飽きっぽさと完結させられる誠実さ
私は飽きっぽい人、でした。
でした、というのは、それを何とかしようと割と長くトライしてきて、一定の効果は出ているかな、と思っているからです。
『王子様を放送します』という、なろうの連載は、始めたのが2022/10/23 でして、かれこれ書き続けて2年と9ヶ月たちますでしょうか。間に休みなども挟みつつ、続けてこられました。今後もちゃんと完結まで、書きたい事は我慢せず盛りだくさんに入れて、頑張る所存です。
私の飽きっぽさは、子供っぽさとも繋がっていましたでしょうか。
父に、子供の頃に、竹美津は飽きっぽいからダメだ、と言われた事があります。父が好きだった毛筆でのお習字を、習っていて、そりゃ子供が複数いれば向いてる向いてない我慢できる飽きるは、あるよね。
皆さん、子供ってこういう事、覚えてたりしますよね。親は何の気なしに言ってますが、これは私には、呪いの言葉になりました。
占いなんかをしても、最初の勢いはあるけど中途半端になりがち、とか出まして。最後まで物事をやり通せたら、周りの人に認めてもらえます、なんて書かれていたことも。
随分前の占いですが、こうやって覚えているので、きっと自覚がある所にヒットしたんですよね。
そうなんだよな、そうそう、って。
言われる通り、私は、色々な事に興味を持つ、好奇心旺盛な子供ではありましたが、苦しくても何かを辛抱強く続ける、という根性みたいなものはあまりなかったのです。
努力もなしに続けられたのは、好きで省力な読書くらいですねえ。
中学生くらいの時。
漫画を描くのも好きだったんですけど、一編通して描くとかができなくて、やたらと壮大な物語を鉛筆でノートに描いて、恥ずかしくなって燃やして消去、とか。
時代を感じさせるのですが、ゲームブックといって、物語を読みながら指示された番号を選択肢に沿って選び、結末が変わるお話を、印刷に出せる形式で挿絵込みで書いたりもしましたが、(珍しく最後まで書けたけど)それも印刷はせず、どっかで捨てちゃったと思います。
まあ、印刷するお金がなかった、という事もあるけれど、それにしても、お年玉とかもあったんだし。
ツメが甘い。
それが私。でありました。
最後までやれば、それも何かの糧になり、失敗(例えば印刷した本が売れないだとか)しても経験になるでしょう。途中だとしても、経験にはなるんですよ?けれど、最後まで、できなかったな、と、自分の中で瑕疵になるんです。自信を失っちゃう。
そんなに落ち込んだ感じの私ではなかったのですけど、そういう、できなかったな、は、ゆっくり自分の中に、降り積もるのです。
私は自信満々なのがいい、とは思っていませんが、自信がなくて上手くいかないなら、何か少し頑張ってみても良いんじゃないかな、とは思っています。人それぞれなりに、苦しみのたうち回る若い悩みの解決法は、とっかかりがある。
頑張れば上手くいく、って訳じゃないけど、自分なりの軌跡を描くのが生き方ってやつだから、360度周りに駆け出す私たち。
自信がないからこそやれた事なんてのも、人によってはあるでしょうしね。
象徴的な出来事があって、高校を卒業して栃木の学校に通っているときに、寮で、何か釘を打つんだか捻子を回すんだかを、皆でうまくいかないなー、ってしていて。
自分がやっている作業のところへ、新しく誰かが道具を持ってきたんですよね。それは、その人が使うんだったのです。
なのに、私、あっ、て手に持っている道具をパッと手放して、で手が自然と、子供みたいに、ポイっちょうだい、って目移りしてやりかけたのです。本当に作業の途中で、パッ、ポイって。
その時はすごく恥ずかしかった。
いかにも、幼児がよくやる目移りじゃないです?興味がある所に、だけ、って感じ。今だけ見てる、っていう。
あー私、そういうとこがあるんだなぁ、ってなかなかしみじみ、思ったものでした。
大人になるに従って、こういう所を何とかしたいな、って気持ちもあって、だけど必死にという訳でもなく、流れていきつつ、時に頑張って。
趣味の同人のwebサイトを作った時も、お話の連載を途中で更新しなくなったし、どなたかが基本を作ってアレンジさせてもらった、同人のキャラをお部屋で飼う?んだったかな、そんなwebゲームのメンテナンスも。バグが多くフォローが煩雑だったこともあって、途中できめ細かくやれなくなり、プレイする人が減っていなくなり、放置しました。
同人誌を印刷して売っても、続編を予告しといて書かなかったりしました。
とにかく終わりがよくない。
同人ゲームを作って売ったのは、自分だけの事じゃないので、締め切りはよくあるやつ、大分厳しくなったのですが何とかCDとして印刷屋さんに焼いてもらえて、売り切る事が出来ました。
そのあと大分疲れちゃったけど、私としては、やったね!って感じです。
皆さん、お分かりでしょうか。
私、ダメダメだけど、ちょっとずつ進化していませんか?
お話を書き完結できなかった頃。印刷できなかった頃。印刷できるようになり、webもトライして、中途半端な事もあるけど、作り終えられる事も増えた。
徐々に。やってみて、できない事もありながら、経験を積んできたんです。
病気をしてから、余計に、勢い、元気というのは減ったのですけれど、続ける事、完結させる誠意ということについて、考え、実行できるようになりました。
昔から、自分にはない、ちゃんとシメられる、キリ良くできる、始末の良い人、しっかりした人に憧れています。
自分はそうじゃないけど、あちこち興味が移るのもそのままに、けれど、続けられるように、ちゃんと終われるように、成長もできる。
今の連載も、読んで下さっている方に、連載小説が途中で終わっては申し訳ない、という気持ちもありますが。まず、何といっても、続けられない自分が、あんまり、良い感じじゃない。だから頑張る、という気持ちがあります。
なので、読む方が減ったとしても、自分に理由があるので、最後まで書き続けようと思っているし、凹んでも続けられます。
飽きっぽい方の生き方は、得意な感じを活かす方にも色々とやり方はあると思うのですが、想いは叶えられる、自分で。時間がかかってもよければ。
と思っています。
生きていて希望はあるし、自分はダメなばっかりじゃないし、日々楽しく頑張れる。
そうできる、ということを、やっていく事が、ほんのちょっとでも、誰かに、ふーん、と思ってもらえる事もあるかもしれないし。
袖触り合うも多生の縁と言いますが、そこに意味を見出す人がいれば、私が、かもねーと、ほっこり思う事ができるなら。
胸温めて、人の中で、私は生きている、をやれるなぁ、ってニコニコします。
妄想でもいいんですよね。
そんな可能性の中で、生きている。っていうのが重要だから。
誰かが誰かを傷つける世の中ではありますが、誰かが誰かを、ふとした事でニッコリさせる縁もある。
長く生きる事で、段々とそれをやれる、というのは、幸せな事だと思います。
小説を書くというのは、自分が丸裸にさせられて、思っていない事を書けないし、力が必要な事なんですけれど、喜びも沢山あります。
頭の中が整理されたり、遊びを盛り込めたりする楽しさで毎日が彩られたり。結果や成果をどこに置くかで変わってくるとは思うけど、私は私のやり方で、長く付き合っていきたいと思っています。
『王子様を放送します』を、パッシュ大賞に応募してみました。
残念な結果になっても、楽しく最後まで盛り盛りで、これからも続けていきます。まだ、全然書きたい事が終わってないので、いつシメられるか分からないのですが。
その時、終わりが素敵にしめられますように。
大人になって、良かったなぁ。
って思います。




