75 カタリナからの忠告
「カタリナ様、ご同行いただき、ありがとうございます」
「いいのよ、エレクトラさん。王妃様とも久しぶりに会うのだから」
私は、カタリナ様と共に王都にあるリュースウェル家の邸宅からリュースウェル家の馬車に乗って王宮へ向かうことになった。流石に私やリシャール様だけで行くには王宮は敷居が高過ぎる。
精一杯、整えた服装でカタリナ様と同じ馬車の中へ。
リシャール様は馬に乗って私たちの警護をしながらの同行だ。そのため、馬車の中は私とカタリナ様の二人きりになった。そんな状況でカタリナ様が私に話し掛けてくる。
「ねぇ、エレクトラさん。確認しておきたいのだけれど」
「はい、カタリナ様」
カタリナ様はいつもと変わらず、微笑みを浮かべてどこか楽しそうな様子だ。
身分もそうだし、エルドミカ様がユリアン殿下と仲が良い様子だった。まだ若い公爵夫妻ではあるものの、国王夫妻とも当然面識があるのだろう。私と違ってそこまで気負うことはないはずだ。
「公爵夫人として。貴方に忠告させて貰うわね、エレクトラさん」
「……忠告、ですか」
「ええ、そうよ」
カタリナ様の表情に変化はない。忠告と言ったが威圧されている気配はなかった。
でも、何だろう。言葉の端から何とも言えない、真面目に耳を傾けなければいけない何かを感じた。私は居住まいを正してカタリナ様と正面から向き合う。
「エレクトラさん。貴方は確かに大きな後ろ盾を得たけれど。それでも、貴方が最終的に働きかけたい相手は公爵家よ。ただの貴族ではない。ランス王国で二つしかない、最上位の貴族家門」
「……はい」
私は視線を合わせたまま頷いた。
「グランドラ辺境伯家と関わり、私たちリュースウェル公爵家と関わり、王族と関わり、大司教と関わって。確かに錚々たる顔ぶれだと思うわ。それらすべてが貴方の味方となるのなら絶大な権力のようにも思えるでしょう。だけど」
だけど。
「実際の貴方は、聖人と呼ばれるようになろうとも、それでも一人のちっぽけな人間に過ぎない。大家門を相手取るにはあまりにも弱い。気を付けなければいけないのは、貴方の助けとなるはずの後ろ盾について。辺境伯家も、王家も、教会も、リュースウェル家も。すべてが別にファーマソン公爵家と敵対しているワケでもなく。また嫌悪しているのでも、憎悪を向けているのでもないということ。彼らがランス王国に弓を引き、反逆をしているワケでもない。分かるわね?」
「……はい、カタリナ様」
私はカタリナ様の言葉にまた大きく頷いて返す。
「そう。結局、ファーマソン公爵家と敵対しているのは『貴方だけ』なの。貴方にとって敵であるとしても、他の皆さんにとってはそうじゃない。であれば、本当に敵対関係になった時。絶対に、貴方の味方であると。そう言える勢力、後ろ盾は居ないと言ってもいいかもしれない」
「……はい」
私たちに正当性があれば。或いは、ファーマソン家にそれだけの瑕疵があれば。
その限りではないのだろう。しかし現状、個人的な……そう個人的な『納得』の問題なのだ。
確かに私は、かつてファーマソン公爵ジャック氏に見くびられ、不当な『攻撃』を受けたことがある。しかし、多くの貴族がそうであるように。相手が公爵家ともなれば、泣き寝入り、黙することが賢い選択と言えるだろう。
私は、それをあえて掘り返し、敵対行動を取ろうとしている。王家すら巻き込んで。教会と深く関わってまで。
では、それに正当性があるのか。否、ランス王国にとって利益はあるのか。
私は、それほどの存在ではない。たとえ聖人に列席されようとも。これからの評価であっという間に立場を追われることもあるだろう。私に大きな瑕疵が生じて人々から見放されたら。
そして、それが理不尽な圧力、暴力によって叶えられることもあるかもしれない。
「その『覚悟』はあるの? エレクトラ・ヴェント。公爵家を敵に回す覚悟が」
覚悟……。
「……離縁した元夫とは和解したそうね。随分と優しい、かつての貴方の気持ちを晴らすような、爽やかな別離だったそうじゃない。一発引っ叩いて見せて、相手方の二人からは心からの謝罪を引き出して。その上でお情けまでかけてあげて、完全に心で彼らを超克した」
どこから詳細情報が入るのだろう? あの部屋には私たち五人しか居なかったはずなのだけど。
カールソン夫妻から漏れるとは思えないし、タイミングもない。リシャール様に聞いたら……別に隠すこともないか。じゃあ、普通にリシャール様から聞いたのかな。
「なら、それでもういいとは思わない? 貴方は充分にやって見せたわ。不貞して、貴方を見くびり、離縁する原因となった彼らという試練を貴方は乗り越えた。これ以上を踏み込むのは勇気とは言わない。己の実力、立場が持つ力を見誤った蛮勇。驕りと言っていい。そうではない?」
カタリナ様は、こうして忠告してくれている間も表情は変わらなかった。
本当に、いつも通り。確かに気配はある。だが、それは高位貴族の……公爵夫人としての気品を感じさせているだけ。
如何様な者を相手にしようとしているのか。本当にそれを私が理解しているのか。
そして理解しているのなら、その覚悟は本当にあるのか。
「本当にこの道を進む必要はある? まだ引き返せるわ、エレクトラさん。ここで引き返すのなら、私が国王陛下と王妃様に事情を話して納得して貰うから。それにその選択は諍いがなくなるということでもあるし、快く受け入れて貰えるはずよ」
「カタリナ様……。ありがとうございます」
彼女の言葉は、真に忠告なのだろう。引き返すのなら今なのだと。
私はもう充分にやった。ハリード様にも、リヴィア様にも心底謝って貰って。
彼らからすべてを奪うこともなく、気持ち良く前へ進めるようになった。
なら、それでもいいのではないか。もう納得したっていいのじゃあないのか。
ハリード様は謝ってくれたのだ。リヴィア様も謝ってくれたのだ。
もうあの様子から彼らと、不愉快な形で関わることなどないだろう。
かつて夢で見た、理不尽なことなんて実際には起きていない。
あれは『夢』なのだ。回帰ではない。私は殺されていないし、不幸になんてならなかった。
心底、私の心が、私の魂が、そう感じるからこそ、あの決着に納得したのだ。
聖エレンシア様から隔世的に継いだ力は、ただ己に生じ得る理不尽な運命を知るだけの力だった。
であればもう。
ファーマソン公爵夫妻の目的だって既に達成されているはずだ。ノーラリア夫人は夫にやり返して見せた。ジャック氏は、自らの意志でリヴィア様との縁を切り捨てて今の身分にしがみついた。
ハリード様たちが勝手に報いを受けたように、彼らだって私の知らないところで勝手に決着を着けている。
ならば、私がこれ以上を踏み込む理由は?
この道を進む覚悟の理由。踏み出す勇気の理由は何だ。
「……グランドラ辺境伯領で」
私は、カタリナ様の目を見据えながら、言葉を紡ぐ。
「子供たちの面倒を見ています。先の魔獣発生で親を失い、身寄りのなくなった子供たちで……。今は教会の隣にある、養護施設で暮らしているんです。少し離れてしまいましたが、彼らはとても私のことを慕ってくれていて。とても可愛らしい子供たちです。やんちゃ盛りのゴンくん、誰よりも大人びているミーシャちゃん、友達想いのロンくん……。いい子たちなんですよ?」
「素敵な子供たちなのね」
「はい、とても!」
私はカタリナ様にニコリと微笑んで見せた。
「グランドラ領にリシャール様が家を頂きました。そこで彼らを引き取って暮らすのも悪くない……そんな風に思っています」
「それは、ちゃんとクラウディウス卿と相談してからにしなさいね? まだ子供が産めない年齢でもないのだから。すれ違いは夫婦生活に不幸を招くわよ?」
「は、はい。それはもう……。ただの私の夢ですから」
あと、まだ夫婦ではなく婚約者です。いい年齢になっているのですけどね。
「……私は、ずっと引っ掛かっているのだと思います」
「引っ掛かる?」
「ええ、……リヴィア様について」
「聖女さんね」
私は、こくりと頷き、肯定する。
「『私には』怒る権利がありました。リヴィア様は、私の夫だった人と交際し、離縁の原因になったのですから。そう、私は怒ってもいいはずです。ですが」
「……ええ」
「ノーラリア夫人に、リヴィア様をそこまで追いつめる権利がありましたか?」
「それは……まぁ、そこそこには……?」
「リヴィア様は、ただ生まれただけです。ジャック氏の愛人は責められるべきでしょう。大人ですから。もちろん権力で強制されたことであればその限りではありませんが。けれどノーラリア夫人の『報復』はリヴィア様を狙ったものでした。私もハリード様も『ついで』の存在に過ぎません。彼女が許せなかったのは、ジャック氏の亡き愛人であり、その子供も……憎しみの対象ではあったかもしれませんが。それでも、彼女はジャック氏とその愛人の間に生まれただけなのです」
「……まぁ、分かるわ。それで、さっきの子供の話とはどう繋がるの?」
「子供の扱いについて、です」
そう。私が彼女に感じたことは。
「リヴィア様は、その精神性が未熟な……大人にちゃんとなり切れていない子供だと思いました。思うところはあったのですが、私が彼女を救う道理も、手を差し伸べる必然もなくて。けれど、それには気付き、思うところがありました。それはきっとグランドラ領で幼い子供たちの面倒を見る機会に恵まれたからでもあります。『身寄りの居ない子供』が、歪められて育ち。それでも。……間違っていたのだとしても。愛する者と出会い、結婚して。幸せになれると夢に思い描いて。それをぶち壊しにされました。その根本たる原因は、彼女にはない。なかったんですよ?」
私ならば。
「それをしたのが『私であれば』納得しました。因果応報だと言えたはず」
だけど。リヴィア様に『報い』を与えてしまったのは、ノーラリア夫人だった。
その因縁、その理由は、彼女の親がジャック氏の愛人だったからだ。
そこに私は関係なく。ハリード様もまた無関係。
「私が最初から、リヴィア様に『報い』を与える者であれば……彼女はもっと早くに道を正すこともあったはず。一年も燻ったまま過ごさず。幸せから叩き落とされる結婚式などせず。結婚式の件で……誰が一番に傷ついたでしょう? ノーラリア夫人が最も傷付けたかったジャック氏? いいえ、違います。愛する者と結婚する場を台無しにされたリヴィア様でした」
だから。
「それってどうかと思います。もちろん無関係であるならば彼女の報復に口なんて出せないと言うでしょう。大半の人がそうであるでしょう。しかし、けれど、だけど」
私だけは。
「──私の獲物を横取りした。……そう思いませんか? カタリナ様」
「よ、横取り? 獲物?」
私の言葉に流石のカタリナ様も意表を突かれたらしい。
「リヴィア様に夫と不貞されたのは私です。ノーラリア夫人ではありません。ノーラリア夫人が不貞されたのは、亡きリヴィア様の母君です。確かに亡くなられてはいますが……。それなら彼女が出来ることは、墓石に汚水でも掛けてやることぐらいではありませんか? その機会を逃したからといって、ノーラリア夫人は私の獲物に手を出しました。そのせいで、どこかスッキリしない終わり方しかなかったとも言えますよね? だって、最初から私がリヴィア様に報復をするのなら、もう少し『私が』彼女に強く当たっても許されました。……現実では、既に追い詰められている彼女たちを、これ以上に私がどうにかするのもな、と。そんな風にもやもやとした気持ちが……なくもありません。その中で私が納得いく形に落ち着かせはしました。けど、そうではないでしょう」
何故ならば。
「報復は、自らの手で叶えなければ。それが最も『納得』がいく形であるはずです。誰かの手を借りるのはいい。誰かが『私を』思い、報復を成してくれるのも及第点です。ですが、その資格がない者が横取りしたせいで、私の気分が晴れないことは解せない。何より、そのやり方です」
「やり方?」
「結婚式。……私、挙げてないんですよね、ハリード様と。いえ、別にハリード様に未練はないのですけど。身寄りもなく育った子供が、ようやく手にした機会。その結婚式を……台無しにする。そのやり口が……いけ好かない。子供であるリヴィア様を標的にしたこと。私の獲物を横取りしたこと。そして、その手段として結婚式を台無しにしたこと。それらすべてが……私の逆鱗に触れています。このままでは『納得』して終われない。……『子供』たちに顔向けが出来ない。私が深く関わり、知ったことがある。思ったことがある。他の誰にも任せておけない。いいえ、誰もリヴィア様のことなんて気に掛けて、ノーラリア夫人に、ジャック氏に文句を言ってやることなんてないでしょう。私だけが、それを出来るのです。私だけがその立場に居るのです。私ならば言えるでしょう。……もし、この道を進まなかったら。後悔する気がします。辺境に居る、身寄りのないあの子供たちに。いつか出会うかもしれない、私自身の子供に。胸を張れる私でありたい。そのために、この道を私は進みたい。相手は公爵家であり、大いなる敵かもしれません。盾突けば食われるのはこちらかもしれません。それでも尚、私は彼らと対峙して、言ってやりたいことがあるのです。一人の親になりたい者として。幼い子供に関わった女として」
それは蛮勇と、驕りと言われてしまうことかもしれない。
私は強大な敵を前にしてちっぽけな存在かもしれない。
それらを分かっていて尚、進みたいと願うのだ。それが私の、後悔のない……幸せな人生を掴み取ることに繋がると、そう感じるから。
「恐ろしいことかもしれない。私は弱く、愚かかもしれません。ですが、そんな私を支えてくれる人が居る。ならば勇気も湧いてきます。ですが、彼我の力の差があるのは確かでしょうから……。カタリナ様。どうか、弱い私にお力添え頂けませんか?」
これだけ大きなことを言っておいて、やっぱり頼るのは情けないような気もする。
でも、弱いなら弱いなりに。権威がある相手なら、相応のやり方で。
戦い方ぐらいは考え、選ぶべきだろう。
「……ふふ。ふふふ、いいわ、いいわよ、エレクトラさん」
カタリナ様はおかしさを堪えるように笑って、そう告げる。
「思った以上に面白いことを聞けた。貴方の覚悟を、勇気を。誰よりも深く知ることが出来たわ。いいわよ、思う存分やってみなさいな。元よりそのつもりで貴方たちに協力してきたのだから。それにこんなに楽しいことはそうはないもの! だから、これから会う貴い方たちにも、貴方の思いをぶつけて見せなさい?」
「あ、ありがとう……ございます?」
カタリナ様に楽しげに言われると、なんだか逆に腰が引ける。不思議だわ。
「さぁ、もう王宮に着いたわ。もう引き返せないわね? エレクトラさん」
カタリナ様が最後にそう締めくくるのだった。
 





