第7部 第6話:レンチを拾う者
フェリシア削除が進み、彼女は物語から消えかける。だが最後に放った“黒いレンチ”が、リリィの世界へ落ちる。誰も覚えていないはずの名前が、レンチを通して響き始める。聖女は初めて、自分の意志で世界に反逆する。
世界は静かに、リリィを消そうとしていた。
祝祭は続く。鐘は鳴り、拍手は揃う。誰も泣かず、誰も怒らない。幸福なまま、処刑が進む。
《DELETE PROGRESS : 97%》
リリィの身体は薄く、指先は透明に、足元の感覚も消えゆく。視界は白くぼやけ、心臓だけが遠くで響く。
(……もう、終わり……?)
恐怖が骨の髄まで染みる。
皮膚が剥がれ、息をするたびに虚空をかき分ける感覚。
絶望が全身を覆う。
その時、空から金属音。
カン――。
誰も振り向かない。
だがリリィだけが止まった。胸を突かれたように。
台の下、花びらの上に黒いレンチ。
黒い。幸福の白に混じらない、誤差の色。
指が震え、触れた瞬間、脳内で弾けた。
熱い記憶。
乱暴な声。
怒りの笑顔。
不器用な優しさ。
「……フェ……」
消されるはずの声が、体の奥から湧き上がる。
祝祭の音が途切れ、世界がざわめき始めた。
人々の笑顔が崩れ、鐘が狂う。
《ERROR》
《UNAUTHORIZED MEMORY RESTORE》
透明だった肌に色が戻り、呼吸が戻る。
リリィは震える手でレンチを握る。
胸の奥で、誰かの意思が呼吸している。
(……フェリシア……私にできるの……?)
迷いと恐怖を抱え、深呼吸。
指先に伝わるレンチの重みが、勇気に変わる。
「……返してください」
小さくても世界に向けた命令。誰も止められない。
「フェリシアを……返してください!!」
リリィの決意とレンチの黒が白い世界を裂く。
光が揺れ、回路が悲鳴を上げる。
《DELETE PROCESS : INTERRUPTED》
《REASON : NEW PROTAGONIST DETECTED》
深く息を吸い、胸の奥から力を湧き上がらせる。
「私は聖女です」
「でも、今日は……聖女をやめます」
涙を浮かべ、偽りのない笑顔で。
幸福じゃない、本物の笑顔で。
レンチを握り、地面を叩く。
「フェリシアが世界を殴ったなら」
「次は私が殴ります」
ガンッ!!
地面が割れ、白い回路が裂け、世界が初めて恐怖した。
遠くで、かすかな声。
『……よくやった』
フェリシアの声。
もう存在しないはずの声。
リリィは涙をこぼし、そっと囁く。
「……待っていてください」
「必ず、奪い返します」
――聖女はレンチを握り、世界に宣戦布告した。
驚愕の主人公交代!これで第7部完です。
明日の同時刻に第8部を投稿します。




