83 ファーマソン公爵夫妻との対談⑤
「……あの行為が、私の感情が理由、動機であるとして。それが何かしら。貴方に何の関係があるというの?」
ノーラリア夫人に、ほんの少し『苛立ち』の感情を湧き立てさせることに成功した。
より彼女の迫力が増している。まだまだ。今の段階では一矢も報いれてはいない。
「リヴィア様の結婚式のいざこざが、ノーラリア夫人の感情を起因としたものであるならば。先程までおっしゃられていた『私が手を回すのが遅れた、それで民が犠牲になっていればどうするつもりだったのか』という理屈は通らないでしょう」
「……そうかしら? 結局、その指摘は正しいのでは?」
「……まぁ、そこはいいです。やっぱり、そこも本題ではないので」
「はぁ……。先程から言っているけれど。その『本題』とやらに早く入ってくれないかしら」
「ええ、もちろん。では、ここから」
私は呼吸を整えて、リシャール様にちらりと視線を移して頷き合ってから続けた。
「ノーラリア夫人。リヴィア様は……『ファティマさん』ではありませんよ?」
「────」
私の言葉に一瞬、時が止まったような感覚。ずっと黙り込んでいたジャック氏が、また私を睨みつける。そしてノーラリア夫人は。
「……サラから聞いたの?」
「ええと、サラというのは」
私はずっと無言で居る王妃、サラティエラ様に視線を向けた。
「王妃、サラティエラ・フォン・ランス。愛称は『サラ』ね。彼女は私の友人だから。愛称で呼ぶことがあるのも当然でしょう?」
「そうですか。はい、王妃様からお伺いしました。当時のジャック氏の不貞相手、リヴィア様の実の母親、その女性の名前が『ファティマ』であると」
ノーラリア夫人は、表情を歪ませている。不快だ、と。そう主張するように。
ビリビリとした威圧を感じた。
「エレクトラ・ヴェント。貴方は何が言いたいのかしら」
「……あの結婚式は、ノーラリア夫人の個人的な感情に基づいた行為。であれば、それは貴方なりの『報復』だった。しかし。けれど。……その対象は、本当にリヴィア様なのですか? それともジャック氏への報復でしたか? あの結婚式で、最も傷ついたのは本当にジャック氏でしたか? ……私はそうではないと思います。子供のような内面をした、それでも女性の。リヴィア様が最も傷ついたと思います。貴方はそれでいいのですか? そんな形で、貴方は『納得』するのですか? ノーラリア・ファーマソン公爵夫人。私はこう思います。『納得』して人生を歩むことが大事なのだと。それは或いは愛情よりも大事なのかもしれません」
私は息継ぎをしてからそのまま話し続ける。
「貴方の報復が、その対象が『ファティマさん』であったのならまだ納得がいったでしょう。ですが貴方が標的にしたのはリヴィア様です。それで貴方の気分は、本当に晴れたのですか? 私には、まだ貴方が燻っているように感じます、ノーラリア・ファーマソン」
そこまで言い切ってから、私は一端言葉を切った。
部屋には重い沈黙が訪れる。長い、長い沈黙。誰もがノーラリア夫人の言葉を待った。
「…………」
ノーラリア夫人は扇を取り出し、沈黙を続けた。
隣に座っているジャック氏がハラハラとした様子でノーラリア夫人の顔色を窺っている。
「……納得していないなら、どうしていれば良かったというの?」
「……少なくともリヴィア様を標的にしたって貴方の気持ちは晴れない。私が言いたいのはその点です」
「だから、どうしていればよかったと? 浮気した旦那も、その浮気相手さえも許して差し上げるような、聖人君子のエレクトラ・ヴェント様は、すべてを許すことが重要だと。この私に説教をするのかしら? 貴方の言いたいことは、そういうことで合っている?」
怒りだ。ノーラリア夫人の『怒り』を感じた。ここが彼女の逆鱗なのだろう。
気圧されれば、ここで終わり。ここで決別。そんなものは誰の得にもならない。
ならば、この怒れる高貴な女性を前にして、私は尚も勇気を出して踏み込まなければならない。
「いいえ、ノーラリア夫人。私は貴方に逆のことを言います」
「……逆ですって?」
「はい。私はこう言うのです」
ニコリと。私は笑顔を浮かべた。怒れる彼女に対するは笑顔だ。
「『許さないこと』を許します。どうか、お怒りください、ノーラリア夫人。貴方は怒っていいのです。貴方は許さなくて、いいのです。他の誰が認めなくても。私がそれを認め、私がそれを許します」
「……は?」
きょとんと。先程までの湧き立っていた怒りがうそのように。
ノーラリア夫人は私の言葉に意表を突かれた様子だ。
「貴方、何を……」
「……ノーラリア夫人。貴方は私のことを知っているのでしょう。リヴィア様たちと、どのように決着を着けたのかさえ、或いは知っている。だからこそ貴方はああ言ったのでしょう? 優しい私が、だからこそ許せと。そう貴方に告げるのだと。なにせ、一方的な不貞をした元旦那様、ハリード・カールソンを許したのだから。浮気相手のリヴィア・カールソンさえも許して見せたのだから。だからこそ、エレクトラ・ヴェントの答えは『何人であろうとも許せ』という主張しかないと」
ニッと私は、今度は悪戯っ子のように微笑んで見せた。
「……違うというの? それが貴方の哲学だと思っていたわ」
「ふふ、それは誤解というものです」
やはりノーラリア夫人は私のことを知っていたのだ。或いは王妃様から聞いていたか。
故に私がハリード様とリヴィア様との間で、どのように決着を着けたのかも知っていた。
だから、同じようなことを己にも強いるだろうと。そう思っていたのだ。
だけど違う。私の出す答えはそうじゃあない。それがノーラリア夫人の怒りに水を差した。
彼女は冷静になったのだ。理知的で、家門のために己の怒りを抑えられる。
そういう高貴な貴族女性に、戻った。
であれば、私の話す言葉に耳を傾けるだろう。
心での『納得』を目指し。そして社会的な『利得』を目指す。
長年の感情に決着を着けることが、如何に重要か。それでいて家門もまた守られるべきで。
「貴方がどうしていれば良かったか。許せないのはファティマさん。でも、彼女は死んでしまった。残された貴方に出来ることは、彼女の墓石に汚水を掛ける程度のことぐらい。だけど、それでは気が済まない。だからこそリヴィア様に手を出した。……だけど」
私は続ける。
「貴方はあの日まで耐えてきた。我慢してきた。リヴィア様が成人するまで、結婚式を挙げるまで。大人になるまで。貴方はリヴィア様に手を出さなかった。それが貴方の中での『納得』です。リヴィア様はもう『大人』なのだから、と。ハリード・カールソン相手に不貞をしたのだから、と。であれば、彼女にだって手を出してもいいだろう。許せる範囲であろうと。貴方は線引きした。確かにそれは、多くの人が認めることかもしれない。貴方の怒りに理解を示すことかもしれない。でも……重要なのは、貴方の気持ち。ノーラリア・ファーマソンの『納得』です」
そう。納得。
「ノーラリア夫人。貴方は、あの報復では『納得』出来ていないのでは? だって、リヴィア様はファティマさんじゃあない。私の敵であって、貴方の敵ではなかったのです。敵でないものを攻撃し、打ち倒したところで……貴方の心は納得なんてしない」
そう。だから。
「居るではありませんか、ノーラリア夫人」
「……居る?」
「ええ。たとえファティマさんが死んだのだとしても。リヴィアさんが敵ではないのだとしても。貴方が最も『怒り』を示すべき者が。貴方が立ち向かうべき者が、そこに」
私はノーラリア夫人をまっすぐに見ながら、手だけを大振りで振り上げ、そして指差した。
指差した先に居るのはノーラリア夫人の夫。ジャック・ファーマソン。
「貴方が怒りを示すことを。貴方が彼を許さないことを……私が許します」




