1.私の日常
…ボーン、ボーン、ボーン―—
静寂の中で、濁った鐘の音が鳴り響く。
狭い空間のせいか、反響するその音は、私の心臓を直接叩いているようで息が苦しい。私は、重たげな音圧に押し出されて瞼を開いた。
「…⋯⋯うそ。寝てたの私?
⋯しっかりしないと」
バチンッ、と甲高い音。
少し強く叩きすぎたせいか、頬がピリピリとして熱い。でも、目は覚めたと思う。
私は叩いた箇所を擦りながら、未だに鈍重な音を響かせている柱時計を見つめる。
柱時計が指し示す時刻は、午後三時。
昼ごはんと夜ごはんの真ん中ぐらいの時間帯。
いわば、小腹を満たすためにお菓子などが欲しくなる時間帯とも言う。
何故か午後三時に、正午の鐘が鳴るこの柱時計——取り外そうとすれば、壊れそうなのでそのまま放置しているのだが――のせいで、私は毎回嫌でも「おやつの時間」を意識させられてしまう。
いつもなら仕事の合間に飴の一つくらいは口にするけど、今日は禁止。
仕事中に居眠りをしてしまうなんて、店番失格にもほどがある。
自分への戒めとして、カウンターに出していた飴玉を掴み取り、引き出しの奥へと放り込んだ。
「‥‥」
空腹をごまかすため、私は視線を周囲に向ける。
視線の先には、色とりどりの飴玉に、スナック菓子や瓶ラムネ、パチンコガムなどが映り、まるでお祭りの屋台を凝縮したかのように思えて、眺めているだけで胸が弾んだ。
私がいるこの場所は、
「駄菓子屋 みなせ」。
私こと、水瀬莉緒の生活拠点で、私の心を癒やしてくれる大切な場所。学校もバイトもない日曜日は、こうして一日中店番をしているのだ。
実を言うと、生まれた時からここで暮らしていたわけではない。
この店は元々、父方のおばあちゃんが一人で切り盛りしていた場所だった。
今よりも周囲にコンビニやスーパーが少なかった頃はかなり繁盛していたらしく、子供から学生、高齢者の方など、多種な層の人々がこの店に来ていたという。店先にある大きい庭では、餅つきや流しそうめんなど季節の風物詩が行われていたとか。
「私も……はぁ…」
店内の古びた看板を見つめながら、深く溜息をつく。
…あれから二年が経っても、私は未だに引きずっているらしい。
このままではまともに接客ができないと、二度目の顔たたきをした、ちょうどその時、
「あっ!今日もいる!」
「よし!今日も新種ゲットするぞー!」
「皆であれ、言おうぜ!」
「「うん!いいね!」」
「せーの」
「「「や~い!乳でか乳牛女~!」」」
「‥‥げっ」
聞き覚えのある――いや、ほとんど毎週日曜日に聞いている声。
あまり好ましくないあだ名を呼ばれて、ため息が漏れそうになる。
だけど、そんな沈んだ息は吐き出さず、1回飲み込んで、短く息を出す。
『お客さんには元気に振る舞うべし』
短い期間しか一緒に居られなかったけど、私にとって大切な思い出。しっかりとノートに書き留めて、毎日見返している。
子供達の前まで移動した私は、人差し指を突きつけて、声高々に宣言した。
「もう!何度いったらいいの?あれは、ピチピチの牛柄ビキニを着たから、大きく見えただけ!本当のサイズは、そんなに大きい方じゃないし、乳牛じゃなくて、スレンダーなメスライオンっていつも言ってるでしょ!」
「”もう!”って、やっぱり牛さんじゃん!」
「めちゃくちゃ早口で、ウケる~!」
「図星じゃん!」
ケラケラと笑う少年達。
完全に舐められている。
この子達との交流も意外と長く、初めての邂逅から1年ぐらい。月に3〜4回、ここを拠点として、遊びに来て、「一緒に遊ぼう」と誘われたりするのだ。
私も初めは、仕事中だからと断っていたのだが、この子達以外のお客さん――おばあちゃんがいた時から通っている人――に「子供達に付き合うことも立派な仕事だよ」と言われたことと、「ほとんど座ってるだけで何もしてないじゃん」と、子供達にかなり心に来る言葉を受けて、たま〜に、的あてや型抜き等に付き合っている。
ここで、一つ訂正しておくことがある。
別に、ただ座っているだけが仕事じゃない。
お客さんが触って散らかった駄菓子を見栄え良く整理整頓したり、掃除したり、商品札のポップ作りをしたり、子供の勉強を手伝ったり、相談に乗ったり、読み聞かせをしたり⋯あれ?ここ駄菓子屋だよね?
まあ、色々言ったわけだけども、
さっき居眠りしていた奴が偉そうに言えることではない。
もう、二度とあんな怠慢は許されない。
私は、いまだに生意気を言う子供達を前に、ニッコリと笑みを浮かべる。
「そう、訂正する気はないみたいね……。
それなら、私が捕食者としての威厳を見せてやろうじゃない!
食っちまうぞー! ガオーー!!」
「わ~!!乳牛女が暴れてるー!」
「逃げろ、逃げろー!」
「捕まったら、ミルクかけられるぞー!」
私はわざと猫背になって、ライオンの鳴き真似をしながら彼らを追いかける。
一人の少年が庭から道路へ逃げ出すのを捉え、私は一気に距離を詰めた。
「へへ、観念しなさい!まったく、食べ応えのありそうなお肉ね!」
ガブガブと、座り込んだ子供のほっぺを引っ張っていると
「ふっ、あははは!」
「ん?なんでそんなに笑ってるの?」
視線をしゃがみ込む子供から正面に移すと、
そこには見覚えのある女性が二人。
「久しぶり〜莉緒ちゃん!」
「本当に、いつも息子の相手してくれてありがとね」
シックな秋コーデと艶やかなメイクで、美しさが際立っている二人の女性。
その2人の女性の正体は、この子供達の母親で毎週ではないが、それなりに来てくれる常連客である。
私は、そんな2人の前で、ガオガオとライオンのマネをしながら、みっともない醜態を晒していた⋯
(やっば、めっちゃ恥ずかしいんだけど!)
顔が一瞬で熱くなるのを、肌身に感じる。
私が恥ずかしさで動けずにいると、少年は、私の腕からするりと抜け出し、黒い長方形を私に向ける。
カシャッ!
「いえーい!また、新種の変顔ゲットした~!!」
「はめられた⋯!」
勝ち誇った少年の声を耳にしながら、私は亀のようにゆっくりとした動作で立ち上がる。
目の前では二人の女性が、至極優しげな瞳で私を見ていた。
「えっと……お久しぶりです。篠原さん、如月さん」
落ち着いているように振舞えているつもりだけど、内心では心臓のバクバクが止まらない。
今すぐ身体がドリルとなって、地下深くまで行けないだろうか。
「体よ、回転しろー!」と心の中で、念じていると、
「⋯いつも見たいに、ママって呼んでいいのよ?」
「いや、一度もそんな呼び方したことないですよね!?」
「莉緒ちゃんがライオンってことは、もしかして私達食べられちゃう〜?」
子持ちの女性が、悪戯っぽく微笑みながら身を抱きしめる姿は、何かこう‥‥ぐっとくるものがあると思います。はい。
私は、ブンブンと雑念を追い払って、言い訳を考えるべく、頭を高速回転させる。
「そ、そんな事しませんよ!
⋯そもそも、さっきのは文化祭で出すパンの考案に必要でして! ライオンの顔をしたパンを作る予定なんですけど、そのためには……その、ライオンになりきることと、子供の柔らかなほっぺを触って質感を確かめる必要があったので!」
決してどうぶつごっこがしたかった訳ではないと力説する。
確かに、パンを出すのは本当だけど、ライオンにするとは決まってないし、まだ1ヶ月半後だし。
そして何より、パン作りのために、子供のほっぺを触る必要があるって何?
これじゃあ、どう考えても、
「子供のほっぺを触りたいがためにライオンを自称するショタ好き変態女」だよ…
「へー、新作に必要なことなのね…」
「それで、ライオンの真似して、ほっぺを揉んでいたと…」
2人の視線が痛い。
「なら、揉まれる経験も必要よね!」
「私も、そう思う!」
え?
「えっ、ちょっと……まっぺ!?」
「かぷ。莉緒ちゃんのほっぺ、食べられちゃったね⋯?すっごく美味しいよ」
「よしよし、お利巧なライオンさんだね~、偉いよ、莉緒ちゃん」
優しく伸ばされるほっぺと、何度も撫でられる頭。
柔らかな指の感触と、耳元で囁かれる声に、私は羞恥心で爆発しそうだった。
(ダメ、これ……。なんか、とろけちゃいそう…!)
その後、しばらく好き放題に遊ばれた私は、ふにゃふにゃの状態で二人を店内へ案内し、何種類かの手作りパンとお茶を出した。
一旦、キッチンに行ったおかげか、ふにゃつきはなくなったけど、心音はまだドクドク高鳴っている。
私は落ち着かない気持ちを抱えたまま、恐る恐る口を開いた。
「あの⋯、先ほどはお見苦しい所をお見せして、すみませんでした」
「全然、気にしなくていいよー。莉緒ちゃん、めっちゃ可愛いかったよ!」
「そうそう、息子なんていつも、『おちょくりがいがあって面白れぇ女』って言ってるんだから。ホント、いつも遊んでくれてありがとね」
「そ、そんなことは‥ん?篠原さん、それ私、めちゃくちゃなめられてませんか? ていうかその前に、年上や女性に対する接し方とか言葉遣いを息子さんに教えていただけません?」
「大丈夫よ!こんなことするの、莉緒ちゃんに対してだけだから!写真も、私のスマホだから安心してね!」
「そうそう、私も共有させてもらってるけど、他の人には誰にも見せてないから、大丈夫!」
「何も、大丈夫じゃない…」
愚痴をこぼしながら肩を落とすも、目を合わせれば自然と笑みが浮かぶ。
これも、店番の楽しみの一つ。
信頼できる誰かと会話ができ、心がじんわりと温かくなる場所。そしてなにより私が守るべき大切な日常。




