麩鱈家十江九内です。
初めまして、小説家を目指す皆様。後輩です。
人は自分に無いものを持っている人に惹かれやすいと聞いたことがあります。私、麩鱈家十江九内の好みの人間は顔がよくて、背が高くて、頭がよくて、優しい人でございます。
この一文で私がどんな人間か大体想像つくでしょう。そうです、私は自分の好みとは真逆の人間でございます。
そんなことないと思いたいのは山々ですが、今までの人生が、目の前にある鏡が、そう自認して生きろと言い切ってくるのです。私の思い込みかもしれませんが、もうよくわかりません。
そんな私がなぜなろうへの投稿を始めたのか、答えは単純です。自分には価値があると思いたいのです。才能があると思いたいのです。こんな自分でも面白い話が書けるのだと自分自身に証明したいのです。
最初の数行でもわかる通り私にはこれと言った取り柄がありません。容姿が優れているわけでもなく、人々が羨むような学歴も無く、他者に見返りなしで手を差し伸べれるような心の余裕がありません。
そんな私でももし皆様が私の書いた小説で少しでも面白いと思ってくれたなら、沢山の感想を寄せてくれたなら、そして夢物語なのは重々承知してますが、あわよくば書籍化して私に印税ががっぽり入ってきたならば、私は自分には価値があると自分自身に証明できるのです。まあ、言うなれば承認欲求を満たしたいのです。
他者の評価で自分の価値を決めつけるのは良くないのは私でも分かります。理解できます。しかし、それが出来ません。何故ならそもそも自分に価値がないと思っているからです。自己肯定感を高めたくても自分のどこを好きになればわからないのです。
私という人間は言うなれば石ころです。石ころにどんな価値があるのでしょう。道端で探せばいくらでも見つかるような、なんの変哲もない石ころのどこを愛せばいいのでしょう。人々に蹴られて他の石とぶつかりまくった結果削れて角がなくなり丸みを帯びた形を愛せばいいのでしょうか。他と同じような、でこぼこした灰色に美しさを見出せばいいのでしょうか。人に踏まれることで音を奏で、誰かがこの砂利道を歩いているという情報を近所の住民に知らせる健気さを可愛らしいと思えればいいのでしょうか。
私には、無理です。私は石ころを愛することも、美しいと見出すことも、可愛らしいと思うこともできません。石ころは、どう転んでも石ころです。
でもそんな石ころが筆を持ち(もしくはパソコンを立ち上げ)石ころどころか人間を楽しませるような物語を書き上げたなら、とても興味深い存在に思えないでしょうか。私がもしそんな石ころに出会ったら1時間後には研究所かどこかしらの施設に売り飛ばしてると思います。なぜならその石ころには価値があると思うからです。そんな石ころになれたなら、私は初めて自分自身を認めることができるしどうしようもない承認欲求を満たせると思うのです。
そんな存在になりたいが為に、私はなろうのサイトにアカウントを登録しPCを立ち上げこのような拙いエッセイもどきを書き始めたのです。
すぐさま面白い話を書けるとは思っておりません。でも、何かを書くことはいつまでも続けたいです。
つまり何が言いたいかと言うと、これから私、麩鱈家十江九内をよろしくお願いいたします。




