均等割な平等は美味しくない
固いタイトルですが、内容は家庭内の、クッキーの分配についてです。
先日、クッキーの箱を甥っ子からもらいました。デメルのアソートクッキー。5千円くらいするやつ。うまい。
色んな味が入っていて、サクサクで、ご機嫌なのです。
甥っ子は自分の家にも買ったのだそうで、「ウチでは、高いクッキーなんだから、バクバク食べちゃわないで、1日3枚ずつくらいゆっくり食べよう、ってした。」んですって。
それを聞いて、家族2たちと、ウチも3枚ずつ食べよう!楽しみに!って事に決まりました。
最初の日は、各々好きなものを3枚ずつ食べて、満足。クッキーどんな味があるのか、添付のリーフレットを読みながら食べるのもオツですね。真ん中の大きいフロランタンは最後まで残そう、とか意見も一致し(貧乏症)次の日の夜。
じゃあ楽しみにクッキーを、となった時、家族2が。
「待て。皆で平等に色々な味のクッキーを食べたいじゃないか。だから皆で同じ味のものを、3種類食べよう。そして残ったものを、ちゃんと日々同じように分け分けしていこう。」
というようなかんじのことを言ったのです。
えええーっ!?
私は、楽しくない!と思いました。
だって、人によって食べたい味は違うじゃない。それに、せっかくのアソートなのに、選ぶ楽しみが減る。
家族2は、平等に分けるということには少しこだわりがあって、前々から、私と意見がぶつかっております。
前に、親指の先ほどくらいのカヌレが、4〜5個、違う味で入ったものを、家族2が貰ってきた時も。
「全部の味が食べたいから、皆で分けっこして食べよう。」
と言ったのですね。
親指の先ほどのカヌレ。分けたら、ほんのちょっぴりになっちゃいます。えー!そんなカケラにしちゃったら、美味しくなさそう。
食べ物って、そのものの味もさることながら、食感とか、歯応え、モグモグと口の中で満たされて食べる感じとかも、重要な美味しさの要素だと思いませんか。
しかしその時は、家族2が貰ってきたカヌレだったので、おとなしく従いました。その平等に。
平等を考える時、本当に均等割にしたので上手くいくか、という事については、本での記事を読んだ事があります。
柵を前にして、背の高さがそれぞれの3人の子供に、踏み台の箱を同じく1つずつ配る。背が高い者にはいらないし、背が低い者には足りない。平等だけれども。
本当の平等とは、背の低い子に2つ踏み台をやり、真ん中の子に1つ、背が高い子にはいらない、で良いのでは?
って事でした。それぞれに合った平等がある。
私もそれでいいと思う。
などという事を家族2につらつら言うことは、難しいのです。家族2は、均等割の平等を楽しく美味しく思っているので。でも、やんわりと、好きなクッキー3枚ずつでいいじゃん、とは言ってみました。却下をくらう。
弱い。
まあ、えーっと思いながらも同じクッキーを3種類ずつ食べたんだけど、皆さんはどうですか。
分けっこして、見かけも細切れになって、美味しくなさそうになった食べ物を食べたくないという気持ち。うん、あれ、なんかズレてきたな。
分けっこが嫌いな訳じゃないのです。
美味しそうだな!って楽しみにしてる食べ物を、味を満遍なく味わいたいって理由で分けることで、価値を下げたくない。お気に入りの味だけ食べられたら、満足です。
意見はぶつかりつつ日常を過ごしておりますが、まあ大体従います。何か、あげない、ってケチみたいじゃん!あと弱い。どうしても、じゃないんだけどもさぁ〜。
まあでも、こないだマクドナルドでお昼ご飯にした時は違いました。
家族2はチーズバーガーと言っていて、私もそうしようかなーってとこで、買い出し係を頼まれて、自分の分だけやっぱり美味しそうなグラコロバーガーにしたんだけれども。「それも考えたんだけどさー。」と言いながらも、家族2は、分けっこしようとか、一口ちょうだい、とかは言いませんでした。まっふりグラコロ食べられて満足。
毎回分けっこじゃない、時々の事なんだけど、そして毎回分けっこの時にえーっ!?て思う訳じゃなくて、いいよ、って時もあるんだけど。
この違和感、別に無理に家族2とぶつかって、解消しようとは思っていませんが。時々自分一人で、家族たちと同じじゃない、美味しいものをゆっくり食べようかな、とは思います。
家族にはお土産を買ってくればいいんです。
均等割な平等じゃない方が美味しい。
ってこと、皆さん、いつもそうじゃなくてもいいけど、時々はあって欲しいと思いませんか、どうですか。