第10話「影、光を見る」
姉と会う。その決意は、私の中で固まっていた。
ハンスに伝言を頼んでから、二日が経った。姉からの返答はまだない。けれど、私は待つしかなかった。
離れの窓から、本邸の方角を見つめる。あの屋敷の中に、姉がいる。私の存在に気づきかけている姉が。
助言書の筆跡を調べているという報告。姉は、真実に近づいている。ならば、私から全てを話すべきだ。姉が自分で答えにたどり着く前に。
怖い。
その感情は、否定できなかった。姉に会うことが。真実を話すことが。姉がどう反応するか分からないことが。
けれど、逃げることはもうできない。
三日目の朝、ハンスが来た。
「リーネ様。ヴィオレッタ様が、離れにいらっしゃいます」
心臓が跳ねた。
「姉が、ここに」
「はい。今、庭を歩いていらっしゃいます」
私は窓辺に駆け寄った。
庭の小道を、一人の女性が歩いてくるのが見えた。淡い紫のドレス。見覚えのある姿。
姉だ。
私は深呼吸をした。
逃げない。隠れない。今日、全てを話す。
玄関の扉を開けると、姉が立っていた。
私たちは、互いを見つめた。
姉の顔には、複雑な感情が浮かんでいた。驚き。困惑。そして、何かを確かめようとする真剣さ。
「あなたが——」
姉の声が、震えていた。
「助言書を、書いていた人」
私は頷いた。
「はい」
「誰なの。あなたは」
私は一歩下がり、扉を大きく開けた。
「中へどうぞ。お話しします」
離れの居間は狭かった。質素な調度品。古びた家具。本邸の華やかさとは、まるで違う空間。
姉は部屋を見回していた。その目には、戸惑いがあった。
「座ってください」
私が椅子を示すと、姉はゆっくりと腰を下ろした。私は向かいの椅子に座った。
沈黙が流れた。
どこから話せばいいのか分からなかった。十五年分の真実を、どう伝えればいいのか。
「……あなたの顔」
姉が口を開いた。
「わたくしに、似ている」
「はい」
「なぜ」
私は姉の目を見た。
「私は、あなたの双子の妹です」
姉の顔が、凍りついた。
「双子の——」
「公式には、死産として届けられました。けれど、実際には生きていた。この離れで、十五年間」
姉は何も言えなかった。その目には、理解が追いつかない混乱があった。
「父上の命令でした。双子は不吉だと。だから、私の存在は隠された」
「そんな——」
姉の声が、掠れた。
「わたくしは、何も知らなかった。妹がいるなんて——」
「知らなくて当然です。あなたには、何の罪もない」
私は立ち上がり、窓辺に歩いた。姉の顔を見ていられなかった。
「助言書は、私が書きました。あなたを守りたかった。あなたが、セレスティナに陥れられるのを防ぎたかった」
「なぜ、そこまで」
姉の声が、背後から聞こえた。
「会ったこともないのに。なぜ、わたくしを守ろうとしたの」
私は振り返った。
「あなたは、姉だから」
それ以上の言葉は、出てこなかった。前世の記憶のことは、話せない。話しても、信じてもらえない。
姉は私を見つめていた。その目に、涙が浮かんでいた。
「わたくしの功績は——」
「あなたの努力は、本物です」
私は姉の前に戻った。
「私は知識を提供しただけ。それを活かしたのは、あなた自身。社交界での振る舞い、人との対話、全てあなたがやったこと」
「でも、知識がなければ——」
「知識は道具です。使いこなすのは、人」
姉は俯いた。涙が、膝の上に落ちた。
「わたくしは、ずっと——」
「自分を責めないで」
私は姉の前に膝をついた。
「あなたは何も悪くない。知らなかっただけ。知らされなかっただけ」
姉が顔を上げた。涙で濡れた瞳が、私を見つめていた。
「あなたは——」
「リーネ。私の名前」
「リーネ」
姉がその名を呼んだ。初めて、姉に名前を呼ばれた。
「リーネ。これから、どうするの」
私は立ち上がった。
「アルヴィン殿下が、私に側近の地位を与えると言っています。表に出ろと」
「表に——」
「影として生きることに、限界が来ています。エドワード殿下が、私の存在に気づきかけている」
姉の顔が強張った。
「エドワード殿下が——」
「だから、私から動く。殿下に見つかる前に、自分の意志で表に出る」
沈黙が落ちた。
姉は私を見つめていた。その目に、新しい感情が浮かんでいた。決意に似た何か。
「わたくしも、知りたい」
「何を」
「全てを。あなたのこと。父上のこと。なぜ、こんなことになったのか」
私は頷いた。
「話します。時間がかかるけれど」
「構わない」
姉が立ち上がった。私の手を取った。
「あなたは、一人じゃない。もう」
その言葉に、胸が震えた。
夕方、アルヴィン殿下から使いが来た。
「明日、俺の屋敷に来い。話がある」
短い伝言だった。けれど、その意味は分かっていた。
私は返事を書いた。「参ります」と。
夜、離れの窓から星を見上げた。
姉と会った。真実を話した。姉は、受け入れてくれた。
明日、アルヴィン殿下に会う。側近になることを、受け入れる。表に出ることを、決める。
影として生きてきた。けれど今、光の中に出ようとしている。
怖い。不安もある。けれど、同時に、希望もあった。
アルヴィン殿下の言葉が、頭の中で響いた。
「お前が決めたことは、俺が守る」
姉の言葉も。
「あなたは、一人じゃない」
私は、もう一人ではない。
新しい人生が、始まろうとしていた。
(完)
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