第2章
森の中で風を切って駆ける人影があった。
時織の兄である時魂が組織し、頭領を務める魂組の一団である。
「ごめんなさい、時魂ちゃん。私たちに合わせてもらって……」
「気にしなくていいよ、こさじちゃん。若手の育成は若手頭領の仕事だからね。でも、他のみんなは先に行っちゃたからね。もうちょっと急ぐよ?」
「はい」
一団は時魂を先頭に、時織、こさじ、煎慈、そして時織と時魂の弟の時傍の五人。「風を切っている」という事からも、彼らが未熟であることが分かる。時魂言う所『他のみんな』など、ある程度実力のある忍者であれば、「風が、切られた事にも気付かない」程の速度で移動する。本来であれば時魂はそういう速度で移動できるのだが、若手育成の為、時織達に合わせている。
ここで読者諸君に魂組、および桜庭の里においての「組」について説明しておきたい。本篇を中断してしまうがそう長い話ではないのでご容赦頂きたい。
桜庭の里では、二十歳を超え、実力と資質ありと判断されたものは、自らを頭領とした「組」を組織することが許される。しかし、許された所で、その組の一員を募るのは頭領自身であり、無理に組員を入れる事は出来ない。本人の求心力が無ければ頭領一人だけの「組」になってしまう事も有り得るのだ。勿論、「組」に入れて欲しいというものを拒む権利も頭領は持っている。
さて、桜庭の里にはこうした「組」が大小何十組と存在する。そして、里に来た依頼はこの「組」単位で受ける事になる。依頼の難度や重要度によってそれぞれの「組」依頼が割り振られる。難しい重要な依頼は経験豊富な者達で組織された「組」に、簡単で重要度の低いような仕事は、若手中心の「組」に回される事となる。
こうして若手は少しずつ経験を積み、徐々に難しい依頼をこなしていくようになる。難しい依頼を成功させていく事で、里の中での発言力も上がり、最終的には里長を中心とした頭領会議の出席も許されるようになる。|(大江戸城から戻った時織を呼び出し、取り囲んでいたのがこの頭領達である。)
頭領は自分の組織した「組」の頭に漢字一字を掲げる。若き頭領である時魂は自分の名前から一字を取り「魂組」と称している。
若干二十四歳の時魂が自らの「組」を組織し、組員も揃えられているのは時魂の優秀さの賜物と言える。時魂は里の同年代の忍者の他に、弟やその仲間の煎慈達も経験を積ませるために魂組に入れている|(頭領になるのは年齢制限があるが、入ること自体に年齢制限は無い)。
つまり、時魂の言う「他のみんな」とは、時魂の同年代連中であり、時織達よりよほど力を持った者達である。
桜庭の里における「組」についての概略説明を終えた所で、話を少し戻し過ぎようと思う。
時織達が森の中で風を切る少し前、時魂が自室で依頼の内容を伝えていた。
「久しぶりに仕事だ。時織は余計な力が余ってるみたいだから遮二無二ね」
「仕事はいいけど、力の入れようは内容次第」
「うん、今回は城の内部調査です」
「っだ~、地味だぁ。残念ながら力は入らねぇわ」
「ちなみに競合依頼です」
「お、って事は?」
「身を乗り出したとこ悪いけど、時織は実働班ね」
「だぁ~……」そう言いながら時織は大の字に寝転んでしまった。
ちなみに「競合依頼」とは、依頼形態の一つである。お抱えの忍びがいない大名などが忍びに依頼する時によく使う方法で、複数の忍びの里に依頼をし、受ける所はその旨を返答し、任務に取りかかる。依頼主は一番先に成果を上げた里に報酬を支払う。
依頼主側としても、複数の里に依頼する事で依頼の成功率を高める事が出来るし、依頼を受ける里側としても、この手の依頼は依頼主側としても「成功すればいいなぁ」程度の重要度の為、どの里も若手育成の場として重宝している。それにここで成果を上げる事で正式にお抱えとしてもらえるかもしれないという裏もある。
そして競合依頼の場合、実働班と、妨害班に分かれる。実働班は、依頼を実際に遂行し、妨害班は競合している他の班が依頼を遂行しようとするのを妨害する班である。妨害班は他の里の忍者と実際に戦う為、時織はそちらをやりたかったのだ。
「妨害班は今回は俺たちがやる。時織達はしっかり任務を遂行するんだ。わかったね?」
「はい!」
時織以外の組員はしっかりと返事をした。
「あ、忘れてた。煎慈君は妨害班に協力してね」
「あ~、やっぱりですね」
「やっぱり煎慈ちゃんの『生き移し』は妨害向きだよね」
煎慈は他の生き物に乗り移る「忍法生き移し」が使えた。これによって、鳥に乗り移り、上空から他の里の忍者の動向を探れる為、煎慈は妨害班に回る事が多かった。勿論、大江戸城の帰りの犬も煎慈が乗り移った犬である。
「ちなみに競合している里ってどこだか分かっってんの?」
それまで黙っていた時魂世代の一人が聞いた。
「今のところ情報が入ってるのは藤の里だけかな。多分他にもいると思うけど」
「なるほど、了解」
「なんだよ、また藤の連中かよ」
「そう言うな時織。向こうだって同じこと言ってるよ」
桜庭の里と藤の里は同じ信濃にある里である。その為、何かと対立する関係にあり、競合依頼でもよく競合しており、必然、お互い顔見知りも多かった。
「煎慈! 藤の里の連中を中心に、てかそれ以外は無視していいから全精力を注いで藤の連中を妨害してやれ!」
「煎慈君、時織の世迷い言には一切耳を貸さないようにね?」
「言われるまでも無くです」
「こさじ~、二人が苛めるよ~」
「ごめんね時織ちゃん。私もいじめっ子側に賛成かな」
「さ、今回標的の城は武蔵の国の帆机城だ。すぐ出発。はい!」
そう言って時魂がパンと手を鳴らした。、手を打った音の余韻が消える前に既に全員が部屋を出ていた。
山と森を抜けた時織達の目の前に、今回の任務の標的となる武蔵の国・帆机城が姿を現した。
「あれが今回内部調査をする帆机城。見た目こそそんなに大きくないが、武蔵の国の重要な港を管理していて、支城も多い。ここを落とせば領地を広げる以上に意味があるって事だな」
「そう言って依頼してきたって事か?」
「いや、そうは言って来ないさ。単純にこの城の内部調査を依頼してきただけだ。そこから逆算して考えれば、まぁそんなとこだろうなって」
「なんにしても、私たちは依頼をこなせばいいって事だよね」
「そういうこと。忍びなら余計な事は考えずに任務に集中するのが大事」
「余計な事を言い出したのは兄貴だけどね」
「さ、ここらで、別れようか。時織と時傍、こさじちゃんは城へ。分担は好きに決めてね。煎慈は適当な場所に身を隠して『生き移しの術』を実行。僕はそれを確認したら邪魔者を潰していく。内部調査が終わったらいつもの合図をして、各自里へ戻る。何か質問は?」
全員が目配せをして、了解の意思を確認した。
「よし、じゃあみんな幸運と大健闘を祈るよ」
時魂と煎慈と別れた三人はそれぞれの分担を決め、各々城へと潜入した。こさじが城門や兵の配置など外側からの調査を担当、時織と時傍の二人が城内の調査に当たる事とした。
城の中に潜入した時織と時傍はすぐに他の忍びの気配を感じた。
「兄ちゃん、やっぱり他の里の連中も来てるみたいだね」
「あぁ、気配を消した残り香がプンプンしてる」
「どうする?」
「どうするも何も、さっき兄貴も言ってただろ。俺達は俺達の任務に集中だ。それにこんなに気配を残しちゃってるような連中なら城の兵だって気付くかもしれないし、何より外で兄貴達が見逃すはずが無い。鉢合わせしない限り無視だ」
「はいさ承知」
「さぁ、俺達も二手に分かれるぞ」
時織は城の上部から、時傍は城の下部から調査を開始した。
屋根裏を通り、変化の術を使い、時織は城の調査を進めていった。部屋の配置、人間の動きを出来る限り詳細に書き記していく。大江戸城での経験以来周囲への警戒は以前とは比べ物にならない程高く保って任務にあたる様になっていた。その為か、調査は非常に順調に進んだ。
(順調だ。つまらない任務の上、こうも順調だと余計につまらない)
そんな事を考えていた時織だが、決して気を緩めたつもりは無かった。しかし、気というのは緩めたという意識のない時に緩むものである。さらにこの時は間も悪かった。
「誰じゃそこにおるのは!」
天井裏に潜んでいる時織と、下から叫ぶ男。目が合うはずのない二人だが、時織は真正面から睨みつけられている様な気がして動けなかった。
「下から突き殺しても構わんが、呼ばれたからには素直に降りて来た方がお主の為と言える。分かってると思うが逃げるという選択肢は無い」
逃げられる可能性なんてものが無い事は、初めから分かっていた。時織のいる屋根裏、その下の廊下から響く枯れた声の一言一言が時織をその場に釘づけにしていた。
時織は屋根裏から廊下へと降りた。
「素直なのは好感が持てるぞお若いの。ただ少々頭が高いのではないかな?」
廊下に降りた時織は腕組みをし、堂々とその男、老年の武士の前にふてぶてしくふんぞり返っていた。
「悪ぃな。本当なら膝を折って幸福の意思を示す所なんだが、狭い所で作業してたからな、足を伸ばしたいんだ」
「まぁよかろう。それではまず……、いや全部話せ」
「俺の名前は桜庭時織。以上、これで全部だ」
「桜庭…、そうか桜庭か。桜庭の里の忍びか。道理で、道理で素直に姿を現すし、名も名乗る訳じゃな。成程、得心いった。だが、儂の質問の答えが足りないな。名前を全部言えと言ったわけではない。他に、ここにいる目的や仲間の数、そしてどこにその仲間がいるのかを含めて全部話せと言ったんじゃ」
「……」
「答えぬか。まぁいい、処置は殿が下される。付いて参れ」
そう言うと、男は時織に対し無防備に背を向けて歩き出した。
時織は逃げ出す事も、背中から襲う事もせず、その男に付いて行った。そうしようと思えばそう出来たが、そんな恥知らずな真似は出来ないと考えたわけではない。単純にそのどちらも出来る気がしなかったからだ。廊下から天井裏に向かって刺された釘は男が背中を向けても抜かれる事無く時織を釘づけにしていた。
しばらく歩き、男は小さな襖の前で立ち止まった。
「殿、曲者を捕えましてございます」
「そうかご苦労。入ってくれ」
男は「失礼致します」と一言いい襖を開けた。そこは一国一城の主が誰かを迎えるにしてはひどく狭く、質素な部屋だった。億川鷹飛車のそれとはまるで違ったその部屋に時織は少なからず驚いた。
「入れ」
男に促されて時織は部屋の中に入った。
「こらっ! わしの前ならいざ知らず、殿の前で膝まづかぬとは、流石に捨ておけぬぞ」
「これ、信胤。構わんよ。だから刀から手を離しなさい。ね?」
「殿がそう仰るなら」
信胤と呼ばれた男は、今にも抜刀しそうな体勢をとき、部屋の側面に腰を下ろした。
「さて曲者君、私はこの城で殿様をやらせてもらっている菱川仁人です。君の名前は?」
ひどく優男な殿様。姿形、声、話し方、それら全てが優男という印象を時織に与えた。時織が警戒の目で、見ているにもかかわらず、仁人の目はそれを包み込むような優しい目だった。それは刺すような威圧感でこちらを見てくる鷹飛車とは対照的であった。
「俺は桜庭時織。先に聞きたいが、そっちのお侍さん、信胤と言ったか? まさか神泉信胤か?」
仁人と信胤は目を合わせ、少し口元が緩んだ。
「以下にも儂は神泉信胤じゃが? それがどうかしたかな?」
「いや、納得しただけだ。道理で俺が見つかったわけだ。気を緩めた覚えが無かったから不思議だったんだ。逃げようにも逃げられない威圧感もな」
「ふふ、貴様の様な者にも儂の名が知られているとは、儂の剣の腕もまんざら捨てたもんでもないようじゃな」
「御前試合何連勝したか知らねぇけどよくもまぁ。それとも俺がもぐりだって馬鹿にしてんのか?」
「運が悪いんだね、曲者君は」
「あぁ?」時織が睨みつけても、相変わらず仁人の目は包むような目だった。その目で見られていると時織はどんどん自分の中から毒気が抜かれていく様な気がした。どころか、勢い余って部屋全体から毒気が抜けていく気すらした。
「ところで曲者君、桜庭時織君といったかな? もしかして、先日大江戸城に侵入したっていうのは君かな?」
「……」
「図星だよね?」
「……」
仁人の持つ空気の前では無言の抵抗などすぐにかき消される意味の無い物だった。
「いや、違うよ。勘違いしないでね。ただ話を聞きたくてね。億川鷹飛車様と直接会った君と。」
「……」
「う~ん、そうだね。曲者君に話を聞く前に、まずは聞いて貰おうかな」
「……」
「菱川家と億川家は戦国の頃からの関係でね。億川家が天下を取る時に菱川家が相当力になったらしくてね、それで重要な港のあるこの武蔵の国を任されて、現在まで菱川家が代々治めているんだ。ご先祖様たちが優秀でね、武蔵の国はそれなりに栄えて、それでいて平和な国になったんだ。私はこの国のこの状況に十分満足しているし大好きだ。でも、あの鷹飛車様の檄文。確かに、戦となればお金は回り、技術も向上するだろうしこの国が活性化するだろうね。発展に繋がるだろう。実際にさほど時間が経っていないにも関わらず、その成果は各地から聞こえてくる。そこは私も認める所だ。だけどね、曲者君。人が死ぬんだよ」
時織を真っ直ぐに見据えて話す仁人の、表情こそ変わらないが、目は変わっていた。
「人が死ぬ。それだけで、私は鷹飛車を認めない。せっかく泰平の世の中だ、国の活性化だとか発展だとか、そんなの放棄したっていい。何ものにも変えがたいんだよ。」
「いいのかよ、そんなこと言って? 億川家とそれなりに近い家柄なんだろ?」
「そうだね、理屈抜きだ。城主としては、こういう立場としては有り得ない我儘だ。でも、本音だ。で、曲者君に聞きたいんだが、曲者君はこうなった世の中をどう思う? 鷹飛車様に実際に会ってみて」
「……」
答えに詰まる時織を仁人は黙って待った。例えその沈黙が何日続こうが、仁人は時織の答えを待っただろう。
時織は答えを持っていなかった。世の中どうこうは忍びに関係ない。任務があればそれをこなすだけ。それ以外は考えないのが忍びであると考えているからだ。
しかし、沈黙に促され、時織は質問に対する答えとも言えない、考えとも言えない、ただ単に口から洩れた言葉で話し始めた。
「鷹飛車は、実際に会ってみて凄さがわかった。完全に上位の存在だと思ったし、あいつならどこの軍勢に攻められても一人で叩き潰せるんじゃないかと思うほどだった」
「うん……」仁人は相槌以上の言葉を発せず時織に次の言葉を促す。
「あぁ、なんだ、あんたが質問してくるような事は俺は考えていなくて…だな。任務があれば、それをこなす。それくらいだ俺が考えるのは。余計な事は考えてない」
「ん……」
「あぁ、何だ全然答えになってないな。すまん」
「いいよ」
「そうだ、さっきあんた人が死ぬって言ってたよな? それがいけないって」
「言ったね」
「俺は鷹飛車の所で死にかけた。死に損ねたと言っていい。俺の忍びとしての覚悟が足りなかったから。鷹飛車の所からの帰り道、億川家お抱えの三条忍者が一人、俺の目の前で死んでみせたよ。俺はそれが俺に足りない忍びとしての覚悟だと思った。だけど、里に帰ったら仲間が俺を肯定したよ。死ぬ覚悟なんか決めなくていいって。これって…」
「僕が言ってる事と同じだね。良かった、本当に良かったね。いい仲間がいて、なにより生きていて。忍者も侍も、やたら死に様やら覚悟なんてものを決めたがる。でもね、そんな物は糞くらえだよ? まず必死に生きるんだ。その生き様があってこその死に様で、自然に覚悟も決まる。どんなにみっともなくても生きる。私は生きていて欲しい、皆に生きていて欲しい。信胤、武士らしく死ぬなんて私は認めないからね。時織君、私は君にも生きていて欲しいよ。自然と死ぬその日まで」
「あんた、里の仲間と同じような事言うんだな」
「そう?」
時織は少し考えた。考えて、仲間と同じことを言うこの殿様に対して自分が感じている事を整理した。整理した結果、とても雑な事を言った。
「あんた、俺の仲間にならないか?」
「き、貴様! 殿に向かって何を言っておるのだ! 忍びが殿様に対して仲間になる様に勧誘するなど前代未聞じゃ! 百歩譲っても立場が逆じゃろうが!」
「ん、…あぁ、それもそうか。こりゃ申し訳ない、少々戸惑った」
「僕は構わないけど?」
「殿っ!」
「いや、ここは信胤殿の仰る通り。」
そう言うと、時織はその場に膝まづいた。
「桜庭の里、魂組、桜庭時織。菱川仁人殿の家来に、お抱え忍者にして頂きたい。何卒よろしくお願いいたします。これは桜庭忍者全体をという事ではなく、私個人を」
「桜庭時織、そなたの申し出、有難く受け入れよう。そなたはたった今より、この菱川仁人の忍びだ」
そう言った仁人は、先程までの優男とは違い、完全に一国の主の風格であった。
「殿っ! 私はこやつを曲者として、殿に裁いて頂くために連れて来たのですぞ! そんな輩をお抱えになど」
「信胤殿の仰る事も御尤もで御座います。あ、先程までの非礼もお許しください。申し訳ございませんでした。はい、勿論今回調査させて頂いた物は全て提出いたします。仲間の分も全て。そして、何とか仲間には今回の任務は失敗という事にさせます。幸い今回は競合依頼でしたので、里の名誉はそれ程傷つきません。」
「そんな事は当たり前であろう!」
「では、どうすれば…?」
「今、今回の依頼は競合依頼と言ったな? 道理で城中から忍びの気配がする訳じゃ。そこでだ、誰か他の忍びを捕えて参れ。お前一人でだ。これはお前の力試しでもある。殿、そういう事でいかがですかな?」
「私はそこまでしなくても、と思うが。まぁ信胤、お前がそう言うならばそう致そう。お前もそれでよいな時織?」
「はい。では早速」そう言って時織は城の外に出た。
城の外で時織は、緊急集合の狼煙を上げ、魂組の仲間を集めた。
「どうした時織、何かあったか?」
「みんな、本当にすまないんだが、今回のこの仕事、失敗という事にしてもらえないか?」
「はぁっ?!」こさじと煎慈、時傍の三人は声をあげて驚いたが、時魂とその同世代の者達は、眉をひそめるだけの反応をした。
「どういう事だ時織」時魂を中心に時織は事情を問いただされ、事の次第を全て語った。
「だからさ、ここの殿様は皆と同じなんだよ。俺はあの殿様ならお前らと同じように信じられる。だから頼む!」
「任務の失敗は置いといたとして、お抱えになるとかならないとかそんな事、里の許可も無く勝手に出来ると思ってるのか? なによりお前はまだ十七だぞ」
「だから里には内緒で、俺の気持ちの中だけでここの殿様に使えるって事で」
「……」
その場にいる全員が、時織の真剣な目を見た。気持ちの中だけと言われては止められる物でも無い。
「時魂ちゃん、この感じの時織ちゃんは譲らないよ」
「うん…、わかってる。勝手にすればいいよ。いいんだけどさ、任務を失敗する事にするってのは……」
「ま、いいんじゃないか? 他の里の連中も全部潰して、この競合依頼は成功した里無しって事で落ちつけても。というかそれが条件なんだろ?」時魂世代の桜庭夜流が時織に助け船を出した。
「う~ん……」
いまだに渋い顔をしている時魂にこさじが言った。
「あ、そうだ思い出した。私今回全然調査が上手くいってないんだった」
「そういや俺も、ここに集合する時に今まで調査した紙なくしちゃったんだよなぁ。もっかい調査するのはめんどくさいなぁ」
「はぁ…、お前ら……」時魂は諦めたように溜息をついた。
「じゃあ時織、お前は残ってる奴を片づけて帰って来い。ただ、ほとんど俺達が片づけちゃったけどね」
「あと残ってるのはおそらく一人。良かったじゃない」
「一人か…、一人でも残ってて良かった。『他の里の連中は、兄貴達が全部片づけちゃいました』じゃ格好つかねぇからな。絶対に逃さないようにしないとな」
「それじゃあ俺たちは里に帰ろうか」
そう言って、時魂達は時織を残して里に帰って行った。
「さて」
時織は再び城に忍びこんだ。今度は城の者に見つからないようにではなく、残っている他の里の侵入者に気付かれないようである。
城の中に残っている気配を探ろうとした時織だが、その気配の多さにすぐにそれを断念し、計画を変更する事にした。
「こりゃあ、五つか六つの里が競合してたみたいだな。兄貴達どんだけ倒したんだ」
時織は、城の中で探すやり方をやめた。調査を終え、出て来た所を叩くやり方に変えた。
城全体を見渡せるのは一番高い所という単純な発想から、時織は天守閣の上に登った。そして、そこから見える武蔵の国の景色を見た
「はっはー、絶景なりやだな! これだけの景色が生きているのなら、あの殿様の言うように、俺だって生きるべきだな! 忍びが一人死のうが生きようが小せぇ小せぇ小せぇ!」
天守閣からの景色をひとしきり堪能した後、時織は目をつぶり城の中から出る者に集中し始めた。
数時間後、時織は城から出る忍びの気配を捕えた。
「っしゃあ!」
時織は城の屋根と壁を一直線に駆け降り、敵の前に立ち塞がった。
「悪ぃが、行かさねぇぞ」
「あん? 何だお前、あれ…時織か? 殺そうか? 戒名付けようか?」
「そっちこそ藤の里の杜蔵じゃねぇかよ。道理で城の中に気配が丸残りだったわけだ」
「げ、マジか? 微妙に焦るぜそれ。修業しないとな」
「必要ねぇ。俺が捕まえてこの城の牢屋に入れてもらうからな。里には帰さねぇ」時織は掌をつき出した。
「通~せんぼか?」
「通~~~せんぼだ」
「今までお前が俺に勝った事なんてあったか?」
「割とあるだろうが! 五分五分くらいだろうが!」
「所詮は訓練だ。実戦は初だ。だからお前は俺に勝った事が無い」
「自分で言いだしてそれかよ……。その言葉はそっくりそのままお前に返すぜ」
「実戦は初だ。実戦だから、これで最後だ!」
この二人は古くからの知り合いだった。桜庭の里と藤の里は対立関係であると同時に、若手の育成においては協力関係にあり、お互いの力を高めるためにともに訓練を行っていた。この藤杜蔵と時織も子供の頃から何度も競い合った仲であった。
杜蔵は時織に向かって棒手裏剣を数本投げつけた、しかし、時織はそれに一切視線を向けず、飛び上がる杜蔵の動きだけに集中していた。
「舐めんな!」
時織も飛び上がり、手裏剣に気を取られているすきに時織の頭上から攻撃を仕掛けようとしていた杜蔵を回し蹴りで迎撃した。
時織は足から、杜蔵は背中から着地した。
時織は素早く間合いを詰め、起き上がる前の杜蔵の顔面を踏みつけようとしたが、一瞬早く杜蔵はそれをかわした。
「訓練の時とはずいぶん違うじゃねぇか時織」
「そんなに違わねぇさ。今の俺の目的はお前を逃がさない事。それは手裏剣避けるよりも優先されるってだけの話だ。いいから逃げんな」
「逃げるっつうの!」
そう言うと杜蔵は何かを投げつけた。
次の瞬間、その何かが弾け、黒煙と共に地面を揺らす程の大音量を放った。一瞬怯んだ時織に、黒煙の中から杜蔵の着ていた外被が飛んで来た。
しかし、外被が飛ばされてきた事で、時織は逆に素早く次の行動に移る事が出来た。
(飛ばしたのと逆方向に逃げるなんてな遁法の初歩だろうが!)
すぐさま杜蔵を追おうと飛んで来た外被をつかんで投げすてた。
投げ捨てた外被の後ろには、時織の予想に反して、杜蔵が既に攻撃態勢に入っていた。
「っ!」
「素人じゃねんだよ」
杜蔵が逃げている事を想定し、ただただ追う体勢になっていた時織は杜蔵の突き出す小刀に対して左腕を犠牲にして、致命傷を避けるのが精一杯だった。
「ってぇなこの野郎……」
「痛ぇのを顔には出さないか。立派だな。ま、血は大分出てるけどな。止血するか?
お薬貸してやろうかこの野郎?」
「その間に逃げるだろうがお前。お前倒してお薬を頂く、その後に城にお前をつきだす。うん、そういう予定で」
「じゃあ早くケリつけないとなぁ。知ってるか? 血が沢山出ると人は死んじゃうんだぜ?」
「そうか、じゃあお前の言うとおり早めにケリつけないとな」
「じゃあ俺がつけてやるよ! 土呑の術!」
杜蔵はそう叫んで、地面を叩いた。
すると、叩かれた地面が一瞬で裏返った。そういう表現が最も的確なのだろうがもう言うっぽ踏み込んだ表現をするならば、杜蔵の前の地面がせり上がり、同時に時織の足元の地面が沈みこみ、沈んだ地面を埋めるようにせり上がった土が時織をのみ込んだのだ。
土呑の術が完了した後の地面の状況は、術が発動する前とさほど変わらなかった。その場面だけ見た人がいたなら、たった今そこで地殻変動の様な事が起こったとは気付かないだろう。それには気づかないだろうが、それまでそこにあった気配が消えている事には気づくかもしれない。
「だっはっは! この術は訓練じゃご披露する機会が無かったからなぁ! 戒名は、……そうだな、思いつかねぇから無しって事でここでひっそり無縁仏になってくれや!」
高笑いしながら杜蔵はその場を去ろうとした。
そして、二、三歩ですぐに足を止めた。というより本人の意思と関係なく止まった。
「っ?」
杜蔵は背中に違和感を感じた。
「極小極細の針だ。ま、馬鹿笑いしながらじゃあ気付かねぇわな」
時織が杜蔵の背後で細い筒の様なものを手に持って立っていた。
「てんめぇ土呑の術で呑み込まれただろうが」
「あんな遅い術で呑み込まれるわけねぇだろ」
「確かに俺だって避けられるだろうな。最近覚えた術だしな。だけどお前ならって、俺はもうちょとお前に期待してたんだけどなぁ。勿論悪い方に」
「悪かったな。俺は基本的に期待に応える男なんだがな。勿論いい方に」
「ところで神経毒か…こりゃ?」
「種明かしは後で気が向いたらしてやるよ、今はさっさと神経毒が回って動けなくなってくれ」
「その前に…お前も動けなくしてやるよ……」
杜蔵がそう言って何かを引っ張る動きをすると、周囲の木が根ごと地面から抜け、時織に向かって襲いかかった。
大小無数の木に時織は全身を襲われた。
後ろから来る大木が背中を襲えば、刺々しい木の枝が顔面を撫で、神社の鐘の如く後頭部を何度も打たれた。
最終的に一帯の木々が時織に全てのしかかった。
先程、杜蔵が高笑いした時とは周囲の状況は全く様変わりしていた。誰が見てもここで何か起こったとすぐに気付くだろう。
時織にのしかかった木々を背に、杜蔵は立ち尽くしていた。
(ち、……動けねぇか。地味な事しやがって)
神経毒で動けないとはいえ、時織を始末した事で、杜蔵の危機感はほぼ無くなっていた。回復を待って里に帰ろうという事を、夕飯の献立を思案する様な心持ちで考えていた。
「まだ帰らねぇんだな杜蔵。神経毒が効いたみたいで何よりだ」
積み重なった木々の下から時織の声がした。
木のひび割れる音や擦れる乾いた音がし、最終的に上に乗っていた大木が地面に転がり落ちる重い音がして、木々の上に時織が立っていた。
立っているのもやっとという姿勢で、杜蔵を見下ろす格好で。
「土呑の術で周りの地面を緩々にしといたって事か。じゃなきゃああんなに簡単に大木が抜けたりしねぇわな。だけどその分こっちだって土遁の術が使いやすくなったってわけだ地中に潜んなきゃ本気でヤバかったな」
強がりつつも、決して軽くない怪我を時織は負っていた。頭から血を流し、全身の骨も大小問わず何かしら損傷していない部分の方が少ない程だった。
(はぁ…、はぁ……、こいつを城に…)
時織はやっとの思いで杜蔵を縛り上げ、引きずられるような足取りで、杜蔵を城まで引きずって行った。
「こいつがこの城の中をコソコソうろついてた。殿様に渡しといてくれ。桜庭時織からだ。」
不審な忍者が不審な忍者を連れて来たのを見て、城の門番は動揺し、警戒の色を隠せなかったが、瀕死の時織の言い知れない迫力に押され、黙って杜蔵を引き取るだけだった。
無事に杜蔵を渡し終えた時織はよろよろと里への帰りを急いだ。
(まずい、流石にまずい…、身体がバラバラになりそうだ)
いつその場に倒れ込んで絶命してもおかしくない重傷で時織は歩き続けた。
月の明りが際立ってきた頃、時織自身もどれくらい歩いたか、どれくらい桜庭の里に近づいたかわからなくなっていたそんな時、時織は森の中で開けた所に行きついた。
「…? どこだここ? こんなとこ…、あったかな?」
開けた一帯を見渡すと、そこにはポツンと寺が建っていた。
「助かった…かも。とりあえずここで休もう…」
とりあえず休めればと思ったのと、あわよくば誰か人がいればという気持ちもあった。
近づいてみて初めて分かった事だが、その寺は廃寺であった。
どれほどの間、人が手を入れ無かったのか、屋根は半分以上が原型を留めておらず、壁や柱も折れた物や腐ったものが殆どで、建っているだけで奇跡的と言えるような状態であった。
(まぁいいか…、とりあえず中に)
寺の中には仏像の一体も見当たらなかった。どこかの盗賊や山賊の類が盗んでいったのだろう。時織は別段驚きもしなかった。というよりそんな事を気にする余裕が無かった。
どこか休める所をと寺の中を歩いている内に時織は畳の部屋を見つけ、そこに倒れ込んだ。
その部屋は屋根に穴が開いていたが、雨が降っていなくてよかったとすら思わなかった。思えなかった。
「死なない程度に寝よう……。」
体力回復の為に時織はその場に寝転んだ。というよりも、その様子は行き倒れたと言った方がその様子を正確に表していただろう。