大人の関係は無償じゃない
家族2の愚痴を聞いていて、よく思うのだけど、大人の、愛情とまではいかなくても、思いをかけたやりとり。
何気ない、同僚、家族、近くも遠くもある人達との関係を築き、維持する時、その思いは、けっして無償ではないのだな、と思いました。
親が子供を育てる時に、面倒くさく思う時もキーってなる時もありながら、嬉しいほわっとなる気持ちももって注ぐ愛情はまた別かもしれないのですが。
人が人に思いをかけたら、例えば手助けした時は、ありがとう、って言って欲しいし、言われなくて良いと思っていたとしても、その人が良くなっていく、という成果が、欲しいなって思う。
思いには何かを返して欲しい。
大事にしたら、こちらの思いも大事にして欲しい。
計算ぽくて嫌だな、と思われる方もいるかもしれないのですが、無償の思いは、あんまりないから尊いのであって、(無いとは言わない)思いをかけてもかけても、状況が良くならなかったり、片方が軽んじられたりしている関係は、やっぱりちょっと歪じゃないでしょうか。健康じゃない。
まぁ、物語としては、歪な関係も魅力的だったりするんですけど。
ただ、即打ち返せ!というほどシビアでもなくて。
例えば仕事で後輩の面倒を見るとき、思いに気づかず、出来ない事があったとしても、自分もできなくて大目に見てもらった思いを、ゆっくり時間を繋ぐように注いで、やれやれと思いながらも見守る事が出来たりだとか。
それで、できるようになってきたとしたら、ちゃんと思いが返せてるのかな、思いをかけた方は、嬉しくなるかと思います。
即打ち返そうとして、焦らなくても良いよ、って気がしてます。全ての思いには応えられない、って事もあるし、誰もがスルーしてる事はいっぱいある。
だけれど、それが一方的に沢山溜まっちゃうと、嫌われたり別れたり、関心を無くされたり、はあると思う。
書いてて思ったけど、後輩にキツイ先輩もいるよね。良くなって欲しいからキツくするのか、ただ単に先輩の思いの容量が少ないのか、どっちもあるので難しい。
そういう時は、自分が良く成長できるように頑張っておいて、できないとこは、すみません〜でいいかもしれないな。まあ、できないなりに、出来なかった時のやり方を学ぶとしても。迷惑かけない、んじゃなくて、出来ない事によって誰かに応援を頼む所は早めに頼み、適切な迷惑をかけて、感謝をするってことですね。
全部は、できない。っていうのは、いい呪文だと思います。
家族2は、ちょっとした思いをかけたのに、同僚から返された否定的な言葉を、長く覚えていて、今でも時折思い出して怒っている。多分、ぎゅり、とこころを潰されたみたいな気持ちなんだと思う。
大事にされなかった、尊重されなかった、という記憶は、長らく残る。
他に楽しい事をして、呑気に暮らして、ふんふ〜んと、好きにやればいいじゃない、って事もあるんだけど、それが出来ない、仕事や生活でいっぱい同士で、ぶつけ合いになっちゃう事もある。気持ちに余裕がある時ばっかりじゃない。
だからこそ、大人同士の思いの掛け合いは、無償ではなく、ちょっとした事にちょっとした気持ちを返して、やりとりをできたら、健康に近づくのかな、って思いました。
あんまり重い気持ちを一方的にかけられたり、とかじゃなくて、軽く、気持ちのやり取りが、毎日ある。
お店で店員さんと少し話す、とかでも、もらえる気持ちってありますしね。
何か穏やかに、ちょこっとお話出来たな、って嬉しかったりするよ。
さあ今日も一日頑張って行って参りましょう。
呼吸をするように、一つ一つの軽い思いをかけて、そしてもらって、挨拶やなんかのかるーい気持ちのやりとりも、多分人が生きていくのに重要な栄養で発散なのだと思います。