ありがとね、父
私の父は亡くなっております。
釣りが好きで、普段は無口なのに、喋り始めると同じ事を何度も言ってしつっこく長くて、「はっきり言って」が口癖で。
そんなにはっきり言ってどうすんのか、はっきり言ったら一言とかで済むんじゃないか、とか後になって思ったけど、本人には言いませんでした。
なんつーか、威圧感つーか、圧がある人だったんですよね。親切で気の良いおじいさんだったけど、真面目が過ぎて厳しくて細かくて。
うん、父とかって良いところと、う〜ん、ってところと、両方あって、「お父さん大好き!」みたく幼い子供のように素直に言えない、複雑な気持ちがあります。
亡くなってもそうなのだから、多分、彼は死んでも私の父で、家族で、私は子供って意識が消えなくて甘えているのでしょう。
同時に、人間臭くてまったくね、しゃあないやね、お互いにね、っていうほのぼのとしたとこに落とし所があります。
きのこ採集が趣味で、ハンディ図鑑に書き込みをしたり、勉強熱心で。秋には美味しいきのこをとってきてくれました。病で実家に帰ってからも、一度きのこ狩りに連れて行ってくれた。
今、家にはきのこに詳しい人がいないので、美味しいきのこは食べられません。
私が成長期の頃は、下請けの小さな家内製造業、部品削りの仕事をしていました。レイコンマ何ミリ削って合わせるには〜、などと熱く、ハテナ?のまだ子供の私に言ってきた事があったので、どこか誇りを持って、面白みも感じて、やっていたのでしょう。
工場が家の隣にあって、そこでストーブなんかにあたりながら、1円玉を指にテープでくっつけて、それで部品のバリをとる手伝いをしたのも、良い思い出です。
1円玉、削れて半分くらいになるですよ。工場は冬、寒いんだけど、ラジオを大音量で聴きながら、部品を削る大きな音、油の染みた作業服の父とそれを手伝う母。
お金は儲からなかったと思うけど、あの空間は、何だか私の郷愁をそそります。ストーブで芋焼いたりね。
グラインダーで削る時の火花を、花火だー、って言って見せてくれたり。
子沢山の子供達を育てるのに、お金を稼ぐに苦労して、時にはお金を借りたりしながら、何とか育て切った人であり。(私には到底できない事なので、このへん尊敬しております。)
自分は若い頃、養子に行って、(産みの母、つまり私にとっての祖母は実家から近くに住んでいたので、おそらく昔によくある家を継ぐ子がいないからって感じの養子かなあ?と推測)若造の内から養子に入った家で男手としてお家を支えたりしていた苦労人でありました。
でも、養子から戻ってきたんだよね。
その辺も、経緯は分からないんだけど、なんかあったのでしょう。
分かって欲しい、って気持ちが大きかった人でもあったと思う。
晩年、勉強したきのこの話とか、話がやたらとしつこかったのは、きっと皆に、うんうん、そうだねそうだね、すごいね、って話を聞いて分かって欲しかったんだね。
まあ、その圧が強過ぎて、面倒臭いとも思われていたんだけど、おじいさんあるあるではないかな?
父が亡くなってから、家の事を分担して家族でやるようになって(隣組とかお寺の行事とか税金とか公のもの諸々)、何でも長として表に立ってやってくれる人がいる、ってのは、本当に助かる事だったんだなあ、と思っています。
今時の考え方ではないけれど、分業として考えれば、家の責任あることは父!ってやり方も、一長がありますよね。人には向き不向きがあるんで、全員が何でもやれ、は、それはそれで大変である。
まあ、やり方を引き継ぎしないで亡くなられますと、残った者は、どうやるんだ•••ってなるので、段々と子供達も育ちながら、大人になって対外的なものをやっていくのが良いよな、って思います。
が、親って、そういう引き継ぎとか、生活に紛れてあんまり考えなかったりもするよね?自分がいなくなる、ってあんまし考えてなかったよね。割と最近じゃないです?終活とかって。
子供としては、いずれ両親は死ぬのだしさ、教えてよ、ってなんか言えなくて、当然のように自分の仕事を、ブーブーめんどくさ、とか言いながらもやってしまう(聞いても任せてはもらえない)親は、有り難くも甘い事なのでございます。
そんな父が、私の病をなんとかしようと現実的に動いてくれたので、私は何とかなったのでありますが。
私が就職した、2013年12月。
年をまたいで、2014年3月に、父は亡くなりました。病気で。
就職したって一応分かってもらってからだったのは、良かったかもしれない?
長くは病まなかったのですが、家族2や姉は、ああすれば良かった、こうすれば良かった、って気持ちがあるみたい。人が亡くなる時、スッキリと逝った、ってのは、まあ、父が歳をちゃんと重ねてから亡くなったにせよ、ないのかもしれませんね。
もう少し、歳をとってから、のんびり楽しんでも良かったよなぁ、釣りもしたりして、って家族達は思っています。
私ですか?私は、あんまり、そのころのことも、まだおぼつかなかったのですよね。
その頃も病は引きずっていて、そんなに余裕がなくて、お葬式も家族2が中心で手配をしてやったのですよね。今でもウチの家長は、なんとなく家族2かな、って感じです。
ワタシ、責任、多分沢山あると精神的に負担。ぐく〜っ、と重たい気持ちになるので、あんまり一気に責任とかあると、病に良くないと思います。
それでも段々と、分担の割合を増やしている私なので、許してくれ、家族達。時に厳しくも、のんびりな歩みがそこそこ許されている家庭環境、本当に良かったです。
父の言葉で、何でよ!と思った事があります。
彼は、すごく努力して良くなる、とかを尊ぶ昔人であったので、病でのんのんのたりしている、ように見える私に、こんな事を言いました。
姉は、スーパーのレジの仕事でも、1番できる!って位に頑張って、とても素晴らしい。竹美津も、1番になる位、努力して、高みを目指せ!1番になれるくらい、って頑張れば、何でも上手くいく!
的な事を、圧を高くかけながら。
私は多分、冷たい所があるな、って自分に対して思うのだけど、私が病を得て後に就職した頃、すぐ後に父が亡くなったのは、ちょっとだけ、自分の病にとってはタイミングが合っていたかもしれない、って思います。
憎んだりはしてないけど、その時々で、家族内でも、相性って、あるよね?
父の、1番を目指せ!
的な圧が、常にある状態から脱せられて、のんびり気味に自分のペースで努力も楽しみもしつつ、回復出来たことは、きっと、本当に、ベストなタイミング。父が亡くなって欲しいって気持ちではないけれど。
普通をやるのにさえ、ひーひー言って全く出来ないでいる時に、自己肯定感が下がってる時に、1番になるくらい、頑張れ!
ってね、うん、もう、心の中が嵐になるほど、何でよ!って思いましたね。
できない!
それどころじゃない!
分かってない!
それじゃ私は良くなれない!
何で、普通くらいに、ほどほど良くなれば、気長に、良いよね、って穏やかな感じじゃないんだ!
どうして1番になんか、ならなきゃいけないんだ!
そもそも仕事で競うってなんだ!
色々、がん!っと思って、そのうちの少しは言い返したけど、こういうのって理解し合う、ってもんでもないのでねー。
父なりの激励であり、頑張って欲しかったのであろう。男親の、分かんない感じのとこなのであろう。
という訳で、もし、精神の病のご家族がいる方には、きっと焦ったいのだとは思うのですけど、良くなれよ、の圧を、出来ればあまり、常には強くかけないでいただけると、その方が病気には良いです。
でもさ、人間だから、漏れるよね?
気持ちはね?
だから、完全に気持ちを消そうとしないで、時々ぶつかっても良いのだと思います。
それが子供にも、ちゃんと、気持ちの学びとして残るのであるし、そうやって触れ合って思い出は作られて、人は大人になるのであるから。
そんな思い出もありつつ、私が病になった事で実家に帰り、晩年の父と交流を持てた事は、間に合った!
って気持ちがしています。
離れ離れで、逝ってしまわれる事だって、あったかもしれないのだよな。
私が、病でドンッといきなり仕事を辞めて帰った後に、東日本大震災がありました。震災の時に、一人暮らしで、しかも調子が悪く、都内に勤めていたとしたら。実家に帰る事なく。と思うと、これまた病を得るタイミングは良かったのだな、と思います。
不幸と幸福は、その、本当に困られている方にとって申し訳ない言い方になってしまうので、私にとっては、って事なんですけれど、何が良くて何が悪いか、分からないもんだなぁ、って思います。
父のお葬式の時、近しい親族だけが集まって父の寝かせられた棺と控室に。
父の、しわのあるおでこを、あー、もう、触れられる事はないのだなあ、父ってこんな顔なんだなあ、と、静かな気持ちで何度も、手のひらで撫でて伸ばしていたら。
姉の夫、義兄が。
「おい、竹美津。そんなに悲しむなよ•••。」
と言ったのでした。
私は悲しんで、いたのだろうか。
悲しむっていうより、もっと平らかな、現実をただジッと見ているような、静かな気持ちであった、と覚えています。父が死ぬって、分かんないよね。もう生きてないんだし、会えないんだし、無くなってしまう。
そうなんだなぁ、という気持ちです。私はそういう時、取り乱して泣くような感じには、ならないようです。
強いて言えば、別れを惜しむ、という時間であったかと思います。
父が亡くなっても、家にきのこの本はある。
荷物がめっちゃ残ってるんですよ!
片付けたいな、って思っても、亡くなってハイ!捨てる!っていかないもんなのですね。長い時間がかかる。
残された人に良いように、段々と時を必要としながら、またこれから、父のいない時間を当たり前として、そのまだある存在感を荷物で感じながら、消化しながらも、この先やっていく。
人が生きて、死んでいくのには、きっと、本当に時間がかかるのでありましょう。
私は父が。
諸々複雑な気持ちを丸っとまとめると。
うん、ありがとね。
って感じなのであります。




