第6話「聖女の仮面」
セレスティナ・ヴェルトとは、一体何者なのか。
私は離れの机に向かい、これまで集めた情報を整理していた。デビューから三ヶ月と一週間。アルヴィン殿下との会話から一週間。殿下の申し出はまだ保留にしているが、セレスティナについて調べることは始めていた。
没落男爵家の令嬢。神殿で「聖女の兆し」を認定され、宮廷に招かれた。清楚で控えめな振る舞い。貧しい人々への施し。
全てが、作られた姿だった。
前世の記憶がある私には分かる。あの女の本性を。計算された謙虚さ、演じられた優しさ。そして、その裏にある野心を。
けれど、記憶だけでは証拠にならない。
私は窓の外を見た。曇り空。雨が降りそうだった。
アルヴィン殿下は、セレスティナの聖女認定に不正があったと言っていた。神殿への賄賂。没落男爵家が、どこからその金を用意したのか。
その証拠が、殿下の手にある。
私は一人では、それを手に入れることができない。ハンスの情報網では限界がある。公爵家の使用人という立場では、神殿の内部まで調べることは不可能だ。
殿下の協力が、必要だった。
翌日、私は殿下に会いに行った。
場所は、王都の外れにある古い屋敷。殿下が密かに使っている拠点だと、前回の会話で聞いていた。ハンスの手引きで公爵邸を抜け出し、馬車を乗り継いでたどり着いた。
「来たか」
殿下は屋敷の書斎で待っていた。従者の姿はない。本当に、一人だった。
「殿下。お時間をいただき、ありがとうございます」
私は深く頭を下げた。
「堅苦しいのは抜きだ。座れ」
殿下が椅子を示した。私は躊躇いながらも、腰を下ろした。
「申し出について、考えた」
「ああ」
「殿下の協力者になることは、まだ決められません。けれど——」
私は殿下の目を見た。
「セレスティナについて、調べさせてください。殿下の諜報網を借りて」
殿下の眉が、わずかに上がった。
「協力者にはならないが、情報は欲しい、と」
「……はい」
「虫のいい話だな」
殿下の声には、怒りはなかった。むしろ、面白がっているような響きがあった。
「だが、いいだろう。お前の能力は本物だ。セレスティナを調べる過程で、俺の役に立つこともあるだろう」
「ありがとうございます」
「礼はいい。その代わり、条件がある」
「条件」
「調べた結果は、全て俺に報告しろ。お前が単独で動くことは許さない」
私は頷いた。それは、当然の条件だった。
殿下の諜報網は、私の想像以上に広かった。
王都の商人、神殿の下級神官、貴族の使用人。様々な立場の人間が、殿下のために情報を集めていた。放蕩者を装いながら、密かにこれほどの組織を作り上げていたのか。
「セレスティナの聖女認定について、詳しく調べてくれ」
殿下が指示を出すと、三日で報告が届いた。
報告書を読む殿下の隣で、私も内容を確認した。
「聖女の兆し」の認定。それは神殿の最高神官が行う儀式だった。清廉な心、神への献身、人々への慈愛。それらを備えた者に与えられる称号。
だが、セレスティナの認定には、不自然な点があった。
「認定の直前に、神殿に多額の寄付があった」
殿下が報告書の一部を示した。
「寄付者の名前は伏せられている。だが、金の出所を辿ると——」
「ヴェルト男爵家に繋がる」
「ああ。没落した男爵家が、どこからこれだけの金を用意したのか」
私は報告書を見つめた。
「借金、ですか」
「違う。もっと汚い話だ」
殿下が別の紙を取り出した。
「ヴェルト男爵家は、領地の鉱山採掘権を売っていた。買い手は、王都の大商人。だが、その商人の背後には——」
「誰が」
「分からない。まだ調べがついていない。だが、相当な権力者だ。没落男爵家を操り、聖女を作り上げ、宮廷に送り込む。何かの目的があるはずだ」
私は考え込んだ。
前世では、ここまでの背景は知らなかった。セレスティナが讒言で私を追い落としたことは覚えている。だが、その背後に誰かがいたとは。
「この証拠だけでは、セレスティナを追い落とせない」
「ああ。寄付と認定の関係を証明できなければ、不正とは言えない」
「もっと直接的な証拠が必要です」
「分かっている」
殿下が立ち上がった。
「神殿の内部に、協力者がいる。そいつを使って、認定の記録を調べさせる」
「記録」
「聖女認定の儀式には、記録が残る。最高神官の判断理由、立ち会った神官の証言。その中に、不正の痕跡があるはずだ」
私は頷いた。
「時間がかかる」
「どれくらい」
「二週間。それ以上は待てない。セレスティナの動きが、加速している」
姉への讒言。エドワード殿下への接近。前世と同じ道を、あの女は歩んでいる。
「分かりました。二週間、待ちます」
「ああ。その間、お前は動くな。余計なことをすれば、セレスティナに気づかれる」
殿下の目が、私を捉えた。
「お前の正体を守るためでもある」
私は頭を下げた。
離れに戻ったのは、夜遅くだった。
ハンスが扉の前で待っていた。
「リーネ様。お戻りなさいませ」
「ただいま」
私は部屋に入り、椅子に腰を下ろした。
セレスティナの証拠。あと二週間で手に入る。
手に入れたら、どうする。
姉に渡すか。アルヴィン殿下に渡すか。それとも、自分で使うか。
姉に渡せば、姉の功績になる。これまで通りの方法だ。けれど、姉はそれを使えるだろうか。政争の渦中に、姉を巻き込むことになる。
殿下に渡せば、殿下が動く。私は影のまま、表に出ずに済む。けれど、それは殿下の協力者になることを意味する。
私は窓の外を見た。
闘争に巻き込まれていく。自分の意志とは関係なく。
姉を守りたい。それだけだったはずなのに。
気づけば、私は宮廷の権力闘争の渦中にいた。アルヴィン殿下という、危険な存在の傍に。
不安がある。けれど、同時に、別の感情もあった。
復讐への手応え。
セレスティナを追い落とす。前世で私を陥れたあの女を、今度は私が。
その感情は、暗くて、冷たくて、けれどどこか心地よかった。
私は目を閉じた。
あと二週間。証拠が手に入るまで、待つしかない。




