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悪役令嬢だった私は五年前の双子の妹として転生したので姉を陰から支えます  作者: 月雅


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第1話「影の始まり」



冷たい床の感触で、意識が浮上した。


私は目を開ける。見慣れた天井。見慣れた薄暗さ。窓から差し込む光は弱く、埃が舞っているのが見えた。


ここは、離れだ。


私は上体を起こした。体が軽い。手を見る。小さい。傷もない。処刑台で縛られた跡も、爪が剥がれた痕も、何もない。


夢を見ていたのだろうか。


いいや、違う。


断罪の夜を、私は覚えている。エドワード殿下の冷たい声。セレスティナの泣き顔。そして、私を見捨てた人々の沈黙。


「ヴィオレッタ・グラティア。貴女を王家への反逆、聖女への迫害、数々の悪行により断罪する」


あの言葉は、今も耳の奥に残っている。


私は処刑されたはずだ。首に刃が落ちる瞬間の、あの冷たさ。


なのに、なぜ。


ゆっくりと部屋を見回した。質素な寝台。古びた机。最低限の調度品。私の部屋——グラティア公爵家の令嬢として与えられた豪華な部屋とは、まるで違う。


「お目覚めですか」


声がして、私は振り返った。


扉の前に、老齢の男が立っていた。白髪交じりの髪。深い皺の刻まれた顔。執事の装いをしているが、私の知る執事長ではない。


「……誰」


声が掠れた。自分の声ではないような、幼い響き。


「ハンスと申します。リーネ様のお世話を仰せつかっております」


リーネ。


その名前に、心臓が跳ねた。


「私の、名前は」


「リーネ様。グラティア公爵家の……」


ハンスは一瞬、言葉を切った。その沈黙の中に、何かがあった。


「お生まれになってから十五年、この離れでお過ごしです」


十五年。


私は十五歳で処刑された。ならば今、この体は——。


「鏡を」


「はい」


ハンスが差し出した小さな手鏡を、私は受け取った。映っていたのは、見覚えのある顔。けれど、私の顔ではない。よく似ているが、どこか違う。髪の色が少しだけ淡い。目の形が少しだけ丸い。


双子。


記憶の底から、かすかな声が蘇った。産婆の囁き。「双子でございます」という言葉。そして父の——ルシアン・グラティア公爵の冷たい返答。


「一人は死産だった。いいな」


あれは、本当のことだったのだ。


私には双子の妹がいた。リーネ。存在を消され、この離れに閉じ込められていた妹。


そして今、私はその妹の体にいる。


「リーネ様。お加減が優れないのでしたら、医師を——」


「いい」


私は手鏡を返した。ハンスは黙って受け取る。その所作は丁寧だったが、目には困惑があった。


当然だ。今までのリーネは、おそらくこんな態度ではなかったのだろう。


「ハンス。今日は何年の何月か」


「……五年前、でございますか」


「答えて」


「王歴三百十二年、春の月の十五日にございます」


五年前。


私が処刑されたのは、王歴三百十七年の冬。ならば今は、私がまだ生きていた頃。いや、「あの私」がまだ生きている頃。


つまり、姉が——ヴィオレッタ・グラティアが、まだ断罪されていない時代。


「姉は」


言葉が勝手に出た。ハンスの目が僅かに見開かれる。


「リーネ様は、ヴィオレッタ様のことを……」


「知っている」


嘘だ。この体の元の持ち主が知っていたかどうかは分からない。けれど、私は知っている。私自身が、かつてヴィオレッタだったのだから。


「姉の、今の状況を教えて」


ハンスは数秒、沈黙した。それから、深く頭を下げた。


「畏まりました。ただ、私の知る範囲は限られております」


「構わない」


「ヴィオレッタ様は、来月の夜会で社交界にお出になる予定です。エドワード第一王子殿下との婚約も、正式に発表されると聞いております」


姉の社交界デビューまで、あと一ヶ月。


婚約発表。


あの時も、そうだった。社交界デビューと同時に、王太子の婚約者として華々しく紹介された。誰もが私を羨んだ。誰もが私に微笑んだ。


けれど五年後、その誰もが私を見捨てた。


「それだけか」


「……セレスティナ様という方が、宮廷に出入りを始めたとも」


その名前に、体が強張った。


セレスティナ・ヴェルト。没落男爵家の令嬢。「聖女の兆し」を認定され、宮廷に招かれた女。


そして、私を追い落とした張本人。


もう動き始めている。


私は寝台から立ち上がった。足元がふらついたが、すぐに立て直す。この体は虚弱だ。ろくに外に出ていないのだろう。


「ハンス」


「はい」


「私は、これから姉を守る」


言葉にすると、決意が固まった。


前の人生で、私は愚かだった。セレスティナの策略に気づかず、エドワード殿下の心が離れていくのを止められなかった。周囲の讒言を信じた人々に断罪され、誰一人として味方がいないまま処刑台に送られた。


もう一度、同じことを繰り返すわけにはいかない。


けれど、私が表に出ることはできない。リーネは「存在しない」人間だ。公式には死産として届けられている。今さら現れれば、公爵家のスキャンダルになる。父は決して認めないだろう。


ならば。


「私は影になる」


「……影、でございますか」


「姉を陰から支える。姉が必要とする知識を与え、姉が避けるべき罠を教え、姉が握るべき機会を作る。全て姉の功績として」


ハンスは何も言わなかった。ただ、その目には複雑な光があった。


「リーネ様は、ヴィオレッタ様に会ったことがおありで」


「ない」


この体としては、一度もない。


「それなのに、なぜ」


「理由は聞かないで」


私はハンスの目を見た。十五年間、この離れでリーネを育ててきた老執事。父の命令に従いながらも、おそらくは罪悪感を抱えていた人。


「ただ、協力してほしい。姉の情報を集めてほしい。社交界のこと、宮廷のこと、セレスティナという女のこと」


「……私の立場では、限界がございます」


「それでいい。できる範囲で」


ハンスは長い沈黙の後、再び頭を下げた。


「畏まりました。リーネ様」


私は窓辺に歩いた。小さな窓から見えるのは、屋敷の庭の一角だけ。本邸の華やかさは、ここからは見えない。


五年。


五年あれば、変えられる。姉の運命を。そして——私を見捨てた者たちに、思い知らせることができる。


エドワード殿下。あなたは私を断罪した。あなたの判断が正しかったのか、いずれ分かる日が来る。


セレスティナ。あなたは私を陥れた。聖女の仮面の下の本性を、いずれ暴いてみせる。


父上、母上。あなた方は私を——いいえ、リーネを捨てた。その報いは、いずれ。


けれど今は、まだ。


今は姉を守ることだけを考える。


「ハンス。来月の夜会について、詳しく教えて」


「はい」


ハンスが語り始めた。夜会の日取り、出席者の予想、姉の立場、エドワード殿下との関係。


私は全てを記憶に刻んだ。


離れの窓から差し込む光は、相変わらず弱い。けれど私の中には、冷たい炎が灯っていた。


影として生きる。


それが、新しい人生の設計図。

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