時代の速度と私の速度
先日、テレビを観ておりまして。
懐かしの歌が、年代前後しながらも、じゃんじゃん流れる番組だったのです。
が。
めっちゃ疲れる。
というのも、曲のいいところ周りを、パッパッと。矢継ぎ早にテンポ良く。
うん、今時の、動画を次々とパッパカ見ていくリズム感。情報を短い時間で、切り取った場面を息せききって見せてるんだよね。
今の時代の速度は、真ん中としてはそういうものなのでしょう。私も思う。情報過多な昨今、効率よく情報を入れて、その中から、時間をかけて観たいものを選んでゆっくり観ていけばいいのだと。
その、情報を効率よく入れる、時間が。私の寛ぎの時間、夕ご飯を食べて、まったり炬燵でテレビを見て、ボーッとしている時間とかぶったのが、私にとっては、良くなかったのである。
息を忙しくしているような感覚になって、はやはや、気持ちが疲れてしまう。まったり、のんびりしたいんですよ。曲を聴くなら、イントロから最後まで、味わって、そう、じっくり味わって1曲を聴きたいんですよ。
良いところだけ繋げていくと、それはそれで、波が高い位置でピーッと続いて。それって心電図が高い位置で止まって直線に、実は死に近いのではないか。
じっくり味わうのには、ゆったり、から盛り上がるの緩急、大きな単位での波が、必要なんだと思いました。
家族なんかは、もう老人なので、他の懐かしの歌番組で歌周りのこぼれ話なんかをしている会話の時間が無駄に感じるらしくて(良くある事だが老人はせっかちなのである。待てない、と良く言いますね。)早く歌を歌わせろ!って文句言いながら観てるくらいなので、私が疲れたその番組を観ていても、次々と一緒に歌って上機嫌でありました。
そう、家族は、歌を一緒に歌いたいのだ。歌い上げたい、味わいたいのじゃなくて、気分よく同調して、どんどんノリたいのですね。
随分元気じゃねぇか。いっそ感覚が若いと言っても良いのかもしれない。
時代の真ん中の速さが、きっとそういう、パッパッ、っていう速さなのだな、と私は思っていて。
最近の仕事場で、人手不足で、どオオオオ〜ッと忙しくし始めた私には、寛ぎの時間まで、効率重視は、全然気が休まらないのである。
人って、もっと、生きてるリズム、のんびりじゃないか?
いや、パッパカもできるけど。
そりゃあ、できるけど。できる、と、気持ち良く生きてられるか、は違う。
私が、心身共に健康に生きていくには、もっとのんびりしたリズムじゃないと。
気持ちがハヤハヤしちゃって、なんかうわっついて焦っちゃう。ぽろぽろ溢すあれこれが出てきちゃって、人生が、ちゃんと味わえてない気がするのです。
これって、今のテレビを観る層(つくっている層も)が、必要としている速さなのだろうなあ、と思います。
そうでないと、まだるっこしくて観てもらえない。今テレビを観る層がどの辺か、などはまた、色々とあるんでしょうが(若い甥っ子などは、ほとんどテレビ観ないらしい)古い時代のゆったりした速度感だと、例え観る側がある一定以上の年齢層かもしれなくても、もう、時代にそぐわないのでしょう。
そんな中でも、ゆったり、のんびりしたい層は、一定数、いると思います。
歌、ゆっくり聴きたいよ。
まあ、それは、1曲1曲は、YouTubeで聴けば良いんだよね。
そう、個別でやってね、に、なってるのだ。
家族2は、私がスマホで曲を聴いていると、嫌がるのです。
好きな曲の傾向が違う、という事もあるし。スマホのスピーカーは、音が何だか、チャリチャリしてるっていうか、独特のふくよかじゃない感じが、耳に障って、気に入らないみたいです。
人と人が、複数いる所で、まったりのんびりした時間を過ごす。
難しくなっているのかもしれません。
いや、家で炬燵で、家族全員複数揃ってても、まったりはしている。
だけど、それぞれが、ある程度話をしたり同じテレビを観て何だかんだ言ったり、これ美味しいねとか言いつつご飯を食べたり。の、後。
それぞれが、なんも話をせず、各々好きな事を(うたた寝したり、テレビを観たり、スマホで小説書いたり)している、個別な時間が、最もまったりな時間なのです。
まったり、のんびり、には、個が必要。特に、人同士の距離感が、現実には近くなくても、情報としては近くて過多な、今だからこそ、個が必要。なのではないか。
そして、個になった時、1曲をじっくり聴きたい、などのように、他に没入して味わえるのではないか。
もしかしたら、私のように長くまったり時間で生きている、ごく限られた層への必要性であったとしても、それはとても大切な、なくてはならないものなのだと思います。
小説も時代の速度の影響を受けると思うのですが、書いていて、今の主流である文字数少なめとか、テンポ良くとか、できないんだけれども。
ゆっくり、味わう。
のんびり、じっくり、読める。
日向ぼっこしてるような、じーっと時間そのもの、皮膚感覚と温度を味わう流れ。
流行りの主流じゃなくて、逆行しているのだとしても、私が誰に書くものを届けようかとなったとき。
そんな、まったり、味わう、をしたい、息を忙しくしたくない人たちに。届く、じっくりした時間を用意したいな、などと思った次第です。
書きたいものはその時々で変わってゆくのかもしれないのですけど、なるべく大勢の人にウケるといいな!という、エヘッという欲もない事はないんですけど、実際に書く時は、届けたい対象は、もっと違っています。
例え気持ちが傷んでいる人でも、ほっこり喉越し良く、読めるように。
静かに、だけど盛り上がって。
読んでいて、ちょっとでも、あー良かった、とホッとしてもらえるように。
試しに読んだ全員を取り込むような、間口の広い物語ではないけれど。
必要とする、その人に、私の速度感で、物語を届けたいな、と思っています。
私は、私の速度で生きている。
時代の速度と、合わなくても、それなりに生きていけて。
それを許してもらえるような場所を、大事にしたいなあと思います。
それが少数派でも。
これも良いよ、と差し出してみるのが、今のところの、私の闘いといえましょうか。
昨今の、騒がしい時代の、不安な何やかやに、やだな〜と思っていて。何だか焦らされ、急かされているみたいで、嫌な感じで。
で、どうする?と思ったら、そんな風に、自分なりに楽しくのんびりを発しながら生きてやるぞ、が私の抗いで、今の答えなのでありました。




