「簡単なことじゃないの」1
トラブった現場はその後3週間近くガタガタして、更に竣工まで調整が手こずった挙句に大赤字だったので、疲れないはずなんかなく、山口君はずいぶんと痩せた。
ジョークのキレはなくなってきていたし、時折イラついた顔で津田君と新人の萩原君を怯えさせたりもした。
ああ、この辺が限界だったんだなと逆に人間らしくも見えたけど。
片付く見通しが立つまでにもう一度だけ、山口君のマンションを訪れた。
いつもは男の一人暮らしなのに比較的片付いている彼の部屋に、着終えたシャツが丸めて置いてあったり、ゴミ箱に入りきらなくなったゴミをビニール袋に入れたまま置いてあったりで、気の毒だった。
「少し誰かに仕事を振るとか、一日くらい休暇もらうとか」
そう言うと、軽々と笑って見せるんだけど。
「みんな自分の仕事がないわけじゃないでしょ。それに、ちゃんと分担はしてるから」
上司も後輩もそれなりに協力はしてるし、大プロジェクトなので関わっている人は確かに多くても、施主や建築会社から見ると担当はあくまでも山口君で、それだけでも大きな負担なのだろう。
「嫌にならない?」って話を振っても、「嫌だよ」なんて笑う。
本当は笑えないほど疲れてるのは、すこしこけた頬でわかっちゃうけど。
「紅葉、間に合うかな?」
「まさか、竣工後までは続かないでしょ。もうちょっとだから」
泊まった日から山口君は微妙に口調が柔らかくなっていて、会社の中でもその口調で喋る。
どうしました?ま、みなさん気がつかれてませんが。
三枝さんと話してることが増えたなと思ったのは、物件が大方らちがあいて、山口君が本調子に戻ってきたと感じた頃だった。
設備施工部にふらふらと寄っていっては三枝さんと話し込んでいる。
今まで、どの女の子とも等間隔に距離を置いて「憧れのお兄さん」で居続けた人の行動じゃない。
後輩とランチに行ったとき「山口さんって三枝さんと仲いいですよね」なんて話を振られて、どう答えていいのかよくわからない。
三枝さんにはつきあっている人がいる筈だし、山口君がミエミエのアプローチをかけるなんてありえない。
何か別の目的があるんだろうけど、何も知らないし。
知らないってことが何かこう、胸に詰まったような錯覚をおこす。
知りたいってことは、その人が気にかかるってことだな。