置いてけぼりの冬彦(2)
「冬彦、何か食べたいものあるか?」
辰雄は何事もなかったかのように、冬彦に尋ねて来た。まるで今までのやり取りがなかったかのように、病人の世話をしようとしていた。冬彦は食欲がなかったので、首をふった。
「何も食べたくないのか?」
「うん」
「そりゃ、いかんな…。とりあえず、おかゆを作ってあげるから、食べられるだけでも食べないと…」
そう言うと、父は階段を軽やかに降りて行く。さっきの母の足音とは比べ物にならないほど静かだった。それからしばらくして、辰雄はおかゆを持って二階に戻って来た。
実はお父さんは悪くないんじゃないか…。お母さんがお父さんを勝手に悪く言っているだけで、本当はお母さんの方が悪いんじゃないかな…。冬彦にはそう思えた。
冬彦は食べられるだけのおかゆを食べた。小さなお椀に半分ほど入ったおかゆを何とか食べ終わり、父は息子にゆっくり休むように言い聞かせた。冬彦はそのまま横になり、すぐに眠りに落ちた。
だって、お父さんはこんなに優しいんだ。仕事が忙しくて、たまたま一週間ほど帰って来られなかっただけなんだ。だって、僕が熱を出したら、飛んで帰って来たじゃないか…。お母さんは僕を置いて、じいちゃんとばあちゃんの所へ行ってしまったじゃないか…。
昼過ぎに冬彦の体温を測ると、熱が上がっていた。熱が三九度台まで上がり、それを見て辰雄はただうろたえるだけだった。
この年は約四〇年ぶりに新型のインフルエンザが流行していることもあり、辰雄は冬彦をそのまま病院に連れて行くことにした。
病院に連れて行くと、冬彦は新型の疑いがあると医者にいわれ、タミフルを処方してもらった。そして、帰ってからタミフルを飲ませてから、また寝かした。
辰雄はただ自分の無力さをのろった。今まで、子どものことをひたすら妻・小秋に任せっぱなしで、辰雄は全く関与してなかった。風邪なんか寝かしておけば治ると思っていたのに…。
子どもは大人と違って、抵抗力が弱いからそうもいかない。タミフルを飲ませたのに、熱がなかなか下がらない。冬彦は汗をたくさんかいていた。こんな時は起こしてでも着替えさせるべきなのか?
こんな時、小秋はどうしているのだろうか。妻は夫を見限って、実家に帰ってしまった。別に辰雄が見捨てられるのは仕方がない。それは辰雄が悪いからだ。
しかし、冬彦は何も悪くないのだ。二人の争いのせいで、置き去りにされた病気の冬彦…。大人の身勝手に振り回されるのは、いつも無力な子どもであった。
そんなこと、子どもの頃に嫌と言うほど味わって来たのに…。何をやっているんだか…。辰雄は天井を見上げて、悪態をついた。
ああ、天罰が下ったのかな…。それなら、冬彦の身にではなく、辰雄自身の身に起こって欲しかった。苦しんでいる息子の姿なんか見たくない…。代われるものなら、すぐにでも代わってあげたかった。
父親と言うのはこんなにも無力なのか…。いや、父親が無力な訳ではない。辰雄が無力なのだ。ああ、どうしたらいいんだ…。