72 お節介
私はハリード様の様子を見て、これならば大丈夫だろうと思う。
あの夢で見たようなカールソン家が傾いた途端に私を捜して、責任や仕事を押し付けようとする……果ては殺される? 未来はありそうにない。ハリード様がきちんと領地に向き合って、子爵としての責任を果たす覚悟を感じた。
素直に離縁の際に考えていたことも教えてくれた。それを『過ち』だと認めている様子だ。
つまり、ハリード様は……『反省』してくれたのだ。ようやく。
ならば、私はそれでいい。
もちろん私だって、かつては彼への『報復』を考えたりもしていた。
だけど、それは私がいつの間にか『戦場の女神』だなんて呼ばれるようになって。大切な人と出会い、結ばれて。多くの人に認められたことで……自然と意味がなくなっていた。
『見返す』という方向性ならば、もはや申し分ないだろう。
この場に集まったのは私、リシャール様、ベルトマスお兄様。ハリード様、リヴィア様。
ここに来てから、五人の中でずっと黙っている人物が居る。
私は、その沈黙を貫いている人物に視線を向けた。
「っ……」
私が視線を向けただけで怯えたような仕草をする彼女。
『聖女』リヴィア・カールソン。彼女ともここで決着を着けておきたい。
これからの新しい人生を憂いなく歩いていくために、すべて清算しておきたいと思う。
「リヴィア・カールソン子爵夫人」
私は、感情を乗せないような事務的な声色でリヴィア様に声を掛けた。
「は、はい。エレクトラ様……」
「今の話を聞いていて、貴方のかつての『過ち』を理解していただけましたか?」
私はにこりとも微笑まない。ただ、怒りを示すこともしない。冷静に、事務的に。リヴィア様へ向けての対応はこれが正しいと思う。私が彼女に『情』を与える必要はないのだから。
「……! は、はい……」
「そう。それはどんな過ち? 教えていただけますか」
優しさを見せない私の態度に不安を覚えたのか、リヴィア様は隣に座るハリード様に手を伸ばす。
ハリード様はそんな彼女の手を握り返し、寄り添う姿を見せた。
……その姿に呆れたような感覚を覚えなくはない。でも。
二人には確かに絆があるのだと、私は悟った。それは、かつての私たちが築けなかったもの。
当たり前だが、そこに嫉妬はない。ただ感心したというか。
『そうでなくては』とも思う。私を裏切ってまで結ばれた二人なのだから。
彼らにはその道を進んでいって貰いたい。
「……結婚されていたはずの、ハリードに。私が……近付いて、結ばれるような関係に、なったこと……です」
思わず『よくできました』と言いたくなる。リヴィア様の口からそれを言わせたことは大きい。
恋心を燃え上がらせていた時はともかく、世間的な常識はきちんと頭に入っていたようだ。
大会で対面した時にきちんと彼女を拒絶した影響もあるのかも。
オルブライト夫人からリヴィア様に対する見解を聞いていたのは大きかったらしい。
これならば『話が出来る』。その段階にようやく至ったと感じた。
「そうね。一般的に既婚者に近付き、親密な関係を持つことは好ましくない行いです。ましてや、それが離縁の原因になるなど言語道断かと思います」
そこで私は、もう一度ハリード様に視線を向けてから再びリヴィア様へ視線を戻す。
「大会の時、リシャール様とハリード様は約束を交わされました。それは、リシャール様が彼に勝てば『お二人』に、私に対する謝罪をしていただくことです。……当時のお二人は、ただ冷静でなかった、常識を忘れてしまっていた、と。そう正しく認識していただけたかと思います。再度言いますが、私は貴方たちを過度に追い詰める気はありません。ただ、今後のために。隣り合う領地を持つ貴族の一員として、誠意ある態度を求めています。如何ですか? カールソン夫人。けじめをつけていただけるでしょうか?」
ただただ、その点だけを。誠意ある謝罪だけを求める。
私は彼らの愛など知ったことではない。彼女の哀れな生い立ちにも責任を負う立場になく。
彼女が内心で渇望している幸福の犠牲になる気は毛頭ない。
リヴィア様は、ハリード様と手を取り合い、ごくりと唾を呑み込む。そして。
「……申し訳ありません、でした。エレクトラ様。私が……お二人の婚姻に……、悪影響を……もたらしました」
「……俺も、再度、謝罪する。すまなかった、エレクトラ。離縁の原因は俺に、俺たちにある」
彼らは謝罪の言葉を口にし、頭を下げてくれた。
私はその姿をじっと見つめ、そして。深く、深く溜息を吐き出した。
天井を見上げてから、リシャール様に視線を移す。彼は無言でこくりと頷いてくれる。
私は苦笑いを浮かべてそれを受け止め、次にベルトマスお兄様にも視線を向けた。
お兄様は肩を竦めて、顎で示すような仕草。『エレクトラに任せる』ということだろう。
「……確かにお二人の謝罪を聞き届けました。これで、かつての私たちの離縁については手打ちと致しましょう。私からお二人にこれ以上を求めることはありません。慰謝料も要りません。ただ、一つだけ言うならば。過剰に私を求めるような真似は、今後もう止めていただきたいです。オルブライト夫人がカールソン家に雇われた経緯は耳にしていますが……。普通ならば、ありえないことだと分かっていただけますね? もう、私には私の生活があり、幸せがあります。あの家にも、ハリード様にも未練などなく。貴方たちに利用されるつもりなど私にはありません。それでも領地の運営が困難であるというのなら、それはヴェント子爵であるベルトマスお兄様にお話しください。それから……これは、ただのお節介ですが」
私は声色を変えて。リヴィア様に視線を向け直した。
「リヴィア様。貴方が、貴方自身の渇望するところを理解されているか、分かりませんが……」
「……はい」
「ハリード様には、ご両親がまだいらっしゃいますよ?」
「……はい?」
私が言い出した言葉が唐突過ぎたのか。緊張した場の中、ハリード様とリヴィア様が首を傾げて私の顔を見る。
「ハリード様とは仲睦まじく過ごせているご様子。厳しい状況に置かれたようでもありますが……、二人の気持ちだけは本物なのだと。私には感じられます。ハリード様、貴方はとてもプライドが高く、ご両親が家に居たままでは、家内で軋轢が生じるだろうと彼らは屋敷を離れて隠居されました。ですが、私が貴方の妻であった頃とは何もかも状況が異なります。今一度、ご両親と話し合われ、そして共に過ごす道を選ばれては如何でしょうか? ……リヴィア様とハリード様は真に夫婦となられました。即ち、貴方のご両親は、もうリヴィア様の『親』でもあるのです。たとえ、耳の痛い言葉をご両親から投げかけられることがあろうとも。それでも、少しずつ、『家族』として、カールソン家の再出発を始めては如何でしょうか。今日、この場で。私への謝罪を済ませ、ヴェント家と生じていた問題は手打ちと相成りました。また、私たちの離縁の原因の一端として、やはりどうしてもファーマソン公爵家の存在は無視できないものです。まったくの責任逃れに使われるならば業腹でしたが……。貴方たちは誠意を見せてくれました。ですので、これ以上の問題は……ファーマソン公爵家のせいである、と。そのようにご両親に説明していただいて構いません。カールソン前男爵夫妻に対しては私、エレクトラ・ヴェントがもう許していると。そうおっしゃってください。
ご両親からも怒られるかもしれませんが……それならば、リヴィア様を改めて認め、義娘として、家族として。共に歩いていってくださるでしょう」
私は一息でそこまでを説明、提案した。
ハリード様のご両親はハリード様を見捨てはしないだろう。貴族としての厳しさもあるが、優しいご両親だ。離縁の際にまともに挨拶もできなかったのは心残りではある。
でも、こうして両家の問題が収まったなら、手紙でも送ってみるのもいいか。
もうハリード様のことは気にしていない。ヴェント家と良い関係を望む旨を伝えておこう。
「ハリード様のご両親は貴族としての厳しさもありますが、優しい方たちです。リヴィア様が誠実
な態度を示すなら、悪くは扱われないでしょう。ハリード様、リヴィア様。謙虚に生きてください。不誠実な真似をして苦しむのは貴方たちだけでなく、領民もなのですから」
私は相変わらず微笑みかけることはせず、真顔でそう『忠告』をする。
和解には至ったが、やはり私が彼らと今後、交わっていくことはない。
「……わかった。そのように……してみる。リヴィアも。そうだな?」
「……はい、ハリード。エレクトラ様のおっしゃったように」
私は無言で頷く。本当に、これで二人との問題は終わり。上々だろう。
「リヴィア様、聞いてもよろしいですか?」
「は、はい。エレクトラ様……」
「貴方は……『聖女』になりたかったのでしょうか?」
「え?」
彼女がこうして反省をしているのなら、聞いてもいいかと思ったのだ。
それは私にとって『残る問題』の解決のため。いえ、今後の『武器』にするために?
「耳にしたところ、リヴィア様は私と違って特別な魔法など使っていなかったそうですね。ですが、貴方は聖女と呼ばれるようになりました。それは貴方が望んだ名なのでしょうか?」
私の女神呼称もどうかと思うのだけど。大前提として、リヴィア様が聖女の名に拘っていないのであれば、そもそも無意味な見返しだった気がする。
リヴィア様を目の前にして、まともに向き合ってみると、そういう考えが思い浮かんだのだ。
「いいえ。私は、そんな名前を求めたことなどありません」
「……そうですか。やっぱり。それでは『聖女』とまで呼ばれるようになった原因は」
「ファーマソン公爵、ジャック氏だろうな。彼の働きかけがなければ彼女はただの一介の治療士に過ぎなかったはずだ」
「ベルトマスお兄様もそう思われますか」
「ああ。英雄殿はある意味で『聖女』の箔付けのような存在だ。『英雄のパートナーだから』聖女。ただそれだけのために、ジャック氏は彼らを持ち上げた。まぁ、それで国に害を成したワケでもないから咎められないがな」
「そうですね……」
でも。ファーマソン公爵を責める一手にはなる気がする。
「……ですが」
ん? リヴィア様が悲しそうな表情で話を続けた。
「聖女。そう言われると、皆に認められているような気に……なっていました」
「……そう」
彼女は、欠落した人物だ。それはきっと、ただの承認欲求では片付けられない願望なのだろう。
「……基本的に、ファーマソン公爵夫妻の矛先は貴方たちに向いていると思っています。ですが」
私はそこでリシャール様に視線を向けた。彼はまっすぐに私を見返してくれる。
「私にとって、かつて私に向けられた敵意に対する……『落とし前』がまだついていません。普通は相手が公爵家だと泣き寝入りするべきものですが。幸い、私は恐れ多くも『聖人』に列席した身。協力していただける伝手も出来ましたので……」
私は、そこで不敵な表情へと変えた。そしてリシャール様の手を取る。
リシャール様は少しだけ驚いた様子を見せてから、すぐに握り返してくれた。
別にハリード様とリヴィア様に対抗したワケでは……少しあるけど。
こうして彼がそばに居てくれるなら、勇気が湧いてくるのだ。
「ファーマソン公爵家の干渉についても、決着を着けておこうと考えています。カールソン家を追い詰めているのは正確には公爵夫人であるノーラリア様のようですが……」
彼女の長年の恨み辛みはあるのだろう。部外者がどうこうと言えないほどの感情が。
別に私がハリード様たちを救う理由も、もちろんない。
基本的には『勝手にしてくれ』と言ってしまってもいい案件ではある。
でも、カールソン家を苦しめるなら、それはヴェント家に飛び火しかねないことになる。
何より。『私の偽者』を用意して、私を陥れようとしたジャック氏には落とし前をつけさせなければいけない。それができるだけの力が……今の私にならあるはずだ。
彼が私たちに干渉しなければ、大きく運命も変わっていただろう。
たとえ相手が高位貴族であろうとも。見くびられ、干渉されるがままで……何事も返さず、泣き寝入りするに甘んじる道理は……もうない。
「リヴィア様、今日は良い話が聞けました。貴方が聖女の名など望んでいなかったこと。しかと、この耳で聞きました。それがきっとジャック氏を打つ手となってくれることでしょう」
誰だって間違いながら生きていくものだけど。
その間違いで……誰を陥れようとしたのか。ジャック・ファーマソンには分かっていただく。
「その『ついで』に貴方たちカールソン家に対する圧迫が撤回されることもあるかもしれません。まぁ、期待はせずに待っていてくだされば良いかと。ご両親と領地で、一生懸命に、謙虚に生きていってください。性悪な人たちのためになることなんて私もしたくはありませんから」
すべてに決着を着けるということは、結局彼らを救うことに繋がる。
だって、かつての彼らに『応報』が与えられたのは私の手によるものじゃあない。
私の知らない間に、勝手に彼らが報いを受けていたのだ。
その影響もあって、私としても『ここで過度に彼らを責めてもなぁ……』となってしまった。
なら、この形が一番だろう。
ハリード様とリヴィア様は反省し、謝罪をした。そして、これからは領民のために謙虚に生きていく。二人の愛は否定されず。その功績も否定はされない。
私自身の気持ちの納得は得られた。あとはもう、ほんの少しだけ。
すべての問題を清算し終えてから……私たちは王都を発つことにしよう。




