一章 饅頭怖い 其の1
物語の本腰が入るのは二章の中間らへんです。御了承下さい。……それまでは日常をお楽しみください。楽しんでくれているのならですが。
夕焼けが綺麗な日曜日。
「ステーキすてーき、超すてきー」
ぼくは夕飯の材料を買ってスーパーから帰っていた。
セールで国産黒毛和牛が破格のスペシャルプライスだったため珍しくテンションが高い。山崎さん家の秋のパン祭りもシールが応募枚数貯まったことだし。幸福指数がメーターの針を振り切っていた。
片手にぶら下がるマイエコバックは卵も入っているのにぶん回していた。割れたらどうするつもりだ、という叱咤は一切ない。
リオのカーニバルに飛び入り参加して一緒にサンバを踊りたい。真っ裸で南極一周したい。ハブ対マングース対ぼくをしたい。
そうか。こんなにハイなのは薬をキメたせいだ。
「んな訳ねーだろーが!」
自分でつまらないノリツッコミをする程の上機嫌。
我ながら浮かれていた。反省している。他人からすればただのイタい人だ。未来の自分が見たら間違いなく悶死する。それ位みっともなかった。
慣れないスキップをして転びそうになるが、ゲラゲラ腹を抱えて笑いたくなる程、愉快だった。
いや、テンション高すぎるだろ、と思うが感情をあまり表に出さないCOOLな主義なので騒ぐときは精根尽き果てるまで騒ぐのだ。つまりただの馬鹿。……自分で言って何だかヘコんだ。おかでさまで正気を取り戻すことができた。
帰り道も丁度半分を過ぎる頃。空がぼく好みの幻想的な青や赤、橙色に入り乱れて染まる時刻。
饅頭の登場はまさに不意打ちだった。
ん?何だあれは?
まだハイテンな(ハイテンションの略語。今作った)ぼくは妙な物体を目撃した。顔面に冷水をぶっかけられた気分にになった。テンション通常運行に戻りました。
自動車が走る大通り。通行人の迷惑や驚嘆などを華麗に受け流して。
それは建物と建物の僅かな隙間の狭くごみで汚染された通路を封鎖するように陣取っている。異様な存在感に眼球を見張った。
縦横高さ約一メートルで饅頭に似た形。色は灰色に近いが砂や埃が付着している所為でベージュ色に変色しつつある。ふわふわと柔らかそう。頬ずりしたら天国に召される幸福感を味わえるだろう。
汚いから脅迫されても清水寺から飛び降りる思いで拒否するが。
堂々と置かれている事が目を引く一因になっている。
買い物帰りらしき恰幅の良い主婦はそれに啞然とするが露骨に視線を外し足早に立ち去った。賢明な判断だ。
地元の野球チームの帽子をあみだかぶりして杖を突く腰の曲がった爺さんは危うく杖を落としそうになっていた。大丈夫ですか? と、声をかけたかったが野球よりサッカーの方が好きなのでやめておいた。
「…………」
どうしよ。さっさと自宅に帰還するか観察を決行するか。一瞬悩んだが後者を選択する。面倒より好奇心が勝った。保冷パックを装備しているから牛肉が傷むことはないだろう。
身元も正体も不明な物体をじっくり舐めるように観察したくなる心情。
この心情は道端に置かれている粗大ゴミに近づいて眺めたくなる衝動に似ている。ゴミ回収車の運転手の資質があるのかもしれない。全然嬉しくない。せめてゴミ焼却場の職員にしてほしい。
ゆっくりと接近する。足音を最小限に抑えて饅頭を警戒する。恐る恐る饅頭の二メートル圏内に侵入した。
微動だにしないその姿は威風堂々そのものだった。二年前からここに居ました的な態度には感服するしかない。
でも、苦情を言わせて。一言で、
く さ い 。
二言で、
臭い、ここは魔界か。
泥沼の泥水から悪臭成分を抽出して混入させているかと疑う程の臭気が嗅覚細胞を突く。鼻に舌があったら劈く断末魔を拝聴できることだろう。これを製作した和菓子職人の腕前と脳味噌を心配したくなる。ギネスに挑戦したいのだろうか。饅頭の大きさと悪臭で。これを無駄の産物という。
とりあえず空いた左手で鼻の穴を摘まんだ。悲しいかな、気休めにしかならなかった。
饅頭の皮は継ぎ接ぎだらけのぼろ布だった。当然ながら食べ物ではなかった。比喩なのであった。比喩を知らない輩は頭が腐っている可能性があるのであった。
表面は布団? で覆われているのか? 素手で触って確かめるのは躊躇われる。
もし接触を図ろうとしても周りに小蠅が集っているので容易に近づけない。小蠅の群れの一部がこちらに来る。思わず眉を顰めた。こっちに来るな。迎撃したいけれど左手は鼻、右手は食材の入った手提げ。
失念していた。早く家に帰って夕飯の支度をしなければならない。妹が腹をすかせて待っている。
ぼろい饅頭に興味を寄せる理由がなくなったので再び歩き出そうとした。
もぞ。
「っ!」
……錯覚か? ぼろ饅頭が僅かに揺れ動いた気が。首だけ後方へねじ曲げる。
吐き気を催す光景だった。
もぞもぞ。ごそごそ。
奇怪に饅頭が動いている。まるでSF映画のエイリアンが孵化する直前のシーンを眺めているようだった。
膝ががくがく小刻みに震える。おいおい、中から侵略者が現れるんじゃないだろうな。
にょき。
饅頭から細くて今にも折れそうな弱々しい青白の腕が一本生えた。
…………。
ワンテンポ遅れて脳が状況を把握した。
「ひぃぃぃぃぃ!」と素っ頓狂な悲鳴が聞こえた。五月蠅い、誰だと思ったら自分の悲鳴だった。腰が抜けて尻と手とバックをごつごつとした舗装に落下させる。手の皮を擦り剝いたかもしれないけど恐怖で感覚が麻痺していて痛くはなかった。
乱れた呼吸を整えて深く息を吸う。吐く。叫ぶ準備は万端だ。
……饅頭でも布団でもなくて、
「人間じゃねぇかぁぁぁっ!!」
道行く人が鬱陶しそうにしていたが饅頭怪人を見た途端に、ご苦労さん、と、言いたげな生温かい視線をぼくに投げかけてくる。助けてくれる親切な人は一名もいなかった。人情味の薄い土地柄に憤慨した。
これの餡子部分はホームレスなのか? 中からサンタクロース風の髭を生やした年齢不詳のおっさんが這い出て「坊や、軽蔑はいけないよ。私たちだって社会に貢献しているんだよ」ってホームレスの事情を延々と説いたりするのか? それともあの腕に捕まったら中に引き摺りこまれてぼくも饅頭人間にメタモルフォーゼしてしまうのか? 絶対嫌だ。
とにかく脳内パニック。
四つ這いになりかけながら一目散に逃げ出した。一度も振り返らずに自宅へまっしぐら。帰って自室に直行、およそ十分間閉じこもった。妹がぼくの挙動不審な行動に目を丸くしていた。
指で数えたら両手足を二本追加する必要のあるトラウマに饅頭が加わった。
コメディー違うよ、ホラーだよ。
余談だけど、マイエコバックの中身が割れた卵まみれになっていた。