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こっちにこいよ


私は正しい!

って言い切れる人は、心が強いと思う。と同時に、本当かぁ?って思ってしまいます。


それは、自分の中の、実は正しくない部分に気づいてないだけなのではないか?

物事ってそんなにすっぱり、善悪はっきり分けられない事も多いし、誰かからみて善でも、反対側から見れば、悪までいかなくても、善ではない事など沢山あります。


そう思うと、自分が正しい!って主張するのって、なんか傲慢なんじゃないか、って思えたりもします。

私は同腹の兄弟姉妹がいる中の、真ん中っ子なのですが、そういう環境もあってか、割り切れず曖昧に、どっちつかずの優柔不断である事も多いです。ざっくりする時はするんですが、そんなにさっぱりしてない。


客観的に誰がどう正しく悪いか、を決める時は、だからこそ色々な面から見て判断すべきなのでしょう。

そして、それでも自分が人と話し合う時は、自分の立場を、ここ!と決めて話すのが良いのかな、と思うので。正しくもなければ悪くもないよ、っていうふうに話すのは、パンチが効いてないよな、と思う事はあります。伝わらない。


だから、人は、他の見方まで自分で全部言い切る事なく、自分からは、こうだよ!とまずは言ってみる事で、人と交流するのかも、しれませんね。相手の気持ちまで、思い込みすぎて何か言えないのは、それはそれで、実は勝手なのじゃないかな、とも言えます。

話してみないとわからない。


大人になると、若い子が、「話をもっと気さくにすればいいのによー。」と思う事もあります。この話下手な、私でさえ思うのだぜ。

話せばなんて事はない。伝わりさえすれば、齟齬は解消する。って事は、あります。おじさんおばさんになって、図太くなって、繊細さを失う代わりに、担える事があるのです。


私の、今は亡き父の思い出に、こんな事があります。


私たちがまだ幼かった頃、父は部品を削る製作所をやっていて、仕事をもらってきては寸法に削って返す下請けをやっていました。

その頃、製造業は景気が悪く、仕事が少なかったのです。父が仕事をもらっている所では、他にも仕事をもらっている人がいて、仕事が取り合いになるような状態でした。


ある日、父が家に帰ってきて、渋面を作りながら。

今日、仕事をもらいに、いつものように部品を取りに行ったら。同業の人が、他の人の取り分を気にする事なく、何にも言わずにどんどん部品を積んで行ってしまった。どこも仕事が少なくて、困ってるのに、自分ばかり勝手に、ああは普通できないよ。と。


父は、確か、何も言わずに、ジッと見ていて、帰ってきたんだった気がする。多少は仕事をもらってきたんだったかもしれませんが。

日本人、沈黙は遺憾の意。外国ではあり得ないかも。でも、父なりの、それはないだろう、を表した沈黙であったのかも。はっきり覚えていないのですが、当時、モヤッとしたのを覚えています。また、その頃の父は若く、歳をとってからなら、また違ったかもしれませんね。シレッと言えたり。


これって、どんどん他の人が困るのを考慮せず、仕事を独占した人は、まあ悪ですよね。どちらかと言うと。

でも、そこんちの人から見れば、頼もしい、正しく守ってもらえてる、ってことはあるかもしれませんね。


父は善とまではいかなくても、抑制がきいてたとは言えます。が、うちの家計をなんとかする立場としては、ちょっと待ってよウチも困るんだけど、と言えない部分は、頼りない、悪とまではいかなくても、上手くないといえますかね?


色々な人から仕事をもらう立場として、あまり人と諍いを起こさない、というやり方でもあったのかもしれません。大人は簡単じゃない。


これって、国とかでも、よくあるよね。自分が一般的に損をする立場でも、自分の周りの近しい家族や関係ある人を損させる事があっても、善と思われることをする、もしくは我慢をできるか。立場の強弱で仕方ない事もあります。

人と争わないために、どれだけの事を飲み込めるか。それがお互いにどこまでか。


テレビのニュースとかをみていると、お互いに主張するばっかりで、なんか悲しくなってくるのは、その一面だけを見た、弱気の私であるからですね。でも、必要な事でもあると思います。

話し合ってお互いちょうど良いところに持っていく、ってのは、精神的に健康で、タフな人同士じゃないと、できる事じゃありません。でも、お互いが充分に気力体力経験実力も、充実している、なんて話し合いばかりではないのが現実です。


弱気な人だって、主張したい事はあったりする。

その時、どの立場で、どれだけ言うかを考えた時、ある点に自分を固定して言う。

全部を先回りして考えて、言えなくなるのではなく、考えていた事があったとしても、それが相手の考えや立場に合っているとも限らないし、とにかくちょっとしたとこを打ってみる。


相手の話も、聞くよという、受け入れる態度で。


っていうのでお互いに話して繰り返せば、ネット上の会話でも、国の話し合いでも、うまいこといくんじゃないですかしらねー、なんて思っています。まあ、自分が現実でも勉強中なんですが•••うまくそんなすぐ、しかもいつもいつもだなんて、できないよね。


話しても聞いてくれる気がしない人には、まあ言わないですよね。つまり、相手が話してくれない、って時は、聞いてもらえないだろう、と信頼感がない時です。

日本で、あの人はちょっとね、って人が案外自分の立ち位置を知らなかったりするのは、周りの人が、気さくに正直な気持ちを話してくれないから、かもしれないですね。


それと、お互い損を我慢するばっかりじゃなくて、そこから一歩飛び抜けた、第3の案を出す。

父の話で言えば、他の部品の仕事をもらってくる、仕事自体が増えるような案を製造業の同業者だけじゃなく偉い人も、誰かが考え出す、製作所仕事に関わらず他の仕事を考える、など色々方法があります。


私は特別な才能がある訳じゃないんですけど、第3の案を出せる人を応援する事はできます。

また、考え方の広がりを示唆できる人の意見を、読んだり聞いたりする事はできる。

それを実行する力のある人も必要だし、補佐する人も必要だし、そんな事を考えていると、人と人で争ったりしている場合じゃないよなあ、足引っ張り合ってないで、みんながみんな、自分のできる事を、できる範囲で無理なくやったら、少しずつ未来は良くなるんじゃないかなあ、って信じたい私です。無理したら続かないもんね。


あんまりニュース番組は得意じゃないし、人と話すのも得意じゃないけど、迷い考える、をやりながら、のんびり一歩一歩進むのが、自分に合っているなと思います。


人によったら、これ!って方向にトップスピードで走っていき、間違いがあるたびに修正しながら、人々が向かう未来を引っ張っていく、そんな役割の人もいるんだと思うんですよね。だけど、たった一人にそれを任せる事はないよな、って思います。


人が沢山いる、だから沢山の意見がある、って事には、きっと意味があるんじゃないかな。

誰かの言葉が誰かに届き、誰かに何かを言ってもらえる。

それは幸せな事なので、何かを伝えたくなった時、すごく素晴らしい事なんかじゃなくたって、例えば父が私に、部品の仕事を取られちゃった話をするんだって、未来の私に何かを生んだりする訳なので。


伝えるって事を、特別に、だけど日常的に、普通に、大事に、なんという事もなく気さくに、言わない事も含めて、意識はしてないのに生きていくのにとても必要な空気のように、時にはたった一言を宝物のように。


沢山の人が伝えてくれたら嬉しいし、選んで読んだり見たりできる今が幸せであるなぁ、と思います。


無職の時に、図書館にも通いました。


私が精神科の先生にかかった最初の頃、食事はどうですか、と聞かれて、「食べるのは大好きです。」と言ったら笑って、「良いですねぇ!」って言われたんですけども。(多分、食事をちゃんと摂れない病状の人もいるからかなぁ?)

本を読むのも大好きで、人とすぐに普通に話をしたりできなかった時も、図書館で本を借りて読んだりできた事は、とっても良かったな、って思います。


人が作ったものは人が伝えること。

食べ物もそうだし、本もそうですね。


何かを伝える側になる幸せ。

それを受け入れて身にする幸せ。


みんなも、こっちこいよ!楽しいぜ!

って言える毎日を、過ごしていきたいです。

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