一章 饅頭怖い 其の4
ぼくが住む家は一戸建てだ。灰色のさいころみたいな外観。
「ただいま」扉を開ける。玄関に妹の靴がなかった、珍しい。ちぃは基本、外出したがらないのだ。妹の成長に感嘆しながら居間に入る。テーブルの上にメモが置いてあった。
『外付けHDDを買ってきまーす。 By ちぃ』
……HDDって何? ・変態・溺没・デストロイヤー。セクハラ行為をした輩に水攻めで死ぬほど苦しい目に遭わせる機械。定価三万円。
額の玉汗を袖で拭う。ま、まさか。
少女をソファにそっと寝かせた。一息ついて腕の乳酸を除去する。休息をとりたかったが、まだする事が沢山あった。
換気のされていない部屋で悪臭が猛威をふるっていた。淑女に対して失礼だが描写させてもらう。牧場。牛の(自主規制)を至近距離で嗅いだ感じ。絶望系のスメル。鼻が曲がる? そんな生ぬるいもんじゃない。自ら鼻を折りたくなる、が正解だ。
緊急処置として居間の窓という窓を全開にする。残念ながら四割しか減少しなかった。家具に悪臭が移ったらここを封印の間にして閉鎖するかもしれない。君ぃ恩を仇で返すつもりかね?
彼女は運ぶ途中で力尽きて気絶した。取り敢えず清潔になってもらうためにこの子を起こそう。健全な青少年が少女の身体を拭くなんて十八禁モノだ。想像しただけで鼻血がたれる。居酒屋の店員じゃなくても「喜んでー」な状況だが自重しろ。せめてちぃがいてくれたら仕事を押しつけれるのに。
彼女に覆いかぶさるように覗き込む体勢をとる。可愛いのー。きれいになればなおさらだ。なぜなら、垢抜けているから。おあとがよろしいようで。
少女の頬にビンタするのは忍びないけど連続で三、四発叩く。勿論手加減している。「う……」起きない。
ビンタを少し強くしてもう一回。「ぅ……ん……」起きない。
さらに強くする。「うー……」起きない。
あれ? 楽しくなってきた。リズミカルに叩く。「んぅ……」起きない。
目的を忘れて遊び惚けていた。人間、それも女子を玩具にするとはけしからん。
頬を指でつつく。「むに」脇下をくすぐると身をよじって逃げた。
いけない世界のドアに手をかけていた。理性がこの馬鹿を止めてくれと号泣してたけど気にするな。外から「あれえ、窓が開いてる」と聞こえた。気にしない。
鼻を摘む。「ぐがっ」ふふふ。実に面白い。
「ただいまっ! 兄じy……」
庭へと繋がるガラス製のスライドドアから愛しの妹が現れた。顔面に笑顔をはりつけたまま固まっている。
ぼくは金髪少女の鼻を摘んだ格好で我に返った。やばい、修羅場だ。
ちぃの口がわななく。黒のツインテールを揺らして憤怒している。視線が肌に刺さって痛い。そりゃそうだ。家に帰ったら兄が見知らぬ女に悪戯してるんだから。
「兄者、これはどういう――」
「すみませんっしたぁっ! これには深い事情があるんです!」
即座に土下座する。兄の威厳など犬にでもくれてやる。
「だから、溺死だけは勘弁してくださいっ!」
ちぃは大切そうに紙袋を抱えているが中身は例のブツが入っている。このままでは変態溺没デストロイをされる。
「溺死て。ちぃは殺人鬼じゃないんだけど」
ぼくの卑屈さに目を瞬かせて戸惑っている。よし、好機到来。一気にたたみかける。
「事情は後で話すからまずはぼくの指示に従ってくれ」
「で、でも」納得しきっていない様子。ならば奥の手だ。
「もし言う事をきいてくれたら一つだけ願いを叶えてあげよう」
「うん! 分かった!」
ちぃは目を輝かせる。現金な奴だな。両手をグーにして今か今かとぼくの指示を待っていた。
「この子の身体を濡れたタオルで清潔にしてあげて。ぼくは二階にいるから終わったら声をかけて」
ラジャー、と敬礼をされた。
「においがきついけどファイトだ、智波留中尉。健闘を祈る」
敬礼を返して居間を出る。新鮮な空気がうまい。
重たい足を引きずって階段を上る。先程から頭痛がする。脳の過負荷だ。色々と頑張り過ぎた。当社比三倍。無気力キャラなのに調子が狂うな。柄じゃないことはするもんじゃないと自嘲する。
手すりに掴まっていないと平衡感覚が崩れて落下してしまいそうだ。歩き方を忘れた人のようにおぼつかない足取りになった。
もう限界。最後の一段を踏み越えて力尽きる。その場に倒れこむ。床がひんやりしていて熱を奪っていく。頭の痛みも奪ってくれないだろうか。
寝返りを打つ。立つ余力がなかったのでここで天井のしみを数えて暇をつぶす。
数分後、ちぃが軽快に階段を上がってきた。
「兄者、あの人着替えさせ……何してるの?」
ちぃがぼくの視界に映る。
「熊に遭遇した場合の対処法の開発中だ。その名も『死んだフリをしながら目を合わせながら後退する』!」
足を尺取り虫のように使って実演する。
「うん、病院に行く?」
頭の心配をされてしまった。