるか、せめて管理下に置いてやって、悪さしない様言う事を利く状態にしてやる方がマシかって話になる。この場合は傀儡にしてやる事の方が正しい」

 一族の抱える呪いには、こんなおぞましい一面が隠されていたのか。正直、一生知りたくない類の話だった。

「そして、廃人の場合はだ……いつまでも寝かせておくか、それとも生きた人形の様にしておくかの違いになる。当たり前だが、廃人とは言え生きている事に変わりはない。だから殺すと言う選択肢は無い。それならばせめて面倒を見易い様、傀儡にしてしまう方が管理は楽なんだ」

 どうやら事態は二つの意味で思った以上に深刻な様だった。

 一つ目の意味は、呪いは自分が想像していた以上に恐ろしく、倫理に反する面も持ち合わせていたと言う事。そして二つ目の意味は、今山の上には鳥子と色の二人しかいないと言う事だった。しかも色は呪いが取り分け苦手だ。もし彼女が傀儡に会えば、恐ろしい事になるかもしれない……

「それでも……傀儡にするなんて間違ってます……せめて廃人と化した人だけでも傀儡にはすべきではない……」

 そう言うと、全斎はそれをあっさりと肯定してくれた。

「その通りだ。今の時代の倫理だと、どう考えても間違ってるからな。だから今の時代ではそれを禁止している。一族の間でも、新たに傀儡を作る事は全面的に禁止している。だからお前が見たのは禁止される前に造られた傀儡の一体だろう。絶対とは言い切れんがな……」

 全斎がそう言い終えた所で、そこでようやく茂みから脱出する事が出来た。出た場所は、何となく見覚えのある道だった。恐らくこれは、いつも通っている山道だった。

 全斎は山の上の方を睨め上げ、言った。

「――行くぞっ、呪いは夜に活性化する。傀儡も夜になると途端に動きが俊敏になりやがる。そうなると厄介だ。日が完全に暮れる前にケリを付けるぞ!」

「はい!」

 既に、日が暮れ始めていた……

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