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第一章

 鷹飛車の檄文が発せられてから約半年が過ぎたころ、信濃の外れ飛騨山脈にほど近い桜庭おうばの里では長い長い桜の季節を迎えていた。里中いたる所で桜が咲き誇るこの季節はどこでも花見が出来、里全体が陽気な雰囲気に包まれていた。

 里の団子屋「串好き」でも客の誰もが花見の予定などを楽しげに話し、この里この季節を満喫しているといった風だったが、店先で団子を食っている若者二人だけは、咲き誇る桜に目もくれず話し込んでいた。

「で、どうなのよ? 鷹飛車様の檄文から半年くらい経ったろう。うちの里では何か動きあんの?」

「ねぇなぁ。どこの大名もまだ様子見、腹の探り合いって感じでよ。あんまし大きな動きは無いんだよ。まぁ、外様の連中とかはここぞとばかりに反億川を打ち出してたりするみたいだけど、うちみたいな忍びの里番付で底辺辺りをうろついてるような里には話はこねぇよ。」

「なにその忍びの里番付って? そんなのあったの?」

「あぁ、番付って言っても各里、というか各人が勝手に思ってる番付なんだけどな。うちみたいに忍びの里って事を公にして、忍びもそうでない奴もごっちゃになってるようなとこは他にないからさ。基本的に他の里からは温いって思われてんだよ。」

 桜庭の里は、初代億川幕府頭首、億川鷹吉たかよしが天下を統一した時に、それまで閉じられていた忍びの里を開放した。それは「戦乱の世が終わり、これから忍は消えていく。ならばこの桜の綺麗な里は皆で楽しむべき。」とした当時の里長の意向によるものだった。しかし桜庭の里以外に里を開放するようなことはせず、農民のふりなどをし密かに忍びとして生き続けていた。

「だからあんましあてにするようなもんでもないけどな。実際、実力は他の里と遜色無いしな」

「ふぅん、それじゃあなんか勿体無い感じがするな。実力あるのにってのは」

「まぁ、今こういう状況だからな、幾らでも名前を売る機会はあんだよ。里長達もその事で毎日会議だ。あぁつまんね。こう、修業の成果ってやつをバシッと見せつけてやりたいよね」

「そんだけ自己顕示欲が強い忍も珍しいんだろうな」

「忍者を『耐え忍ぶ者』なんて言ってる奴がいるけど、ふざけんな馬鹿野郎この野郎ってんだよな。やってらんねぇって。俺の性に合ってないんだよ」

 里が開放され、忍者以外の一般の者と共に生活し、町人文化の混ざった桜庭の里は、この時織ときおりのような忍者らしからぬ忍者が生まれていた。

「なぁハチよ、蔵八よ、聞いてるかはっつぁんよ?頼むよハチよ、俺はどうすりゃいいんだよ? この有り余る衝動、溢れんばかりの熱き思い? みたいなのどうすりゃいいんだよ?」

「呼び過ぎだよ時織、ここに来て無理矢理登場人物紹介ねじ込んだみたいになるだろうがよ。おとなしく修業でもしとけよ。新忍法開発しとけよ」

「役に立たねぇ奴だな。ウドの大木かお前は。蔵ウドって呼ぶぞこの野郎!」

「後の世で人気出そうな別名付けるんじゃねぇよ! それに暇なら鷹飛車様の城にでも忍びこんでみたらどうだよ? そうだ自筆書名サインもらって来てくれよ」

「…………いいな。それいいな。それやったら里の連中も驚くだろうし、面白そうだ。ハチ天才。ハチ最高。よしっ、任せろ! その任務、この桜庭時織が承った!」

 時織は立ちあがり、そう大見えを切るといつの間にか団子屋の店先から姿を消していた。蔵八がお茶をすすった一瞬の間であった。

「やっぱあいつ割と凄いな。一応忍者って感じがする。ん?」

 今まで時織が座っていた場所に書き置きが残されていた。

『蔵八殿のつっこみは割と次元を超えているような気がするでござる。団子の支払いは頼むでござる。にんにん。』

「っっっっっけんな! おい、お市! 時織の分はちゃんとあいつの名前でつけとけよ! てか文章だと何で過剰な程忍者っぽいんだ!」


『串好き』を出発して数時間後、時織は鷹飛車の居城『大江戸城』を見下ろしていた。自分を国全体から標的にしてるとは思えないほど巨大で絢爛豪華な城は、時織の表情を無意識の内に緩めさせた。

「くぅ~、舐めてんな。いい感じに舐めきってる。というかどんだけ自信家だっつんだよ。ゾクゾクするぜ。絶対ぇに鼻っ柱ポキっといってやるぜ!」

 時織は城壁の警備の手薄な所に忍びよった。(というよりも基本的にこの城の警備は手薄であった。)軽々と城壁を超えた時織は小さな鼠に姿を変え、そのまま屋根裏に入り込んだ。

「さて、鷹飛車の居場所をつきとめないとな。この感じだとわかりやすい所にいそうだな。おっと、罠だな。」

 一見自信満々に無防備に己を晒している様に見える鷹飛車だったが、城の中には臆病なまでの用意周到さで侵入者に対する罠が仕掛けられていた。時織にすれば意外な事であったが、ここまでの侵入が容易過ぎた分、面白くなってきたと感じていた。

 生まれた時から忍者の修業を受けて来た時織にすれば、仕掛けられている罠は突破出来ないほどのものではなかった。罠を避け、罠を壊し、時には廊下を堂々と歩く事で罠をすり抜け、時織は鷹飛車の居室と思われる部屋の入口に辿り着いた。

(ここだよな。『鷹の間』って書いてあるし、何より中の気配が半端じゃない。)

 時織は扉を開こうとして一瞬怯んだ。中にいるであろう鷹飛車の圧力に気圧されたのだ。その一瞬の間に中から声がかかった。

「さっさと入って来い!」

 扉の向こうでは時織の存在を完全に見透かしていた。その声に時織の足は竦んだが、忍びとしての誇りがすぐさま覚悟を決めさせた。

「入る」

 そう一声発し、時織は扉を開け中に入った。

 広い。大広間以上の圧倒的な広さの居室の上座、象よりも巨大な虎の皮を後ろに飾り、天下人億川鷹飛車は座っていた。時織は鷹飛車を実際に見た事が無かったが、すぐに鷹飛車とわかった。後から考えれば其処にいると言うだけで、さらに言えば身なりからして鷹飛車以外ではあり得ないのだが、その時点で時織はそんな事は完全に失念していた。全てを取っ払った存在そのものが、その人物が億川鷹飛車その人だという事を証明していた。仮に乞食の格好をして、森の中を徘徊していたとしても鷹飛車という存在を覆い隠せないだろう。

「あんたが億川鷹飛車か?」

 本当は聞くまでも無かった。しかし、ともすれば言葉が出なくなりそうな鷹飛車の鋭い眼光の前に、何か出すしかなかった言葉がそれだった。

「いかにも、儂が億川鷹飛車じゃ。何か用かな侵入者?歓迎しようじゃないか。せっかく儂が檄文を飛ばしたというのに、半年経ってもまだ誰も儂の首を取りに来なくてのう。退屈しておった所だ。お主は儂の首を取りに来たのか?」

「いや、そんな気はないさ。たまたま近くに来たから挨拶にと思って寄らせてもらったまでだ。よくあることだろ?」

「あぁ、そういう事はよくあるな。それならそうと言ってくれれば、こそこそと侵入せずとも正面から歓迎したものを。」

 鷹飛車は嘘をついていない。時織はそう感じていた。城門の門番もおそらく飾りの様なものなのだろう。会いに来た者がいれば通すように命令されているのかもしれない。

 時織が張った精一杯の虚勢に鷹飛車は真実で返した。扉を開ける前から既に嫌というほど感じている「自分よりも完全に上位の雄」という印象に更に釘を刺されたようなものだった。

「ん、いやいや立派立派。既に背中は冷や汗でぐっしょりだろうに、顔には汗一つかいていない。一応は忍者だな。」

 確かにその通りだった。時織の背中は汗だが、訓練により見える部分に汗はかいていない。しかし、それがバレているなら意味は無い。何よりそれを親が子供に対するように褒められたのが時織の忍者としての誇りを傷つけ、子供の様な虚勢を張らせた。

「それにしてもなんだこの城は? 罠を仕掛けてはいるがバレバレの罠ばかりで侵入し甲斐が無いじゃないか。」

「罠? この城にそんなものは仕掛けていないがな。罠に見える物は色々と仕掛けているが、どれも罠として機能してはいない。たまにいる侵入者がそれを避けて進むから、自然と侵入経路が限定されて警備がしやすいとか言って警備役の者が勝手に取り付けたんだ。儂は要らないと思っているが、その見せかけの罠に右往左往している侵入者を想像して楽しんでいるよ」

 まさに時織は鷹飛車の掌の上だった。

「にしては警備の連中は何やってんだ? 実際俺をここまで来させている。誰一人俺が鼠に変化して忍びこんでいるのに気付かなかった!」

 その言葉に対する返答は時織自身既に大体予想がついていた。が、言わずにはいられなかった。虚勢という物は一度張りだせば、行く所まで行かないと止められない。

「そうかぁ、鼠に化けてか。そうかそうか。いや、警備の連中から怪しい鼠が侵入してるという報告が三十七件あったんだが、てっきり本物の鼠だと思って放っておいた。そうかそうか、勘違いか。その物ずばり怪しい鼠だったとは。いやぁ、参った」

 ほぼ時織が予想していた返答が返ってきた。本物の鼠だと思っていたなどと明らかな嘘をついて「そうかそうか」と鷹飛車は笑っているが、知っていて敢えて通したのだ。時織は敢えて通されたのだ。

 予想とは違ったのは、その報告が三十七件にも及んでいた事だった。時織は虚勢ではなく単純な驚きで大声を出した。

「嘘つけこの野郎! こっちだって忍びの端くれだぞ、こっちだって気付かれねぇように侵入してるんだぞ! それ三十七件も報告があっただと? 調子に乗んな!」

 鷹飛車はそれまでの余裕綽々の笑いをやめ、貫くような視線を時織に向けた。(向けられた時織にしてみれば、貫くどころか、その勢いで吹き飛ばされそうな視線だった。)

「この億川鷹飛車、自分を大きく見せるための虚言など一切吐かぬわ!」

 鷹飛車の一喝は、尤もだと時織自身感じた。よく考えればそうなのだ。この億川鷹飛車という男は何もせずとも、何も言わぬとも山より大きな存在であると向かい合った誰もが感じる。そういう男なのである。

「証拠を見せてやろう。報告を入れてくれた三十七人を呼ぼうじゃないか。おい、出て来い。」

 鷹飛車がそう一声かけると、天井、襖、畳の下、時織の後ろの扉、至る所から人が現れた。その全員が同じ黒装束に身を包んでいた。その者達の姿を見た瞬間、正確にはその者達が着ている黒装束に施されている印を見た瞬間、時織は自分が発見されている事に気付けなかった理由と常に周囲に気を張っているはずの自分が其処彼処に潜んでいる者達に気付けなかった理由を悟った。

 円の中に三本の紐が結ばれたその印は、紛れもなく、時織の言う忍びの里番付で、一位確定の三条の里の印だった。それぞれの印象によって非常に曖昧に格付けされる忍びの里番付であるが、一位が三条の里というのはどの里の誰に聞いても同じである。億川家が天下統一を果たし、実権を握る以前からお抱えとなっている三条の里の忍者はそれ程圧倒的な実力を持っていた。

「なるほど、証拠か。確かに証拠だな、納得だ。忘れてたよ三条忍者が億川家のお抱えだって事をな。」

「流石は同業、三条忍者は有名か。おい、お前達お客人に自己紹介してやれ。」

「お初にお目にかかります。三条寝踏ねぶみと申します。」

「お初にお目にかかります。三条寝踏と申します。」

「お初にお目にかかります。三条寝踏と申します。」

「お初にお目にかかります。三条寝踏と申します。」

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「お初にお目にかかります。三条寝踏と申します。」

「お初にお目にかかります。三条寝踏と申します。」

「お初にお目にかかります。三条寝踏と申します。」

 三十七人全員が抑揚のない喋り方で同じ名前を名乗った。

「ハッハッハ、驚いた様子だのう、こやつ等は…」

 その時、鷹飛車の言葉を遮って何処からともなく、敢えて言うならば部屋全体から聞こえるかのように、もっと言うなら時織の死角から発せられているかのように声が聞こえて来た。

「その者達は寝踏衆。三条の里の末端の物だ。まだ何の功績も上げていない。故に名前もまだ与えられていない」

不埒丸ふらちまるか」

 自分が言おうとした事を遮られて少し不機嫌そうに鷹飛車は言った。

「不埒丸だと?!」

 時織も、ほとんど情報の漏れない三条の里の末端である寝踏衆の事は知らなくても、不埒丸の事は知っていた。

 不埒丸は三条の里の頭領であり、里で最強の忍が代々受け継ぐ名前であり、その伝説は大昔から、忍者で無い普通の町人にも御伽噺的に知られている程だった。

「鷹飛車様、幾ら寝踏衆と言えども、忍びに名を名乗らせないで頂きたい。忍びが名を名乗るのは死ぬ時だけです。」

「なんじゃ儂に意見か? こやつ等に名前はまだ無かろう。『寝ている所を踏まれても文句の言えないような取るに足らない存在』だから便宜的に寝踏と呼んでいるだけであろうが。」

 鷹飛車が何処ともなくジロりと睨む。

「御尤もで御座います。失礼致しました。ところでその鼠は」

「お客人だ。失礼の無いようにな」

「そう言われましてもこちらは商売敵です。主の城に侵入されてそのまま帰す訳にはいきますまい。」

 この部屋に入る時に覚悟を決めた時織であったが、不埒丸言葉には内心戦慄した。言葉だけとればどうって事の無いよく聞く文句だが、言っているのが最強の忍びの不埒丸である。戦慄しつつも死の覚悟は嫌でも決まる。

「ふむ、ではどうしたものか。悪いがお客人、儂は無事にお帰り願いたいのが、なんとかこの状況から自力で逃げ出してはくれまいか?」

「逃げ出す……」

「『逃げ出す』という言葉が嫌なら抜け出すでも突破するでも何でもよい。」

 そういうつもりでこぼれた言葉ではなかった。不埒丸を前に死を覚悟して、その発想が無くなっていただけであった。

「そういう事でよいな不埒丸?」

「はい。お客人、逃げ出して構いません。」

「さぁさぁ、どうやって逃げ出すのか。三十七人の寝踏衆と不埒丸、儂は手出しする気は無いから、まぁ鉄壁の囲いと言うほどではない。また鼠に化けるもよし、十分抜けられるであろう。」

 鷹飛車はそう言ったが、不埒丸がいる時点で抜け出せる可能性は零と言ってもいい状況だった。まして、侵入の時点で時織の侵入を変化を見破った寝踏衆三十七人に取り囲まれているのだから抜け出せる可能性は零を下回ってもおかしくない。

 時織の次の行動を興味深げに眺める鷹飛車に対して時織は大見えを切った。

「忍者が名を名乗るのは死ぬ時だけだと? 笑わせんな! 俺は桜庭の里の忍び、桜庭時織だ!」

 そう言うと時織は、肘を上げ、肘から下と首をダラんと下げ、足も内股に膝を折り、さながら操り人形のような姿を取り、全身をカクカクとまさに操り人形のような動きを始めた。

 鷹飛車と寝踏衆(どこからか不埒丸も)が見守る中、時織の動きは激しくなっていった。そして、勢いよく左腕を動かした瞬間、その勢いで左腕が落ちた。しかし時織は動きをやめない。そして次は右腕が落ち、最後に首がボトりと落ち、両腕と首の無くなった時織の身体はその場に倒れた。倒れたが、倒れた場所に時織の身体は無く、腕と頭のもがれた小さな人形ともがれた人形の腕と頭が落ちているのみだった。

「……不埒丸よ、あんな戯事のような術を何故見逃した? 儂があの人形を見ているふりをしている間に、奴が儂が書いた『天下一』の書を持ち出して逃げていく姿くらい、寝踏衆でさえ見えていたであろう」

「は。あの術は初代三条不埒丸が若かりし頃、今の様な状況から逃げ出す為に使った術でございましたので」

「なるほど、実力不足を頓知で誤魔化したか。まぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁ…、腑に落ちないと言えば腑に落ちないが、おまけのおまけで及第点としておくか。なかなか勉強しておるわ」

 鷹飛車は眉間に深く皺を作ってそう言った。

「不埒丸。 あまり若造にあまり舐められ過ぎないように致せ」


 鷹飛車の城から逃げのびた時織は生きた心地がしないままに帰り道を歩いていた。時織自身術の未熟さはわかっていた。それをせこい頓知で鷹飛車や不埒丸が敢えて見逃してくれるかは賭けだった。蔵八との約束の為、持ち去った鷹飛車の自筆書名の入った「天下一」の書も、裏に「あげるよ」と書かれていた。

 道端に手ごろな石を見つけた時織は、そこに座り込んで休憩する事にした。

(こりゃあ駄目だ。幾らなんでも調子に乗り過ぎた。あそこまで段違いだとは。億川鷹飛車と三条忍者の組み合わせ、鬼に金棒どころじゃねぇ。そりゃあどこの大名も攻め入らないわけだ。)

 座ったまま落ち込んでいる時織の前に、突如誰かが現れた。時織が顔を上げると其処には先程まで自分を取り囲んでいた黒装束の男が立っていた。

 すぐに飛び退きたかったが、身体が座っている石と同化したように動かなかった。すぐ目の前にいると寝踏衆の一人でさえこの圧力であった。

「寝踏衆か。何の用だよ?」

「寝踏ではない。三条様士さましだ。殿より若造にあまり舐められないようにと命ぜられた」

「いやお前その格好は寝踏衆だろ。さっきあそこにいただろ?」

「先程まではな」

 そう言うと様士は先程時織が逃げ出す時にしたのとと同じ様に操り人形の様な動きを始めた。

「な、なんだ、なんのつもりだ?」

 立ち上がれない時織の眼の前で、様士の動きは徐々に激しくなっていった。

 そして、勢いよく左腕を振った瞬間、左腕が落ち、血が噴き出した。その後も時織がしたのと同じように腕と首が落ちた。時織の動きを完璧に真似した格好だ。

 しかし、時織の術と一つだけ違う点があった。落ちた首が時織の足元に足元に転がり、両腕と首の無い身体が倒れても、その身体が人形には変わらなかった点だ。

 様士は覚悟を見せて死んだ。城に忍びこんだ時織に足りなかった「死に対する覚悟」をあっさりと見せて死んだ。それも、主君である鷹飛車に「舐められないように」と言われただけの理由で。「忍びとはこういうものだ」と言わんばかりに。

「そういや、あいつ名乗ってたな……」

 道の脇の林の中に様士の亡骸を埋めながら、時織はぽつりと言った。

 様士の亡骸を埋めた上に軽く土を盛り、適当な石を置いた簡単な墓に手を合わせ、時織は再び帰路に着いた。


 桜庭の里が近くなった頃、一匹の犬が時織に近寄って来て話しかけた。

「お~い、時織。お前何やったんだ?なんか里長とか偉い連中が相当怒ってるぞ」

「はっ、は?マジでか? 何でバレたんだ」

「なんだよお前、本当に何したん?」

「大江戸城に行ってみた。そんで死にかけたりしてみた。」

「マジっ? そんで捕まりかけたって事か?」

「いや、ん~まぁ、でもそうか。そうだな。捕まりかけたって事になるのかな。」

「どういう事よ?」

「俺の侵入はバレにバレてたんだけど、無視された。無視されてそのまま鷹飛車のとこまで入りこまされた。まぁ結局その後取り囲まれたけどな。どうやって逃げ出したかは……、あぁ…聞くな。」

「なんだ、尻尾巻いて泣いて逃げ出したのか?」

「そうだな。それ以下かも。やっぱすげぇわ三条忍者。」

「あぁ、そっか億川んとこのお抱えなんだっけ。そいつらに取り囲まれたってか。そりゃあ生きて帰って来れただけで大儲けだ。」

「全くだ。下っ端でさえ、実力も覚悟も俺の何倍だっつう話だよ。」

(で、なんでバレてんだ?)

「ところでお前はそれだけ伝えに来たのか?『生き移しの術』まで使って」

「んん、まぁそれだって伝えなくたってよかったんだけどな。友達が辛い時にそばにいてやるのが友達ってもんだろ?」

「お前の場合は単に面白がってるだけだろ」

「まぁね。んじゃ俺は先に里に帰ってるから」

「最初っから身体は里にあるだろ」

 その言葉を犬が聞いたか聞かないうちに、それまで時織と並んで喋っていた犬はただの犬に戻り、どこかへ行ってしまった


 桜庭の里に帰ると、すぐさま時織の前に時織の兄の時魂ときたまが立ちはだかった。

「時織、里長が呼んでる。理由は分かってるな。ついてきなさい」

「へいへい」

 時織は兄の後ろについて里の集会場へ行くと、里長を含め里の重鎮たちが円陣で何人か座って待っていた。

「ご苦労であった時魂。時織、そこに座りなさい。」

 水気のないしわがれた里長の声に促され、時織は円陣の真ん中に座った。

「何故呼ばれたかは分かっておるな?」

「はい……、はいはい、わかってますよぉ。ただ何でバレたかなぁって」

「これが届いたからじゃ」

 里長はそういいながら、時織に向かって紙飛行機を飛ばした。

「ん、これ? 紙飛行機を折る余裕とか……」

「そうやって送られてきたのじゃ。開けてみろ」

「……」

 手紙の送り方を聞いただけで、時織は息をのむ事になった。驚きはしたが、そこまでの驚きではなかった。三条忍者を実際に見た後だと、「なるほど」と、この紙飛行機にも納得した。

 受け取った紙飛行機を開いてみると、中身は鷹飛車からの手紙で、城での事が書いてあった。

「その手紙は本当じゃな?」

「……はい。」

 時織は里長と重鎮からこれでもかという程怒られ、忍びとはどういうものかという事を嫌という程聞かされ、集会場から出た後、兄の時魂からも同じくらい怒られ、へとへとで家へと帰ることになった。

 怒られ疲れ、放心状態で歩いている時織に、幼馴染のくの一、こさじが話しかけて来た。

「時織ちゃん、お疲れ様。いっぱい怒られたね~」

「うるせぇよ、こさじ。今話しかけんなって。今日はもう体力残ってな~いの」

「煎慈ちゃんから聞いたよ。死にかけたんだって?本当に」

「本当だよ。ってかアイツ言いふらしてんのか? 口軽過ぎ、忍者失格だな。」

「いやぁ~はは。でもうちの里ってそういう人多いよね? 忍者っぽくない人」

「町人文化と混ざって久しいからな。忍者が名乗るのは死ぬ時だけってのも俺はあんまピンとこねぇし。」

「でも、私はこの里のそういうとこ大好きだよ?忍者もそうでない人も皆仲良くて楽しいよ」

「同感。他の里はなんか息苦しそうだ。あ、そうだハチにあれ渡さないとな」

「ん、何渡すの?」

「依頼されてた物。一応報酬も貰ったしな」

 二人は方向転換して、蔵八の家に向かって歩き出した。

 しばらく歩いた所で時織は足をとめた。

「どうしたの時織ちゃん?」

「お前だって分かってんだろ。つけられてるって」

「分かってたけど、時織ちゃん目当てみたいだし、いいかなぁって。それに子供だよね?」

「あぁ、子供だな。バレバレなのに本人は上手くやれてると思ってるな。イラつくぜ」

「なんか今日は機嫌悪い?」

「いや、ちょっと前の自分はこんな感じだったのかなぁって」

「そりゃそうだよ~。誰だって子供の時はこんなもんだよ」

「子供の時って言うか……、いや、まぁいいんだけど」

「で、どうするの? 捕まえちゃうの?」

「用があるなら出てくるだろ」

 そう言って時織が道の反対側の屋根を睨むと、一瞬何かが動き、二人の前に子供が現れた。

「失礼しました! 尾行するつもりは無かったんですが、なかなか話しかけられなくて、結果尾行してる形に……」

「そんな事はいいよ。お前は誰で、何の用か手短に」

「はい! 自分は桜庭一飛いっぴ。時織さんの弟子にして頂きたいんです!」

 道端で頭を下げる子供を前に、時織もこさじも思考が停止した。

「一飛ちゃん、君、いくつ?」

「はい、九つです」

「一飛ちゃん、それはね、気の迷いだよ。このお兄ちゃんの弟子になるより、このお兄ちゃんのお兄ちゃんに弟子入りした方がいいよ?」

「悔しいが俺もそう思うぞ。兄貴は実力もあるし、面倒見もいいぞ。あ、そうか兄貴と間違えたんだな?」

「いえ、間違えてません! 時織さんんの弟子にして頂きたいんです! お願いします!」

「だから何でまた俺だ? 俺はたった今里長達に絞られまくったような男だぞ?」

「煎慈さんが話して回ってるのを聞きました。時織さんが鷹飛車の城に単身乗り込んだ事を。その勇気に感動しました!」

(あ~……、間違ってるなぁ。勇気じゃなくて馬鹿なだけなんだけどなぁ。)

「あのな、そんな良いもんじゃないって。きっとなんか誤解してるって」

「いえ、誤解してません! 時織さんのその自由なやり方、自分のやりたい事をやる生き方、尊敬します! 師匠と呼ばせて下さい!」

 ついに一飛は道端で土下座までした。

「いいんじゃないの時織ちゃん?」

「まぁ、本人がよけりゃいいんだけど、俺は別に教えられる事とかないぜ?」

「構いません。その自由さについて行かせてもらえればそれだけで十分です」

「ん~、じゃあいいよ? 好きにしてよ」

「はい、ありがとうございます!」

 師匠の方がよくわからないうちに、時織は師匠となり、一飛という弟子が出来た。


 こさじと一飛を連れて蔵八を訪ねた時織は、蔵八に鷹飛車の書を差し出した。

「お前、これ本当に取ってきたのか?」

「取ったっていうか、貰った以下かな。施しだ施し」

「すげぇっす! 師匠!」

「ま、一応報酬貰ったしな。約束は守るって事よ」

「報酬って? なんかあげたっけ?」

「団子の代金をさ」

「あぁ、あれなら、ツケといてもらったけど」

「あぁ? ざけんなテメェ! 返せこれ、返せ! こっちは無駄に死にかけてんだぞ!」

「まさかあんな適当な話で本当に行くと思わねぇよ。お前は見境無いうえに、行動力あり過ぎなんだよ。調度よくやれや! 一飛君だっけ? 弟子入りはやめた方がいいんじゃない? 悪い事言わないって」

「いえ、そこも含めて尊敬していますので」

「そうかい。こさじ、ちゃんと見はっとかないとけよ。こんな子供まで巻き込んじゃかわいそうだ。」

「任せといて。四六時中見はって、縛り上げとくから」

「変な意味に聞こえるだろうが! 俺にそういう趣味はねぇよ! てか変な意味無くても御免こうむるわ!」

「師匠、変な意味って……」

「一飛、帰りなさい」

「一飛君、帰りなさい」

「一飛ちゃん、帰りなさい」


 その後、時織が今回の一件について話したり(一飛は目を輝かせてそれを聞いていた)、世間話をしたり、ひとしきり談笑した後、そろそろ解散しようと時織達は帰り支度を始めた。

「じゃあハチ、そろそろ帰るわ」

「あぁ、またなみんな。ところで時織」

「ん、なに?」

「三条忍者だか何だか知らないし、忍者じゃねぇオレが言う事じゃねぇかもだけどさ。」

「うん?」

「そんな奴等を立派だとか思うなよ。死ぬ覚悟なんか決めなくていいって。少なくともオレはお前に簡単に死ぬ覚悟なんてして欲しくないよ。オレはさ、忍者じゃないけどお前の友達だからさ。」

「私は忍者だけど蔵八ちゃんの意見に賛成~」

「オレも賛成っす!」

「ん…うん、……うんうん……。ありがとうな。なんか……分かんないけどありがとう」

 三人の急な発言に照れた時織は、真っ先に外に出るふりして、背中で三人にそう答えるしか出来なかった。顔がなんだかにやけてしまっているのを自分で分かっていたから。

  


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