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斑鳩  作者: 雪路 歩
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第二十三章 水色のサマーバケーション13

  第二十三章  水色のサマーバケーション13


 目覚めると、先ずそれが見えた。

 座りながらうたた寝をしている貴方の姿。それを見て、わたしは自然と笑顔になっていた。

 さっきまで見ていた夢の内容は、貴方と出会ってから過ごした数日間の出来事の回想だった。あの夢をまた見てみたい。眠りに就く度、あの夢が見られたのならば、それはどれだけ幸せな事であろうか。

 眠っている間、わたしの手をずっと握り締めてくれていたその手を、一度だけぎゅっとしてから、わたしは再び目を瞑った。

 あの夢からその先の事を思い浮かべ始めた。この山の上で過ごした数日間の出来事を、まどろみの中で思い返していた――


 ――貴方が泣いたあの後、日が暮れてからもわたし達はずっと身を寄せ合っていた。

 泣き疲れたのか、貴方はわたしの膝の上に頭を預けてまどろんでいた。夜風が吹いて来てもそうしていると、やがて色が声を掛けて来た。

「――寒くなって参りました。そろそろ戻られて下さい。そのままでは風邪を引かれてしまいます。食事の方は用意出来ています。御飯の方は先程炊けたばかりです。大根と白菜の味噌汁も今温めている所です。御二人で食べられてて下さい。私は今から魚を調達して来ます」

 色は相変わらずの無表情で、それでも早口にそう言うと、バケツだけ持って背を向けて行ってしまう。それ以上は何も言わず、一人上流の方へ、闇の中へ消えてしまう。

 わたしの膝から顔を上げ、彼が立ち上がる。何も言わず、周囲に散らばっていた荷物を黙々とまとめ始める。

 わたしも釣竿を二本抱え、顔を上げた所で――そこでようやく二人の目が合った。

「………………」

「………………」

 ――無表情だった。しばらくの間を開けてから、やがて、貴方は口を開いた。

「…………鳥子さん。帰ろう」

 その声を聞いて、わたしはほっと胸を撫で下ろしていた。無表情でこそあるものの、その声は穏やかさに満ちていた。その目は、何処か澄んでいた。

「ええ……帰りましょう」

 わたしは笑顔になっていた。そして、彼の近くへと駆け寄っていた。彼はわたしが隣に並ぶまで、その場を動かずにいてくれた。

 わたしは自分からそうしていた。隣に辿り着くなり、その左手を握った。そうすると、彼の方もぎゅっと握り返してくれた。その後はそっと、柔らかく、包み込む様に握り締めてくれた。

「――一匹も釣れなかったね。確か、一匹も釣れない事を“坊主”って言うんだよね?」

 普段通りの貴方に戻っていた。わたしに冗談を言う時の、わたしに笑い掛けてくれる時の、いつもの貴方だった。

「色、釣竿を持たずに行っちゃったけど、大丈夫かな?」

 わたしはクスクスと笑いながら言った。

「ふふ……なら、色も“坊主”かもね。明日は釣れるといいわね……――ヘッ、クシュン!」

 鼻がグスグスと言い始めて来た。急にどうしたのだろうか。

「寒い?」

 彼は怪訝気にこちらの顔を見上げた。そこではっと我に帰る。そういえば、わたしの方が身長は高いのだった。それを思い出した事で、ようやく現実に帰って来た。さっきまで感じていた気だるい空気が、完全に取り払われていた。夢から覚めた心地だった。

 それでも、背は低くとも貴方は貴方だと、よくわからない事をわたしは胸中で呟いていた。

「ううん……全然。それよりお腹減ったわ」

 二人手を繋いだまま、わたし達は野営地まで戻った。


 その後、色は何と魚を大量に持って帰って来た。その際、何故だか巫女服をびしょ濡れにしていた。髪からもぽたぽたと水滴を落としていた。

 釣竿を持たないで行ったのにどうやって捕ったのかと問うと――

「――駄目元で手掴みで捕まえ様としてみましたら行けました」

 そうだったんだ。やっぱりあの時、貴女も内心慌てていたのね……ごめんなさい。


 翌朝。わたしは目覚めてから起き上がる事が出来なかった。

 頭がふら付いて、全身がだるくて、熱を帯びていた。それなのに酷く寒気がした。その内思い出した様に咳き込んで来て、しばらくうずくまっていると、わたしの異変に気付いたのか、彼がテントの前まで駆け寄って来た。

「――鳥子さん、どうしたの? 咳止まらないの? 入るよ? いい? 入るからね?」

 テントを閉じているファスナーを下げて、寝巻き姿のままの彼が姿を現した。寝癖で髪の毛が左右に跳ねたままなのが可愛らしかった。

 わたしが膝を付いて咳き込んでいるのを見て、彼は目を見開いた。どうやら慌てている様だ。それでも行動自体は素早く、とても冷静なものだった。

 貴方はわたしの咳が落ち着くまで背中をずっと擦り続けてくれた。やがて咳が落ち着くと、わたしを横に寝かし直し、その体の上に毛布をかけてくれた。

 そうすると、貴方はわたしの頭の隣に正座した。真下を向いたまま、わたしと目を合わせ様としない。そんな姿を見て、わたしは拍子抜けした様な気持ちになった。今日の彼はやけに弱々しかった。

 すると、貴方は突然頭を下げて来た。

「――ごめん! 僕のせいで風邪引いちゃったんだね! 本当にごめん!」

 そうだ。これはきっと風邪だ。言われてようやくその正体に気付けた。

「四日前から何度もダウンしてたのに……昨日もあんな夜遅くまで無理させちゃって……」

 何故そんなに謝るのだろう。

「貴方のせいじゃないわ。気にしないで。しばらく寝ていれば治るから大丈夫よ――」


 ――鳥子はそう言うが、自分はそれを知っていた。

 鳥子が四日前に新たにその身に刻んだ呪いは、死と虚弱と病弱の呪いだ。死の呪い自体は彼女の不老不死の呪いの御陰で無効化されており、その余波も学校の庭の生物達を犠牲にする事で霧散化されたはずだ。

 残るは虚弱と病弱の呪いだった。こちらは以後、永久的に付き纏う。そうなると、ただの風邪でも鳥子の場合は大事に到る可能性があった。

 人は時として、ただの風邪であっても命を落とす場合があるのだから――


 ――どうして彼がそんなに心配するのか心当たりがあった。昨日彼から教えてもらった話の中で、実の父親が風邪をこじらせて死んだ話を聞いていた。そんなトラウマがあるからこそ、取り分け心配に思えるのだろう。

「お寺に戻してもらおう。鳥子さんだけでも戻してもらおうよ。ね?」

 それは嫌だった。二人一緒じゃなければ嫌だった。それならばここでこうしている方が良かった。わたしは彼に頭を振って言った。

「風邪程度であそこに頼っては駄目よ。それに、もう随分御世話になってしまってるんですもの。これ以上面倒を看てもらうのは嫌よ。昨日の今日で戻れないわ」

「だめ。体が一番大事。これからお寺に行って頼んで来る」

 わたしは溜息を吐いた。こう言う時の彼は取り分け頑固だった。昔経験した数々の痛手から、病の恐ろしさをよく理解していた。恐らく、彼の言う事の方が正しいのだろう。それでも一人になるのは嫌だった。

「嫌よ。わたしを一人にしないで。それに、わたしが風邪を引いたのは貴方のせいだって言うのなら、貴方の力でどうにかするべきじゃないの?」

 それを聞いて彼は俯いてしまう。しばらく両の手でそれぞれの膝を握り締めていたかと思うと、やがて、一度だけコクリと頷いて見せた。

「……わかった。僕が看病する。鳥子さんが元気になるまでそばにいる。でも、お寺にはちゃんと伝えようと思う。そして、薬があれば分けてもらおうと思う」

 貴方は何処までも誠実で、そして慎重だった。後であの男から責められるかもしれないのに、己の非を一切隠し立てしない。彼にはずっとそのままでいてもらいたかった。もう、何も言う事は無かった。

「そこは貴方に任せるわ。好きにしなさい」

 わたしは淡々とそう言った。一昨日、彼の家に電話した時に聞いた、彼の姉の言い方を少しだけ真似て言ってみた積もりだった。言い方によっては突き放す様なセリフにも聞こえてしまうだろうが、その本意はきっと伝わったはずだ。

 だって、わたしは嬉しくてしょうがなくて、話している時も笑うのを抑える事が出来なかったのだから。

「お腹空いたわ。朝御飯はまだ?」

 彼の寝巻きの裾を引っ張って、軽く駄々をこねてみる。

「はいはい、しょうがないなぁ……それじゃあ、大根と白菜の入った雑炊を作って来るね。大人しく待っててね?」

 極自然に、貴方はわたしの額に手を置いて、しばらくそうしてから、やがて立ち上がった。

 今度こそこの場を立ち去ろうとする彼に対し、わたしは思わず言っていた。

「――出入口は開けたままにしておいて。音が聞こえる様にしておいて。景色が見える様にしておいて」

「はいはい、わかりました。そうしておきますからね」

 また苦笑すると、貴方は裸足のままテントから出て行った。どうやら何も履かないでここへ駆け付けて来てくれていた様だ。

「……ありがとう」

 テントの出入口から見える、写真の様に切り取られた景色の中から、貴方の姿は一時的に消えてしまう。しばらくして、貴方は靴を履いて戻って来た。ここからニ十メートル程離れた先にある、昨晩焚き火をした場所で立ち止まった。

 そこは昨日夕飯を食べた場所だった。火を囲んで暖を取った場所だった。

 貴方はそこでてきぱきと作業して行く。わたしはそれをじっと眺める。

 最初に炭の上にぶら下げた中華鍋の中に米を入れる。続けてポリタンクで水を注ぐ。手早く米を洗った後に水を捨て、再び水を注ぐ。そこまで終えると、今度はライターを取り出して新聞紙の切れ端に火を付けた。それを炭の上に置いて、何度も息を吹き掛ける。

 先ずは一番火の通り難い米から火にかけ始めてから、次の作業に移った。その手際は見事なものだった。堂に入っていた。何とも頼もしい。きっと家でも姉の代わりに料理をする事があったのだろう。

 しばらく中華鍋の中身をかき混ぜていたかと思うと、次に包丁を手にした。こちらの方も馴れた手付きで、大根と白菜を手早く一口サイズに切って行く。

 火の勢いが弱まったり、強まったりすると、すぐにそれに気付いて火の調整をし直す。

 手持ち無沙汰になったのか、しばし鍋の中身を見詰めていたかと思うと、ようやく動き始めた。頃合なのか、大根と白菜を鍋の中へと落とし入れた。次いで、砂糖、塩、醤油、最後に味噌の順に入れて、味を調えて行く。

 味噌と醤油をベースにして煮込んだ雑炊の香りが、こちらの方にまで漂って来る。いつもより幾らか食欲が無いのだけれど、それでもお腹がキュウッと鳴いてしまうほど、良い匂いだった。

 後何分すれば出来上がるのだろう。早く出来上がらないだろうか。

 わたしはいつしか自分が病気である事を忘れていた。


 五日後、わたしの風邪は治った。本当なら三日目で治っていたのに、色と二人掛かりで止められた。安静の為に四日目もずっと寝かされた。

 そして五日目。ようやく解放された。

 彼はこの五日間、どの様に過ごしていたのだろうか。後で訊いてみよう――

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