母はいずこへ?
「ただいま」
辰雄からの留守電があった翌日、桜と冬彦が約二週間ぶりに家に戻って来た。しかし、小秋は仕事で家にはいなかった。そのことを三人は全く知らない…。
「ただいま! 母さん…、母さん…」
再び、桜と冬彦が大きな声を張り上げる。しかし、小秋は家にいないので、誰も返事しない。辰雄は何事もなかったかのように、玄関から家に入って行く。二人の子ども達もそれに続いた。
「どうやら、母さんはいないみたいだね」
桜がリビングに入るなり言った。冬彦も渋々頷いた。辰雄は福岡から帰って来てホッとしたのか、リビングソファにそのまま寝転がって深々と腰を沈めた。
「長旅で疲れただろう? 一休みしたらどうだ?」
辰雄は桜と冬彦に両脇のソファで一休みするように進めたが、子ども達は荷物を片付けるためにそのまま二階へと上がっていった。子どもは元気でいいな…と思った辰雄であったが、ふと小秋がいないことが気になった。
もしかして、また東北の実家に帰ったのか? まさか…。そんなことはないよな…。ただ、前日にこちらから電話したのに、一切何の音沙汰がない。そのことが辰雄を不安にさせる。
桜は二週間ぶりに自分の部屋に入った。そして、夏休み初日、泣きそうになりながら、必死の思いで家出をした意味があったのか、入道雲を見ながら考えた。父は明らかに嘘をついている。
母と仲直りなんかしていない…と子どもながらに感じた。どうして、桜と冬彦が戻って来ることが分かっていながら、母は待っていてくれないのか?
どうして、昨日、父が電話してから、電話を返してこないのか…。冬彦と二人で家出したことは全てが無駄だったんじゃないかとさえ感じた。伯母や伯父、二人の従姉妹にもいろいろ協力してもらったのに…。全く意味がなかったなんて…。そんなはずはないと、桜は首を強く振って、不安を振り払う。
冬彦も約二週間ぶりに自分の部屋に入ったが、なぜかむなしかった。この家は真夏なのに、とても冷たく感じられた。ゆり一家の家にはいつも誰かがいた。いつも心地よかった。それがこの家にはない。
ふと、母の部屋が気になった。理由はないけど、無性に気になった。それで、荷物の整理を全くすることなく、母の部屋をのぞきに行く。おそるおそるドアを開けると、そこには何もなかった…。
「何じゃこりゃ!」
彼は驚きのあまり、叫んでしまった。ここは確かに母の部屋だったのに…。全て一切の家財道具が消えてなくなっていた。それは冬彦が家出する前に見た部屋とは全く別の部屋のようだった。
「ちょっと、冬彦、どうしたのよ…。『何じゃこりゃ!』って叫んでいいのは、銃でお腹を撃たれた時だけだって、父さんが言っているでしょう」
冬彦の叫び声を聞いて、桜が母の部屋にやって来た。そして、父の口癖を面白おかしく真似をした。『何じゃこりゃ!』は父の好きな刑事ドラマの名台詞の一つということを二人とも子どもながらに知っている。
「姉ちゃん、母さんの部屋が…なくなった」
「何、変なことを言っているの? 部屋が無くなる訳がないでしょう?」
「違うよ。部屋の中にあったものが、全て無くなっているから!」
「えっ? ……。何じゃこりゃ!」
桜も母の部屋を見て、弟と同じことを叫んだ。確かに『何じゃこりゃ』である。桜は思わず、目をゴシゴシこすった。そして、再び母の部屋を見る。やはり、何もない…。
リビングのソファでくつろいでいた辰雄は、二階で子ども達が騒ぐのが気になった。そこで、重い腰を上げて様子を見に行くことにした。
「おい、二人とも、さっきからどうしたんだよ。『何じゃこりゃ!』って叫んでいいのは…」
「父さん、ちょっとこれを見てよ…」
桜が父の言葉を遮って、小秋の部屋のドアを開けてみせた。それを見て、辰雄は言葉を失った。もはや、『何じゃこりゃ!』の騒ぎでは済まされない。家にいる三人の知らない何かが動き出しているとしか言いようがない。
辰雄は小秋がもう二度とこの家に戻って来ないのではないか…と不安さえ感じた。今まで、そんなことを一度も感じたことなかったのに…。
辰雄は、小秋が離婚した後もずっとこの家に住み続けるだろうと思っていた。あいつ、長年続けている幼稚園の先生の仕事を辞めて、東北の実家に帰るのか? 小秋が何をしているのか、ここにいる三人は誰も分からずにいた…。




