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不幸のお知らせ、幸運のお知らせ



不幸のお知らせ。

何か、ゾゾっとする言葉であります。

私は不幸のお知らせが好きじゃありません。お知らせ、と言っても、身近な訃報とかではなくて。

家族が、新聞とかを読んでいて。

「ねえねえ竹美津、交通事故でトラックと正面衝突して〜才の人が亡くなったんだって!まだ若いのにねぇ。」

などと、知らない人の悲惨な事故の事などを言ってくるのです。

何かちょっと、聞いて聞いて!ニュースニュース!って風に。


知りたくない。


誰かが悲しい事になったお知らせを、知りたくないし、ちょっと心もキューとなります。悲しくなるんだ。


そういう悲しいニュースは、いいよ!って言うんだけど、まあちょっとだけどさ聞いてよ、って言ってきます。幼い子などが巻き込まれたニュースなんかだと余計に言ってきます。悲しい。つらい。


これって、私にはやな事なんだけど、家族が悪い、って事でもなくてですね。


家族は不幸のお知らせを、情報として、普通に取り扱って、悼んだりしながらも、かわいそうだねえ、って日常の生活として取り入れるのに耐えられる。だから気をつけなきゃね、って思って、事件事故情報を時に我が身に周囲に振り返ります。


私は不幸のお知らせには耐えられないので、シャットダウン気味です。

情報を利用する立場として考えると、ちょっと弱いんですね。世の中に不幸、沢山ありますでしょ?

全てをシャットアウトする訳じゃありませんが、不意に家族によって齎される不幸のお知らせは、本当苦手なんですよ。


精神的に健康かどうか、強いかどうか、ってちょっとこの事に関して常々思っていました。

きっと、家族の方が、私より、健康的なある種の鈍さを持っていて、強くもあるんでしょうね。

それは時に必要な、大人としての強さでもあります。家族は不幸のお知らせに、よく憤ったりしてるので、別に楽しんでる訳じゃないんですよ。でも、積極的選択的に、目に入って気にしちゃう。情報を分け合いたくも思う。


私の方が弱い。

まあでも、強さ弱さ健康さ脆さ、どっちが良いか、って事ではないんです。どっちの人もいて、世の中が回ってるんであって、家族と私は同じ役ではなかった、それだけです。


そういう2人が、同じ家の中で、同じニュースに触れ合う事でなんか生まれるんでしょうね。


衝撃ニュース100連発、みたいなテレビ番組も、私は苦手であります。

家族は好きらしい。黙ってると、テレビがその番組になってたりして、見てなくても情報が耳から入ってきちゃうので、ビクッとして、やめて〜!って他のチャンネルに回してもらったりします。



幸運のお知らせ。

家族2は、新年明けて仕事始めの時に、あんまり「明けましておめでとうございます。」って言わないんだそうです。

なぜなら、新年でもおめでたくない人はいるから。

今年もよろしく的な、うまく喋るんでしょうが、それを聞いて、ムムムと思ったのです。

大人じゃん、家族2。でも、大人すぎるじゃん。


私は幸福な事は、ねえねえこんな良い事が!って言いたいタチです。能天気だって事もあるんでしょうが、呑気でもあって、本当に困ってる人、今この時にいるだろ、ってのに、ふわふわと沸き起こる幸せの気持ちを、全てトーンを落とす、みたいなのはしゅんとした気持ちになります。現実には全て落とす、って事はない訳だけれども、幸せな時、幸せって言えないのは、それもどうなのか。いや、人に言わなくても、地味に自分達で味わえば良いのか。うん、大人なほど、そんな、ヤッホーな感じにはなんないよね、とは思ったりします。


他者を慮る事は、大人になってうまくできるようになる、その頃合いも、難しく思います。

気持ちって自然だけど、どうふるまうかは自然だけじゃないからさ•••。


家族2は、他にも、自分に良い事があったとか、楽しかった事とか、人にあまり言わない。大体の人は楽しかった事を聞いて、あんまり良い風に思わないから。と私に言った事があります。職場内での話だと思うんですけどね。


家族2ってユーモアがあって面白いやつで、やな事ばっかり言うような人じゃないんだけど、そういう風に気をつけている事がある。

何もしてない時に、普段の顔が笑っていて、何でそんな何にもないのに笑ってんの、的に言われた事もあるそうです。

それも、言った人もどうなんだと思うんだけど、不幸な人だったのかなー。


私は、幸せそうに笑ってる人は、良いなぁと思うし、楽しい話聞きたいな!って思うけど、大人の世界は時にそんな風に単純じゃないらしい。


楽しい幸福なお知らせばかりを聞いていたい、ってのも何だかうわっついてるようでもあり。だからといって不幸にばかりフォーカスしているのも、何かどよどよとなりそう。

今は世界的に、良い事ばかりじゃないし、大手を振って喜べない気持ちも分かります。その人の気持ちになってみろよ、ってあるものね。


良い塩梅に、嬉しく楽しくしっかり生きる、って難しいんですかね。

確かに、ふわふわ幸せ過ぎる人ばっかり見てて、ケッ!って気になるのも分かる気がするんですよね。


私は、幸福のお知らせ7割、不幸のお知らせ3割くらいなら我慢できるかな。世の中には、そのどちらでもないニュースがいっぱいあるので、耐えられる程度に情報入れて泳いで行きたいです。どちらかといえば、幸福のお知らせの方を向いて。


大人になると、幸福であっても、ひっそりと深く静かに味わうものなのかもしれません。

でも時々、はしゃいでまんまん、楽しく喜ぶ人に、スカッと不幸を切り裂いてもらったような爽やかな気持ちになる事もある。

だから、思いっきり笑って泣く子供、見てるとほんわかしちゃうよね。世の中のモヤを切り払ってくれるよ、子供って。


誰が、いつ、どこで、何で。

その喜びの共有が、許されるかどうかは、受け取る人にも、自分がどういう立ち位置にいたいかにもよるので、自分なりに試してやっていくしかないんですよね。


私は幸福のお知らせの方を向いて、不幸のお知らせを時々耳にしつつ、やめて〜とか家族に言いつつ触れて、尖らずにやってゆきたいです。

家族がいるって、自分だけの思考で生きるんじゃないので、少し面白いですね。


あなたはどちら?

幸福のお知らせを向いている側ですか?

それとも、不幸のお知らせ?


2択ではないけど、何もないのに笑っていても、良いよって世の中がいいなぁ、なんて思います。

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