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プロローグ

 少年が眼前にいた。

 少年は『ぼく』だ。

 『ぼく』が眼前にいた。

 正真正銘の『ぼく』だ。

 それは矛盾しているようで、していなかった。安っぽい仕掛けの上に成り立つトリック。



 少年は真紅に染まったサバイバルナイフを持って口を半開きにしながら、樹のうろのような目でボクを見据えている。いや、ボクを見ているかも怪しい。果たしてその瞳にボクは映っているのか。


 ――彼はぼくだ。

 ――ボクは彼?


 少年の傍には紅いワンピースを着た綺麗な少女が横たわっている。


 よく手入れされたサラサラな長い金髪は灰色の冷えた地面へ扇状に広がっている。

 その容姿は美しさと凛々しさの両方を保有する月そのものだった。

 上手く着こなせていないことから、このような女の子らしい服は着慣れていないのだろう。だが、彼女なりに精一杯お洒落したことが伝わってくる。


 彼女は死んでいた。

 本来は純白のワンピースだったのが今は赤。彼女を中心に血溜まりができている。

 出血量が致死量を優に超えていて素人でも一目瞭然だ。


 目蓋を下ろした彼女は血さえ無ければ眠ってるだけに見える。余りにも穏やかな表情の死体だ。

 手を伸ばせば彼女に触れることができるだろうか。歩けば数歩程度の距離なのにボクには酷く遠く感じる。


 空は灰色の雲に覆われて静かに雨を降らせている。

 普段は大勢の人々で賑わう駅前にはボクらしかいない。

 ボクと『ぼく』と彼女の『二人』っきり。


 どうしてボクらしかいないのだろう。答えが分かったとしても意味はないけれど。

 それより雨の所為で身体が凍えそうだ。骨までしみる寒さで指を一本動かすことさえままならない。冬じゃないのに吐息が白に変化する。


 寒さを紛らわすために彼を観察しようと思った。

 自分が一番知っている顔。黒い癖毛に、やる気が微塵も感じられない無気力な目。白と黒を主としたカジュアルな服装。

 毎日のように見てきた。鏡を覗き込んでいるみたいで薄気味悪い。不自然にきれいな服がそれに拍車をかけている。


 ただ唯一、異なる点は少年からは狂気が滲み出ていることだ。外観は大して変わらないが彼の周囲だけが異質な雰囲気に包まれている。


 ――彼はボクじゃない。

 ――じゃあ、彼は誰なんだ?


 彼が深手を負っているとおぼしき足を引き摺ってゆっくりと、ゆっくりとボクに歩み寄る。一歩進む毎に鋭利なナイフから滴る血の音が鮮明に聞こえる。


 ボクは彼が近づいてくるのをぼんやりと待つ。

 ボクは彼女を殺害したナイフで殺される。


 怖くない、と言ったら嘘になる。心底怖い。

 けれど逃げようとは思わなかった。身体が思い通りに動かせないし、少年に殺されなければならないくらいの重たい罪を犯した気がしたから。


 自分に殺されるのって自殺に入るのかなと、ふと考えた自分に失笑した。もっとマシな事を考えてくれよな、ボク。彼の靴の音がぴたりと止んだ。


 「××のくせに」

 少年が目の前で何かを呟いたがノイズに掻き消されて聞き取れない。少年の声に怒りと悲しみが宿っているのを辛うじて理解する。でも何故、彼が怒っているか理解できない。


 この時初めて少年が涙を流しているのに気付く。鼻を啜らずただ静かに涙をコンクリートに落としていた。空の雫に隠れて区別がつきにくい。


 『ぼく』が狂っているのか正気なのか、どちらなのだろう。思案に暮れるけど途中で止めた。寒さで思考回路が鈍っている。もう殺されるのだから別に支障はない。

 『ぼく』が厳粛にナイフを振りかざす。まるで生贄を用いた邪教の儀式を行っているみたいだ。


 ボクは視界の隅にある物を捉えた。

 「……ッ!」


 ボクは右手に少年の刃物より一・五倍長いファイティングナイフを握っていた。


 「ウ……ソ、だ……」

 慌てて服を確認する。服もナイフも真っ赤だ。


 頭の中は真っ白。目の前は真っ黒。


 なら金髪の少女はボクが刺殺したのか? それとも『ぼく』か?

 意識が混沌に支配されて精神が錯乱する。


 ボクというボクはボクにボクのボクはボクでボクとボクもボクをボクしてボクなボクかボクやボクへボクからボクまでボクよりボクであるからボクなどボクさせボクのためボクするとボクだからボクらしくボクられてボク――思い出した。


 正確には、この悪夢の原因に心当たりがある。


 「ぁあ…………、あぁあ……ぅうわぁぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁああああああ!!」

 ボクの悲鳴などお構いなしに彼のナイフは、ずぶずぶと肉を切り裂いてボクの心臓へ吸い込まれていく。痛点が存在しないかのように痛みは無かった。

 自我が途切れて全てが闇に還る。



 寂れた駅前。びしょ濡れで棒立ちの少年は刺されて倒れたもう一人の自分を見下ろしている。浴びた返り血と涙を手の甲で拭って必死に呟いている。

 自分に言い聞かせるかのように。誰かに赦しを乞うかのように。

 「ぼくの所為じゃない」

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