80 ファーマソン公爵夫妻との対談②
「貴様……。わざわざ、そのようなことを言うために王妃様を煩わせたのか?」
「いいえ? まさか。もちろん言ってやりたい言葉の一つではありましたので、この機会にお伝えしたまでです」
毅然と、微笑みを絶やさぬように。優雅に私はジャック氏と対峙する。
こういった場合は、下手に怒りを示すよりもこうした態度の方が、相手を精神的に上回れるのだ。
「……では、なんだ! いや、王妃様! このような者と話す暇など我らにはありません! 無礼な物言いをする者だ! これで何が聖人か!」
ジャック氏は声を荒らげて立ち上がったかと思うと王妃様にそう告げ、さらに私を罵倒する。
「…………」
サラティエラ王妃はこの場に同席しているけれど、無言。口を挟む気は無いということね。
このタイミングでの退室を咎めないということでもありそうだけど。そちらはノーラリア夫人が止めてくれた。
「……ジャック、座りなさい。王妃様が対談の場を設けたのよ。それを私たちの都合で勝手に終えていいはずがないでしょう」
「ぐっ……! だが、ノーラ!」
ジャック氏なりにこの対談は自分に分が悪いと感じているのだろう。
ただ一方的に糾弾される場であるとも。それは、ファーマソン家での立場が危ういジャック氏にとって余計に避けたいことのはずだ。
「どうぞ、お座りになってください、ファーマソン公爵。私の用件はそう長く掛かりませんから。いくつか貴方たちそれぞれに言いたいことがある。ただ、それを聞いていただければ良いのです。質問形式のものもありますので、その問いにも答えていただけますと幸いです」
私はあくまで微笑みを浮かべながら。感情的にならずに対話を進めていく。
「ジャック」
「くっ……!」
ノーラリア夫人に促され、苛立たしげに座るジャック氏。本当に余裕がない。
ここでの態度だけで、彼がファーマソン家でどういう立場であるのか目に見えるようだった。
「それで。私たちに言いたいこと、だったかしら。どういったことがあるの?」
ノーラリア夫人は何事にも動じない様子で。鋼鉄で固められたような無表情だった。
活力がない、いいえ。感情を感じさせないというべきか。
カタリナ様が公爵夫人にしては感情を出し過ぎなので、あまりに両公爵夫人に差がある。
「それでは、まずジャック氏から。……私は、貴方の実の娘、リヴィア・カールソンと話す機会を得ました。以前までは間接的な縁でしたが、彼女とカールソン子爵と話し合うことになったのです。そんな彼女の近況と、その言葉。その生い立ちから来る彼女という人間について。話をさせていただきます」
「……リヴィアの」
ジャック氏がノーラリア夫人を媚びるように窺う。だが、興味はあるようだ。
少しだけこちらの話を聞く態度が前のめりになった。
「リヴィア様は現在、夫となったカールソン子爵とは良好な関係を築いている様子ですね。家としての苦労はあるようですが、夫婦としての関係にはヒビなど入っておりません」
「…………」
ジャック氏の訝しげな表情。本当だろうな、と私の言葉を疑っている様子だ。
「ジャック・ファーマソン公爵。きっと実の父親の貴方より、私の方がより深くリヴィア様という女性のことを分かっているでしょうね。彼女を幸せにするつもりが、もっとも不幸に落とした貴方よりも」
「な……何だと!?」
怒気を発するジャック氏にリシャール様が睨みを効かせる。逞しい男性が隣に居るというだけで牽制になるのだろう。特にジャック氏のような人物は。
「これがまず今日の言いたいことです。貴方のその中途半端な親心は、ただの自己満足でした。それによってリヴィア様が受け取ったのは歪な『世界観』です。貴方は身寄りのないリヴィア様に、大きな精神の歪みだけを与え、彼女の人間性を損ないました。その結果で不貞行為に至ったのかは定かではありませんけれど。しかし、愛する者を得た後の行動は常軌を逸していましたよ。それを彼女が悪意をもってしていたのなら、まだマシだった。私は、許しはしなかったでしょうけれど。これは、彼女と共に暮らしたオルブライト夫人の言葉でもあります。……リヴィア様が求めていたのは何だったと思います? ジャック・ファーマソン」
「……不敬だぞ、たかが子爵令嬢風情が。私を呼び捨てにするな」
フ、と私は嘲笑った。真っ先に返す言葉がそれか。であれば応対する必要もない。
「『親』ですよ。リヴィア様が求めていたのは、親。そして家族でした。顔も見せない、言葉も届けない、手紙もない、赤の他人から与えられる贈り物だけ受け取っても、きっと満たされなかったのでしょうね? 家族の愛情を求めていた彼女は、オルブライト夫人に、私に、『母親』を求めていたのです。よりにもよって、不貞をした相手の男の元妻に」
そんなのおかしいでしょう? と私は肩を竦めた。
「貴方は父親気取りで、あれこれとリヴィア様の周りに手を出すくせに。そのすべてが自己満足に過ぎませんでした。けっして彼女の、子供らしい、人間らしい原初の願いを叶えてあげなかった。そうでない部分で満たそうとしたのは、リヴィア様の心ではありません。貴方の身勝手な自尊心でしょう? 本当に……役立たずな、父親の価値などない男だこと」
「貴様……!」
「ジャック! 王妃様の前です」
激昂して立ち上がり掛けたジャック氏をノーラリア夫人が一喝し、止める。
彼は悔しそうにしながら座り直し、憎たらしそうに私を睨んだ。
「……リヴィア様にお聞きしました。『聖女』になどなりたかったのか、と。彼女は答えました。そんな名など求めたことなどなかった、と。……ですが、聖女と呼ばれると『皆』に認められているような気分にはなっていたそうです。そんな名声に縋りたくなるほど『皆』に認められていないように感じていたということ。その様子や言動から、それで彼女の心が満たされることはなかったみたいですね。ジャック・ファーマソン、貴方がリヴィア様にしたことは……無駄でした」
「くっ……!」
私は、彼の様子を窺いながら尚も話を続けた。
「その貴方の無駄で、愚かで、リヴィア様の願いを全く無視した、振る舞いの結果。それが私と元夫ハリード・カールソンの離縁に繋がりました。すべての責任とまでは言いませんよ? あの二人に理由や原因、動機があったことは変わらないのですから。ですが、それ以外の部分。……貴方はかつてこの私を、侮辱し、陥れようとし、そしてすべてを奪おうとしました。この私の名誉と誇りと矜持を、貴方は踏みにじろうとしたのです」
「……何の証拠がある!」
「あら、証拠をお望みで? その証拠が今の状況で揃わないと思うのですか? オルブライト夫人は私の兄、ベルトマス・ヴェント子爵と商会の提携を行っています。それでは、彼女経由で集めて貰いましょうか、当時の証拠を。ファーマソン公爵が、不当にカールソン男爵家を潰そうと画策していた、と。王妃様が聞く場で、立証のために動いた方がよろしいと?」
「ぐっ……!」
メイリン・オルブライト夫人。彼女が動くのなら、それはノーラリア夫人が、かつて掴んでいたことも出てくるかもしれないということである。そうなると分が悪いことぐらい分かるだろう。
「ジャック・ファーマソン。回りくどく言いましたが、貴方に最も言いたいことは、これだけです。
『私を見くびるな』。お前がかつてしたような真似を、二度と許さない。どんな手段を取ろうとも、お前がどんな身分であろうとも、私は必ず報復を果たす。聖人の名を振るい、教会さえも動かして見せよう。伝手を辿り、リュースウェル公爵家やグランドラ辺境伯家にも動いて貰おう。今回の場のように王族にさえ動いて貰おう。私を見くびり、侮り、手を出そうとしたことを必ず後悔させてやる。私の身が破滅の危機に陥ろうとだ。お前は私の名誉を傷付ける過程で、領民のための食糧にさえ手を出そうとした。……私は何よりそのことが許せない。お前は公爵でありながら、この国に住む『民』に手を出そうとした。それを許さない者が……私だけだと思うなよ?」
「な……」
私は気迫を持って、その台詞を言い切った。それまでにこやかに微笑みを浮かべてからの差で、驚きを与えるように。そして、再び表情を戻してニッコリと。
「……と、まぁ。ジャック氏に言いたいことはこれぐらいでしょうか」
王妃様がこの場に留まってくれて助かったわ。民に犠牲を出そうとしたことは、ある意味で私の名誉より重く受け取られる。
思った通り、サラティエラ王妃の視線も厳しくなった。
「ああ、最後にもう一つだけ。ジャック・ファーマソン。貴方が、本当に娘を愛しているのなら、まず『愛情』こそを与えてあげるべきでした。欲しいのだか欲しくないのだか分からない、微妙なモノを与えるのは貴方の自己満足。物欲を満たすのは愛の後でしょう? だって貴方は『親』なのだから。他人を蹴落として、男を宛がって、彼女の願った物だけポンと与えて悦に浸って。それだけで『いい父親』面しないでくださる? それって多くの『父親』に対しても、いい迷惑だわ」
私の言いたいことをきちんと最後まで言えて、少し満足。
ジャック氏は怒りを忘れて言葉を失い、呆けた表情を浮かべていた。




