熱い血潮を忘れるな
ただ今、原因がいまいち分からないだるさなどもあって。
「小説家になろう」で続けている『王子様を放送します』を来年2026年1月3日くらいまで、と限ってお休みし、心身体調を整え中の竹美津です。
1ヶ月半のお休みなんですけど、お休み始めたら、パタンと。
だるさのある日が、なくなったんですよ。
えええ〜。
単純に、更新が心身に影響を、と決めるのは、ちと考えすぎだと思うのです。
脂質を下げる薬を、強いものから弱いものに切り替えたりして、馴染んできたのも関係あるかもしれない。年齢的にも、複数の理由があるのかなあ、と様子見です。
休み明けには、予定通り、ちゃんと更新を再開するつもりです。
休みを利用して、書いた『王子様〜』を読み直したり、自分のクラウドにデータを保存して、webの万が一に備えたり、していたのですけど。
そんな、整理したり、今までのお話を再確認したりしながら、ゆったり休み、なるほどなぁと思った事があったので、纏めてみますね。
『王子様〜』を最初に連載し始めた頃、私は、「小説家になろう」の様々な、お話の読者で。面白いなぁとハマって、自分もやってみたい!そう意気込んでいました。
沢山お話を読んで、好みのものとそうでないものとが、自然ある訳ですけど。その頃は、こんな事を思っていました。
(長編は楽しいけど、話が遅々として進まず、まどろっこしいのは、なんかイライラする)
のんびり、まったり、な雰囲気がダメだ、という事でなく。(スローライフをテーマにしたお話大好きです)
進むべきお話があるのに、なんとなくあちこち、主人公がもだもだ悩んだり、邪魔が起こったりなんだりして、ハラハラさせられる時間が長いお話に、自分の精神がもたなかったんです。読者によっては、きっと大好物なんですよね。
ただ、私の精神は、病で傷んでいたので、ドキドキハラハラ、悩ましい、みたいなのは、その頃、味が美味しいと感じなかったのです。
そう、物語を読むのにしたって、精神力というか、腹に力は、必要なんですよ。心が健康で、頑丈でなければ、読めない話って、あります。
それは私側の問題なんですが、もっと、サクッと、お、おう、おおお〜!と、トントン話が進む、気持ち良い感じのお話が良いよね、と。
こうすれば楽しい!と真剣に書いていましたね。
自分で書く分には、自分が楽しいと思っている味を、同じく楽しいねと言って欲しく、伝えたく、それは癒しでもある訳です。
読む事も書く事も、自分の傷をなぞり、撫でて。人に晒して問い、自分を他者と分かち、輪郭を形づくり、立って、傷に瘡蓋をつくってゆく効果があります。
マイナスを補うイメージだけのものではなくて、プラス方向に、一歩進む、という行為でもありますよね。伝わる、伝える、っていうことは。
いつ、どのくらい、どうやってそれをしていくか、は人それぞれで、大人というのはツルツルのピカピカなハートではなくて、痕のついた、凸凹に歪な、それぞれの形の、味のある心をしているもんなのでは、なんて、少し思います。書く、読む、だけではなくて、方法は沢山ありますが、私は自分を楽しませて先に進み、日々の憂いを癒す方法として、その時、物語を選んだのです。
どう?どう?と、書いて更新して、ワクワクと、ドキドキと。
そして、ネットの海で、他者に可否の判断をされる緊張と。
なんかいけない事を書いちゃわないか。物語上でも、ちょっとしたことで、人を傷つける刃の文章を書いてしまわないか。
ネット上での、マナー違反をしないことと共に、自分自身をちゃんと守りながらの情報出し、表現の仕方。他者との関わり合い。
それ、できるかな?
と、本当に、下腹に力をグッと込めて、だけど、ふわぁ〜!と新しいチャレンジに、興奮、高揚しながらも、毎日更新していたものです。
『王子様〜』の読み直しは、更新長期休みの度にしているのですけど、今回、初めて、今現在との違いを感じました。
(あっ 最初の頃は、本当に下腹に力を込めて、真剣にのめり込んでやっていたんだ。それって……多分、読んでいる人にも、伝わっているよね。)
熱く、フワァ!と思いました。
最初の頃の文章は、今読み直すと、んん?と拙い所もあるのです。
だけど、それが、その頃の、勢いってやつで。
修正なんて言って、今、それなりにこなれて、サラァと直しちゃったら、ダメなやつです。
直すなら本気でやらないとダメだと思います。
物語も生きていて、そしてweb連載だから余計に、その時の息遣いみたいなものも生かしたく、流れたものはそのままの方が良いでしょう。その時の私にしか、書けなかったものです。
最近は、更新するのに慣れてきていて、こうやってこうすればこうなる、という、ちょっと日常的に、淡々としている部分もありました。楽しくやってるんだけど、自分でも、それが、うまくないなー、と思っていて、世界観が繋がってない感じ、書く事が作業になってしまっては、ダメだと、はっきりそのように思っていた訳ではないけれど、何だかしっくりこない。気持ち悪く思っていたのです。
私の《物語は誰のものか》というエッセイ中で、web連載更新の際に。
《むしろ力を抜いて日々、繋ぐように、ベストじゃなくベターを書くのもやり方かもしれません。短編を書く時と連載を書くやり方も違いますよね。》
という文章を書いたのですが。
『王子様〜』を読み直して、最近の気持ち悪い感じが分かりました。
あっ それダメじゃん。
結果的にベターになるのは仕方ないけれど、書く時は、その時のベストを目指すべきじゃん。
と。
やり方は、本当に、その物語のつくり方それぞれ様々で、こうでなきゃいけない、って他の作者さんに言うものではないんです。そして、私も、また違うお話を書く時は、違うスタンスだと思います。
でも、私が、毎日の楽しみとして、こんな事を思った、あんな事を思った、と取り入れながら、生きて綴る物語としては、この『王子様〜』は、熱く!下腹に力を入れてやらんと、楽しくないのです。
最初からベターありきで、ゆるゆるっと書くのは、おいおい、まだそこまでわしゃ老いてはおらんぜよ。なのです。
(内容をシリアスに、という話ではなく、面白やジョークをやるにも本気で、楽しんでもらえるかな!ってワクワク、ねりねり、しながらやるってこと。)
精神の病から回復する時というのは、一時的に、退行した心が、子供時代から思春期、そして大人、みたいに、再び育ってくるんですよね。傷が癒えてくる。
その時の思い、気づきを込めて書かれたものは、今の、リアルな、平穏で変化の少ない日常を、のんびり楽しんでいる流れ、とはまた違って、世の中の、ありとあらゆるものに、敏感であったと思います。
今の、のんべんだらりの状況が良くない、傷ついてでも新しい事にチャレンジしてバンバン皮を剥いていけ!っていう、事でもないんですよね。ちょっとはあるんだけど、創作って、自分に関わる全てを糧にする事だから、その時の私、が出てしまうとは思います。平穏が悪い訳じゃない。
だけど、生きている。
まだまだ、生きている訳ですよ。
この世の中を。
このエッセイを書く前に、こちらで書こうと思っていたテーマがあって。それは、演歌歌手の生涯です。
家族が、懐かしの歌番組を良く観てるんですけど、そこには、全盛期ではない、お歳を召された、歌手の方が、その時のベストで歌ってるんですよねえ。
家族2なんかは結構厳しくて、「もう◯◯は、声がダメだよな。こんなになる前にやめればいいのに。」なんて言ったりする。
でも、私は、生涯、できるならば、場所を小さくしていって、その時、観てくれる限られた人に向けてであっても、歌を歌っていたい、という気持ち、すごく、うんうんうん、と思うのです。
別に大人気じゃなくてもいいんですよ。歌ってたい。
一番良かった時より、下がっててもいいんですよ。今のベストを、楽しんでもらいたい。
だって、それが、歌うことが、生きているという事だから。
見苦しいな、と思う人は、観なくたっていいんです。変わってしまったな、って忌避する人は、それで良いんです。
どうですか?って差し出して、表現するのだから、観る方にも選択権があるのです。押し付けるものじゃない。ただ、楽しんでくれる人に。
一番良い時を最高として、バチっと引退する、綺麗さ、潔さもあるけれど、そうじゃない生き方もある。後進に徐々に席を譲りつつ、自分に合った場で咲く。
前のエッセイ、《モヤっとした話》で、90代のおばあちゃんについて、自分も歳をとるのだなぁ、と、歳をとる事の恐怖を書いたのです。
家族2に、それをLINEで送って、こんなの書いたよ、と見せたら、あんまり興味はなかったみたいなんだけど、途中まで読んで。
「あんまり良い感じの文章じゃなかった。もっとパシッと、短く。もう一段上を目指してさぁ。アハハ!」
みたいな事を言われて、めちゃムッとしたのですが。
「何だよ!自分は、つくったお弁当の感想に、ちょっとしょっぱいねとか、なんとか、難癖つけるもんじゃない!ほめるもんだ!って言ったくせに!」
って小競り合いして、わんわんキャイキャイした。そうだっけ?とか家族2。
私はあれから、お弁当の美味しいところしか感想LINEを送らないというのに、言った本人は忘れている。
でもお弁当毎日つくってくれるんだよな。ありがたし。
うん、まあ、そんなもんだ。
身内の、私の文章に全く興味のない、そして忖度のかけらもない、率直な感想というのは、そういうものなのでしょう。
途中まで読んだ、というとこで、最後まで読んでよ!と思いますが、SNS慣れをしている家族2は、長い文章は、ダルいって思うかも、みたいに言っていました。
内容も、明るい話題じゃないし。
だけど、私はそれが書きたかった。
私のために、書きたかった。
きっとこの、webの海の中に、ほんの少しでも、そうなのかー、とか、いやいやそんな事ないよ、とか、感じて考えてくれる人がいたらと思う。
短文では、書きたい事が、きちんと全部、伝えきったと思うように、書けないのだ。
SNSを否定するのではないのです。
そして、最近の若者は、長文を好まない、ともチラッと小耳に。
何を、どのように、どんな形で書くのか?
それは、何の、誰のために?
書くという事は自由なので、その時々で違える事もできるでしょう。
息づくように、吸って吐くように、そして、この身体の、心の、血潮のうねりを、生きているというシグナルを込めて。
精一杯、楽しんで書く、ってやつを、今、やっていたいのです。
長編連載を書くというのは、長く潜水するようなものだ、と書いたのは、どなただったでしょうか。
私の体感として、本当にそうで、息継ぎしないと、もたないんですよね。人って調子の浮き沈みがあるじゃないですか。その中で、下腹に力を入れたまま、ずっとは続かない。
身体だるいとかがなくても、お休みする、って必要なんだと思います。
これ、そんなに大した物語を書いている訳でもないのに、ってお思いの方もいると思うんですけれども。
書いている本人は、真剣に考えて、感じて、できる事が一つあって、とっても楽しいんですよ。
本気でやってみる、それも続けて、っていう、私の、挑戦なのです。
そう、歳がなんだというのでしょう。
例え90代になったとしても、きっとその歳なりの、血潮の騒ぎがあるのだと思う。見えるものが、そして、見えなくなるものが、あるのだと思う。
それそのものが、生きているということ。
心開いて、騒ぐ血潮の昂まりを、忘れるな!
きっとそうすれば、歳をとるのも怖くない。存分に味わって、生きて、表現して、伝えて、書けば良いのです。
そう、私よ。
生きている面白さ。
熱い血潮を、忘れるな!
追記:病院に行ってきたのですけど、脂質を下げる強めの薬を飲んで、悪玉コレステロールの脂質の値が40くらいにガツンと低くても、何も悪い事はないよ、と説明してくれました。血液検査して、結果で相談して、また強くしても良いし、心配なら弱い薬でもいいし、だそうです。
むー、だるさの原因、まだわからず。
読んだ方に、変に、お薬について先入観ができてもなー、と思い、追記しました。お医者さんは無理に薬を飲ませないので、みなさんよく相談してね。




