第7話「二つの道」
私は証拠の束を手に取った。
デビューから四ヶ月。アルヴィン殿下の諜報網が集めた、セレスティナの不正の記録。神殿への賄賂、聖女認定の裏工作、全てが詳細に記されていた。二週間待った甲斐があった。
殿下の書斎で、私は紙の束を見つめていた。
「これで十分だ」
殿下が言った。椅子に腰掛け、私を見ている。
「神殿の記録、金の流れ、証人の証言。これだけあれば、セレスティナを追い落とせる」
私は頷いた。証拠は揃っている。あとは、これをどう使うか。
「問題は、誰がこれを使うかだ」
殿下が立ち上がった。窓辺に歩き、外を見る。
「二つの選択肢がある」
私は黙って待った。
「一つ目。この証拠をヴィオレッタ嬢に渡す。彼女が公の場でセレスティナを告発する。お前の姉の功績になる」
姉の功績。これまでと同じ方法だ。
「二つ目。俺がこの証拠を使う。俺が公の場でセレスティナを追及する」
殿下が振り返った。
「どちらを選ぶ」
私は証拠の束を見つめた。
姉に渡せば、姉は政争の渦中に立つことになる。告発者として、セレスティナの敵として。姉にその覚悟があるだろうか。姉に、その力があるだろうか。
これまで私は、姉に知識を与えてきた。政治、外交、社交術。けれど、権力闘争の最前線に立つ経験は、与えていない。
「姉は、これを使えるでしょうか」
「分からない。だが、機会を与えなければ、永遠に分からないままだ」
殿下の言葉は、正しかった。けれど——。
「殿下。私は、姉を戦場に出したくありません」
口に出してから、自分の本心に気づいた。
姉を守りたい。それは本当だ。けれど同時に、姉を政争に巻き込みたくないという気持ちもあった。姉には、穏やかに、幸せに生きてほしい。
「ならば、俺が使う。それでいいな」
私は頷いた。
「お願いします」
殿下が近づいてきた。私の前に立ち、見下ろす。
「分かっているな。俺がこの証拠を使えば、お前は俺の協力者になる。もう、引き返せない」
私は殿下の目を見た。
「分かっています」
「後悔するなよ」
「しません」
殿下が手を伸ばした。私は証拠の束を、その手に渡した。
離れに戻る馬車の中で、私は窓の外を見ていた。
選択をした。姉に証拠を渡すのではなく、殿下に渡すことを選んだ。
それは、姉を守るための選択だった。けれど同時に、姉の成長の機会を奪う選択でもあった。
本当に、これでよかったのだろうか。
姉は今、私の助言書に頼っている。私が与える知識を、自分のものとして使っている。それは姉を守ることになっている。けれど、姉を自立させることにはなっていない。
私がいなくなれば、姉はどうなるのだろう。
私は目を閉じた。
考えても仕方がない。今は、セレスティナを追い落とすことが先だ。姉の自立は、その後で考えればいい。
そう、自分に言い聞かせた。
けれど、胸の奥の棘は消えなかった。
三日後、ハンスが報告を持ってきた。
「リーネ様。アルヴィン殿下が動かれました」
私は顔を上げた。
「詳しく」
「来週の王宮晩餐会で、セレスティナ様を追及なさるとのことです」
来週。思ったより早い。
「殿下は、証拠を公の場で示すつもりか」
「おそらくは。王族が、王の面前で告発する。それ以上の効力を持つ場はございません」
私は頷いた。
王族の告発。それは、この国では絶対的な意味を持つ。王族の言葉は法的効力を持つ。アルヴィン殿下がセレスティナの不正を暴けば、セレスティナは逃げられない。
「姉は、その晩餐会に出席するのか」
「はい。エドワード殿下の婚約者として」
姉も、その場にいる。セレスティナが追い落とされる瞬間を、姉は目撃することになる。
「姉は、何か気づいているか」
「いいえ。ヴィオレッタ様は、何もご存じないようです」
当然だ。私は姉に何も伝えていない。姉は、普段通りの晩餐会だと思っているはずだ。
「ハンス」
「はい」
「来週の晩餐会、私も潜入する」
ハンスの顔に、驚きが浮かんだ。
「リーネ様。それは危険です」
「分かっている。けれど、見届けたい」
セレスティナが追い落とされる瞬間を。前世で私を陥れたあの女が、全てを失う瞬間を。
「手配をお願いできるか」
ハンスは数秒、沈黙した。それから、深く頭を下げた。
「畏まりました」
夜、私は窓辺に立っていた。
来週、全てが変わる。セレスティナは追い落とされ、姉は安全になる。私の計画は、一つの区切りを迎える。
けれど、胸の奥には不安があった。
姉を戦場に出したくない。その選択は、本当に正しかったのだろうか。
姉は、私に依存している。私が与える知識がなければ、姉は今の地位を保てない。それは、守っているのか。それとも、縛っているのか。
私は目を閉じた。
分からない。正しい答えなど、ないのかもしれない。
けれど、選択はした。もう、引き返せない。
来週の晩餐会。全てが、そこで決まる。




