第十七章 水色のサマーバケーション7
第十七章 水色のサマーバケーション7
全斎は自分達二人を見据え、一言一句聞き漏らすなよと言わんばかりに、厳しい口調で語り始めた。
「――ハ鳥はお前を産んだ後、お前の代わりに自分に呪いを“帰して”くれとここに頼って来た。次は巴がハ鳥とお前の負担を減らす為に呪いを“移して”くれとここへ来た。そして、その次はお前がここへ来ると来たか……いいか鳥子、ここの役目はな、呪いを見守る事と、呪いの受け皿となれる人間――本家では確か“贄”とか言われてるんだっけか? そいつが不当な目にあった時に保護する事だ。ここの役割はそれだけだ。お前達の感情のままに、呪いを帰せだの移せだのする場所じゃねぇんだよ」
「――いいから早くしてよ!」
鳥子は立ち上がるなり叫んだ。いつもの、不機嫌そうな素の表情に戻っていた。事実、不機嫌でもあるのだろうが。
「鳥子、お前は歴代の“呪巫女”の中で一番出来が悪い」
「……だから何よ?」
「その歳まで自由に歩き回れた“呪巫女”はお前が初めてだ」
それを聞いて、自然と目を見開いていた。その際、自分が抱いた感情は――全斎の話は続いて行く。
「それもこれも、お前が恵まれているからだ。お前はな、少なくとも二人の人間の犠牲の上に成り立っている人間なんだよ。だからその歳になってもまだ自分の足で自由に動き回れるんだ。それだけ恵まれているお前が、何故ここへ来た?」
鳥子が……恵まれている?
「だから言ってるじゃない! この子の呪いをわたしに移してと言っているのよ!」
「キリが無ぇんだよ馬鹿がっ! そのガキの顔を見てみろっ! お前の体にそれを移した所で、今度はそいつがお前と同じ事を頼んで来るに決まってんだろ!? いつまで帰し合うんだ!? いつまで押し付け合うんだ!? お前達はいつもそうだ! 呪いに感情すら支配されちまってる! 物理的に作用する呪いだけじゃなく、感情すら呪いに執り憑かれちまってるじゃねぇか!」
そこまで聞いて、自分は口を開いていた。目を細め、全斎を見すえ――
「――自分は呪いを帰すだなんて言ってませんよ。それに、鳥子さんが不当な扱いを親戚中から受けているのは事実です。ここへ来るのは当然だ」
睨んだ目付きのまま、全斎はこちらに顔を向けた。
「あ? あのなぁ……ここまで我侭な“呪巫女”を見たのは初めてなんだよ。親子揃って、友人揃って、頻繁に頼られるこっちの身にもなれってんだ! お前、見た所一族の出じゃないな? 詳しく事情を知りもしないくせに口を挟むな。場合によっては記憶を消すぞ」
そんな事も出来るのか。だからって、それが何だって言うんだ?
「――そうやって他人を排除するからいつまでも呪われ続けているんだ! 何も進展しないんだ! 中には呪いをどうにかしようとしてくれた人だっていたはずだ!」
全斎は目をつぶり、頭を振った。
「お前が言っている事は感情論だ。記憶を消さなければ、そうしなければ、呪いに関係無い奴等にまで呪いが広がってしまう事も在り得るんだ。お前、風邪とかインフルエンザの時はどうする? 学校には行かないだろ? そういう時は休んで他人に移さない様にするだろ? 違うか?」
「なら……僕は既にその病にかかっている。それならば鳥子さんの近くにいても構わないはずだ。僕は鳥子さんの力になりたい。だから記憶は消さないで下さい。病人には介護してくれる人が必要です。どんな恐ろしい病気でも、感染する可能性のある病気であっても、それで自分が危険に曝される事になっても、誰かが必ず手を差し伸べ様とするはずだ。母親なら絶対にそうしたいと思うはずです。友達でもそうです。子どもだってそうです……昨日知り合ったばかりの仲であったって、そう思う人はいるはずです……」
全斎はそこまで聞いて、しばしこちらを見据えていたが、やがて溜息を吐いた。
「はぁ…………ったく、昔の奴らなら、もう少し我慢なりなんなりしてたんだよ。坊主、お前みたいにな。それをこいつらは我侭過ぎるんだよ!!!!!」
全斎は拳を畳に叩き付けていた。ドォン!――と、大砲が直撃するかの様な轟音が目前で鳴り響く。叩き付けられた個所は禿げ上がり、焦げ付いていた。それは鳥子だけではなく、一族全体に対しての非難だった。
「呪いってヤツはな、淡々と処理して行くしか無ぇんだよ! 感情を殺して、淡々と受け入れて行くしかねぇものなんだよ! それを今の時代の奴等はすぐに移せ帰せと喚きやがる! 恥ずかしくねぇのか!?」
全斎は再び鳥子に向かって怒鳴り付けた。
その瞬間、そのスイッチが入ってしまった。それを止める事はもう出来なかった。それは先日、電車の中で一族と呪いの話を鳥子から聞いた時から蓄積していたものだった。それが今、爆発した。
「――あんたこそ何言ってんだ!? 昔と今じゃ勝手が違うんだよ! 昔の考えが現代でも通じるわけないだろ!? この情報化社会で! いつまで昔と同じやり方を続けてるんだよ!? だから鳥子さんは一月前に家を飛び出したんだ! もうそのやり方じゃ通用しないんだよ! 同じ事を繰り返しているのはあんたも一族も一緒だ!!!!!」
そう叫び終えると――その場が静まり返っていた。それと同時……ザー―ッと、強く、雨が降り始める音がし始めた。
「よくわかりませんけど……何をそんなに苛立ってるんですか? 何か後悔でもしているんですか?」
自分もたまに昔の事を思い出してしまうから、全斎が何かに苦しんでいるのは、幾らかわかるつもりだった。それは、自分一人ではどうしようもないほどの絶望なのだろう。自分もそういうものを抱えている。それでも――
「それでも――その感情を鳥子さんにぶつけないで下さい。そういうものは、自分でどうにかするしかないんです。その傷も、痛みも、苦しみも……それが自分のものである限り、全部自分でどうにかするしかないんです。人に押し付けられるものなんかではないんです……呪いの……様に」
全斎が先ほど言っていた事は正しかった。鳥子も、一族も、全斎も、皆、呪いと言うしがらみに“呪われていた”。呪いと言うものに“縛られていた”。
「でも、僕達は子どもだ……申し訳ないけれど、どうしようもないほどに子どもだ……親でもどうしようもないものを、更にその親であってすらどうしようもなかったものを、どうして僕達にだけ押し付けるんですか? 大人でも持て余すものを、どうして子どもの僕達が正しく扱えるって言うんですか? 呪いなんてものは誰だって持て余すに決まってるんだ!!!!!」
――雨音が一層強まった。
一分か、二分ほどか。その間、誰も何も言わなかった。
やがて、ポツリと全斎が漏らした。
「………………お前の言う通りだ。お前の言っている事の方が正しい。俺の負けだ。おい、鳥子。良いヤツを見付けたな。後はお前達で話し合えや。そん代わり、ここだけは譲らん――」
全斎は、立ったままうつむいている鳥子を見上げて言った。
「――鳥子、お前はここへ逃げ込んだ積もりではないんだな? こいつの呪いをどうにかしたくてここへ来たんだな? 一族から不当な扱いを受けてここへ来たわけではないんだな?」
鳥子はうつむいたまま、髪で表情を隠したまま、一度だけ頷いた。
それは違う――けれども、鳥子の顔を見て、自分は何も言えなくなった。
「なら……そうである以上はここにお前を置いておく事は出来ん。ここから出て行け。だがな、俺はこれでも僧侶の端くれ“だった”からな。譲歩してやる。雨で行く先も無い者を、保護しない寺なんてありえんからな。明日雨が上がったらすぐに出て行け。行く当てが無いなら、この山の上に行け。湧き水が湧いている場所があるはずだ。その辺りに小さい物置小屋が一つある。その中にある物を使って、自分達の力で生活しろ。そこでしばらく二人で暮らして話し合え。本家とは俺が話を付けておく。毎日色を使いに出す。何かあったら色に言え。以上だ」
次に、全斎はこちらに顔を向けた。
「坊主。お前、家族はいるんだろ?」
「はい」
「お前の事情は知ってるのか? 連絡はしてるのか?」
「いいえ、まだです。知らせてません。呪いにかかっただなんて言っても、どうせ信じませんから、連絡はまだしてません」
「馬鹿やろ。すぐ連絡しろ。でねぇと鳥子にさっきした話は無しだ。鳥子も本家にすぐに送り返す。それが嫌ならすぐに電話しろ。いいな?」
そう言うと、全斎は立ち上がって廊下に出て、すぐに立ち止まった。しばしそうしていたかと思うと、背を向けたまま問いかけて来た。
「――坊主……名は?」
「守野青羽です」
「そうか……鳥子を頼んだぞ」
そう言うと、全斎は薄暗い廊下を進んで行ってしまった。
そして、全斎と入れ替わる様にして、暗闇の中から色が現れた。どうやら、廊下でずっと待機していたらしい。
「――トランプを持って参りました」
色はそう言うと、プラスチックのケースに収められたトランプを白衣の胸元から取り出して見せた。
「鳥子さん。トランプするけど何がいい?」
明日の朝までここに居て良いのなら、せめて今夜だけでも楽しもうと思った。
「……ババ抜き。それと、じじ抜き。あと、七並べと、神経衰弱と、ダウトと、大富豪と――」
それを聞いて、思わず苦笑してしまう。今夜は長い夜になりそうだった。
「そっか……じゃあ、ちょっと電話して来るから待ってて――」
待ってて――とは言ったものの、電話のある場所までは色の案内が必要だったし、この件で一番心配をしていたのは鳥子だったので、二人が付いて来るのは道理だった。
「貴方のお姉さんって怖い人なの?」
「うん。かなり厳しい。悪い事した場合は嘘なんか吐かず、正直にごめんなさいした方がマシなくらい」
「巴とどっちが怖いかしら? 巴に怒られた時は、よくほっぺたをつねり上げられたもの」
「……ぷっ……そ、そうなんだ?」
なんとも微笑ましい話だった。巴と言う人の人物像が、少しばかり変わってしまった。
色は自分の姉の事を話されているのに、一切口を挟んで来なかった。
やがて、そこに着いた。
「こちらです。これがこの寺に二つある電話の内の一つです。もう一つは全斎様の部屋にあります。今後はこれを自由に使われて下さい」
色が白衣の袖を軽く上げて示して見せたのは、廊下の中ほどにポツンと置かれている棚の上にある黒電話だった。それはボタンで番号を打ち込むタイプではなく、回転数字盤で番号を入力するタイプの電話だった。ここ数年でほとんど見なくなったダイヤル式の電話だった。
「懐かしいなぁこれ。それじゃ、ちょっと借ります」
色は電話の前からそっと身を引くと、鳥子の背後へと回り、数歩ほど離れた場所に移動した。
ジーコ……ジーコ……と、根気強く回転数字盤を回して行く。話す内容は考えていなかった。成り行きに身を任せるつもりだった。ニ、三回ほどコールすると、電話はすぐに繋がった。
『――はい。どちら様ですか?』
冷たげに聞こえる姉の第一声だった。
声が震えそうになるのを堪えながら、こちらも第一声を発した。
「――お姉ちゃん?……青羽です」
『青羽? あんた今どこにいるの? 早く帰って来なさい』
姉は声こそ荒らげていないものの、慌ててこそいないものの、淡々としているからこそ怖かった。
「もしかして学校には連絡した?」
『してる。当たり前でしょ。今日中に電話が無ければ警察にもしていた所よ』
「それは……ごめんなさい」
『何か理由があるんでしょ? 言いなさい。あんたに何か言うのはその後よ』
姉は頭ごなしに怒鳴る様な人ではなかった。先ずは必ず弁解を聞いてから判断する人だった。
「昨日学校から電話があったと思うんだけど、話は聞いてる?」
『熱中症だか日射病だかで倒れた人を助けたんでしょ? そこは何も問題無いわよ。それが何? それが何か関係あるの?』
「うん」
『無断外泊するほどの正当な理由がそこにあるわけ? それとも今まで一度も連絡出来ないくらい切羽詰まった状態だったの?』
「それは無い。そこはごめんなさい。正直……連絡したくなかっただけ、家に帰りたくなかったなかっただけ。そこは自分のわがままです。ごめんなさい」
しばらく向こうは黙っていたかと思うと、スパッと切り出して来た。
『――あんた何か隠してるでしょ? 嘘は吐いていないのはわかるけど、重要な事をまだこっちに言ってないでしょ?』
姉は感が鋭かった。さすが、今日まで自分を母親代わりに十年近くも育てて来てくれた人だった。“血は水よりも濃し”ではなく“縁は血よりも濃し”と言うやつであろうか。
その時、自分は自分でも次に何を口にしようとしていたのかわからなかった。それでも口を開いて、何か言葉を発そうとした瞬間――隣に近付いて来ていた鳥子から、受話器をかすめ取られてしまっていた。
「――御電話変わりました。わたくし、灰羽鳥子と申します。先日、本日と引き続き、弟さんに助けて頂いた者です。弟さんには大変御世話になりました。ありがとうございます」
「ちょっと、鳥子さん!」
鳥子は受話器をこちらから遠ざける様にして背を向け、身を屈めてしまった。そこまでされては、無理に取り返そうとは思えなかった。これもまた、成り行きに身を任せるしかなかった。
姉の声は、受話器を直接耳に当てていなくともそれなりに聞こえて来た。
『――あなたが灰羽さんですか? はじめまして。私は守野青羽の姉の、守野紅羽と申します』
「“くれは”さんですね? 御丁寧にどうもありがとうございます。実はわたしのせいで弟さんに今まで御迷惑を掛けてしまいました。本当に申し訳ありません。わたしが体調不良の為、今日までずっと付き添って頂いていたんです。今日も倒れた所を助けて頂きました。御陰様で親戚の元まで無事に辿り着けました。弟さんが付いていなければ、辿り着く事は出来ませんでした。その際、わたしはお金を持ち合わせていなかったので、なおさら青羽さんはわたしを一人にしておく事が出来なかったのだと思います。本当に申し訳ありません」
一息に鳥子がそこまで説明してからしばし空白を空け――紅羽は口を開いた。
『――事情はよくわかりました。先ほど弟が言っていた話とようやく繋がりました。少々お節介過ぎる気もしますが、少なくとも悪い事をしたわけではなかった様で何よりです。外泊の件は不問にしましょう。ただし、昨日連絡を入れなかった点につきましてはきちんとけじめを付けさせます』
「あの、それにつきましては……」
『つきましては? それについても何か?』
「それもわたしのせいですので……どうか――」
それは半分その通りで、半分は違った。
「お姉ちゃん、鳥子さんは家に連絡を入れる様に言ってくれた。でもそうしなかったのは自分のせいだから」
聞こえたかどうかはわからないが、自分はそう言っていた。
『――弟はああ言っていますが?』
どうやらちゃんと聞こえた様だ。
「それでも……わたしのせいです。どうか叱らないでやって下さい」
『…………そうですか。考えておきます。それでは、また弟と変わって下さい』
鳥子はそれを聞いて、力無く受話器をだらりと下げた。今度は自分がそれを取り上げた。
「――変わりました」
『明日には帰って来られるの?』
「帰れない、大事な用事があるから」
『ふざけなさんな。夏期講習だってあるじゃない。行くって言ったのはあんたでしょ? お金を無駄にする気?』
「それよりもこっちの方が大事だから」
『また何かあんたは抱え込もうとしているでしょ? お節介が過ぎるのもいい加減にしなさいといつも言っているでしょ。あんたは昔から――』
いつもの小言が始まりそうだったので、自分はそれを最後まで聞く様な事はしなかった。
「――それでも帰らないから。夏休みが終わるまでには必ず帰ります。だから……ごめんなさい」
『――そう……なら勝手にしなさい』
すると、電話は向こうから切られてしまった。あの口調と態度を見るに、今までで一番怒っているのは確かだった。
受話器をカチャンと置いて振り返ると、鳥子と色が向かい合って、廊下にうつむいたまま立っていた。まるで、二人して反省しているかの様に見えた。
「……二人ともどうしたの?」
「………………」
「………………」
声をかけても、二人とも何も言わない。
「家の姉はさ、感情的に話す人だから。気にしなくていいよ。怒る時はいつもああいう感じだから」
こちらの言う事は聞きもせず、二人は会話を始める。
「――色はどう思う?」
「――青羽様は楽観的過ぎると思われます」
二人は同時にこちらに向き直って言った。
「あんな怖い人によくあんな事言えたわね、呆れたわ……」
「後でもう一度御電話なさった方がよろしいかと思われます」
「ははっ! 二人とも大げさだなぁ。いつもああいう感じだから気にしないでいいよ」
そう思わないと、自分でも内心やり切れないと思っていたのは秘密だ。