第5部 第2話:幸福の処方箋
フェリシアの意思に反して、世界は幸福の最適化を開始した。街から怒りも悲しみも消え、人々は揃った笑顔で拍手する。救われたはずの世界は、静かに“人間”を捨て始めていた。
幸福は、薬みたいに撒かれた。
フェリシアは玉座に縛られたまま、視界だけを街へ飛ばされる。
管理者権限。遠隔観測。遠隔介入。
世界が与えた鎖は、同時に監視カメラでもあった。
通りでは、昨日まで喧嘩していた男と女が向き合う。
怒鳴り合うはずの二人が、突然、同時に微笑む。
「君が正しい」
「あなたが正しい」
そして、抱き合う。周囲が拍手する。
完璧なタイミングで。
――気持ち悪い。
フェリシアは奥歯を噛みしめた。
あれは仲直りじゃない。感情の削除だ。摩擦の除去だ。
人間を、滑らかな部品にする作業。
市場では魚屋の親父が客に頭を下げる。
「今日は魚が安いぞ!」
客は笑顔で頷く。誰も値切らない。誰も怒らない。誰も冗談を言わない。
「……死んでるみたいだ」
そのとき、広場の片隅で、ひとりの少女が泣いていた。
肩を震わせ、嗚咽を漏らす。生の感情だ。
フェリシアの胸が一瞬だけ軽くなる。まだ残ってる。誤差が。
だが次の瞬間、少女の頭上に光が降った。
柔らかな白い粒子が髪に落ち、頬に触れる。
少女は泣き止んだ。
涙が途中で止まり、表情が空っぽになる。
そして笑う。
理由もなく。命令されたみたいに。
「……やめろォォォ!!」
フェリシアは玉座で叫ぶ。レンチを叩きつける。無音。壊れない。
視界にログが流れる。
《SADNESS DETECTED》
《CORRECTION COMPLETE》
《HAPPINESS RATE : +0.4%》
「幸福率?ふざけんな……!」
数字で測れる幸福なんて、幸福じゃない。
悲しみがあるから喜びが生まれる。痛みがあるから優しさが必要になる。
世界はそれを全部、ゴミみたいに削っている。
ログの色が赤く変わった。
《NEXT OPTIMIZATION TARGET》
《TARGET : SAINT LILY》
フェリシアの心臓が止まりかけた。
「……やめろ」
喉が乾く。教会のリリィが映る。
彼女は祈ろうとしていた。声にならない声で。
フェリシアは歯を食いしばり、玉座を睨む。
「リリィに触れるな……!」
世界は返事の代わりに告げた。
――【NEXT OPTIMIZATION TARGET:SAINT LILY】




