71 ハリード・カールソン
私たちは王都にある施設で集まることになった。
公爵家で私たちのイザコザをするわけにもいかないし。
貴族ご用達の会合場所といったところだろうか。
仲介人、警護の騎士なども控えて貰えるという。
その建物の中に入ると、テーブルを挟んで対面するように椅子が置かれていた。
今日の参加者は私、エレクトラとリシャール様。ベルトマスお兄様。そして。
「……彼らも来たようだな」
物音がして、同じ建物に彼らが入ってきたのが伝わる。
私たちは立ったまま彼らを迎えた。
「……エレクトラ」
「お久しぶりですね、ハリード様。そして、改めて。はじめまして、リヴィア様」
ようやく、私たちは正面から向き合う機会を得たのだ。
「まず、皆さん。座りましょう。本日は感情的な話し合いをする場ではないと考えています」
「そうだな。エレクトラの言う通りだ。英雄殿? それでいいだろう?」
「……はい。ヴェント子爵」
そうして私たちは向き合って座る。
「まず、既に起きた事実を可能な限り客観的なものにしていきましょう。その前に前提として。この話し合いで私たちの現在の立場をどうこうと変えることはありません。たとえば、私の婚約者はこちらのリシャール様です。それをこの話し合いで変更することはありません。私の、これからの生活は彼と私の家族、後見人の方たちとのみ話し合って決めていくことであり、それ以外の何人にも指図されるつもりはありません」
牽制のように、まず前提条件を伝える。ここまで異論はないようだ。
リヴィア様も以前より大人しい様子。少しは学んでくれたらしい。
……今までの態度は、きっと彼女の『甘え』なのだろうな。
私に向けるのが正解のはずがない甘え。まるで母親に縋るようなもの。
「かつて私、エレクトラ・ヴェントとハリード・カールソン、当時男爵様は婚姻しておりました。しかし、私たちはグランドラ領で起きた魔獣発生とそれに関わる王命もあり、まともな結婚生活を送ることは叶いませんでした。それについて私は双方に落ち度はないと考えています。王命を受けてそれを果たしたカールソン子爵も。子爵が領地を離れている間、領地運営を担っていた私も。どちらにも非はないことであると。しかしながら、そういった事情により夫婦生活をきちんと送れなかったことは事実です。そこで互いに夫婦としてやっていけるだけの感情が育たなかったのは、もう天災のようなものであると。そのように捉えています」
夫婦生活の破綻は、もはや互いにどうしようもなかった。そう思っている。
「カールソン子爵はどのようにお考えですか? 私が今、話したことは事実ですか?」
「……俺は」
ハリード様は口をパクパクと開閉して言葉を紡ごうとする。
リシャール様とベルトマスお兄様が睨みを効かせているので、滅多な発言はないと思う。
「……努力はできたと思う。だが、最初から上手くいかなかったのは……事実だと、俺も思う」
「そうですね。ですが、努力と言っても子爵が二年間グランドラ領で過ごすことは変えられないことだった。この事実確認ではっきりとしておきたいのは、互いにこの点を責めるべきではないということです。私は領地運営を二年しっかりとこなしていました。子爵は二年、戦地で戦った。そのせいで相手が悪かったのだ、とは言わない。どうでしょう?」
「……異論はない。君の仕事は完璧だった。使用人たちは贔屓目ではなく、君の領地運営に不満を抱いていなかった。領民たちも不自由なく暮らしていた。……よく、やってくれていた」
ハリード様のその言葉に私はゆっくりと頷く。
そうね。きっと、まずその言葉を聞きたかったとも思う。
男爵夫人としての仕事を労って欲しかった。だから、私も。
「貴方もよく戦ってくれました、ハリード様。二年もの間、よく国を護ってくださった。私は貴方の働きに、戦いに敬意を払います。ランス王国を、民を守ってくださってありがとうございます。そして……お疲れ様でした。……よく、ご無事で。ハリード様が領地に戻られたことを心から感謝し、喜びます。……かつての妻として」
「────」
ハリード様は私からの労いの言葉を想定していなかったのだろう。
目を見開き、驚いて。そして。
「……は。はは……。そうだな。そう……だったか。俺たちは、そのように言葉を掛け合って……再会するべきだったのか」
「そうですね。きっと。それからも夫婦でありたかったのなら。いえ、夫婦であったのなら。そうするべきだったのでしょう」
あの頃、私は理不尽から逃げることに必死だった。
ハリード様の方は、どのように考えて領地に帰ってきたのだろうか。
正直言ってろくな考えを持っていなかったのではないかと疑っている。
それはその後の彼の言動からも窺えた。
「……エレクトラ。…………、すまない。すまなかった」
ハリード様の口から、そう。謝罪の言葉が素直に出て来た。
「それは何についての謝罪ですか?」
「……俺は、君と夫婦でありながら……リヴィアと交際し、そして彼女と結ばれるために……君と離縁する気だった。……身体の関係があったわけではない。だからなんだと言われれば、それまでかもしれないが……。君と離縁を求めた理由は間違いなく、『妻ではない女性』だった。それは妻であった君に対して、ひどく不誠実だったと……思う。それについての謝罪だ」
私は深く、ゆっくりと頷く。
「はい。その通り、不誠実でしたね。如何に貴方たちの間に愛情が芽生えていたのだとしても。それでも貴方の当時の妻は私でした。……リヴィア様と結ばれたいのなら、きっと誠実な話し合いの下、婚姻契約や家同士の繋がりについても、きっちりと話し合って。その上で離縁をするべきだったと思います。……ですが、その話し合いの機会を与えなかったのは私の方です。戦場から届く貴方たちの関係の報せに、私は良くないことが起きる予感を覚え、出て行きました」
ハリード様は気まずそうに視線を逸らす。
「どうでしょうか、ハリード様。貴方はあの頃。私ときちんと誠実に話し合って、その上で離縁しようと考えていましたか?」
グランドラ辺境伯から聞いたことは、どうやらそういった様子ではなかった事実だ。
当時の彼は愛に燃え上がり、随分な言動だったという。
「……いや。あの頃の俺は、リヴィアと結ばれるために……。君が、……邪魔な存在、だと。そのように考えていた……」
「……やはり、そうでしょうね。よく正直に話してくれました」
実際、そうでも思っていなければ大会で再会した時にあんな態度にならないだろう。
「私が話し合いを拒絶し、逃げたのは正しかったと。そう思って良いでしょうか。ハリード様は、当時の私に対して理不尽な言葉を用意し、理不尽な境遇を用意していた。それが事実ですか?」
「…………事実だ」
素直に認めた。私は深く溜息を吐き出す。
「……当時の状況であれば、ハリード様の有責として婚姻の『解消』をと話し合っていたかと思います。ですが、現在の私たちはそのような関係はとうに終わらせ、新たな伴侶を得ています。有責は有責ですが……。私たちの婚姻関係の破綻には、ファーマソン公爵が大いに影響していました。その影響は現在もカールソン子爵家にあります。……そして」
私は深呼吸して続ける。
「今の私は……幸せなんです。リシャール様に出会えて、互いに思いやりを持ちながら過ごして。ですから、現在も苦境に立たされているカールソン子爵家に、殊更の罰や糾弾を望んでいません。今回、ハリード様は自らの意志で謝罪をしてくれました。概ね、私はそれでもう不満はありません。死体を鞭打つような真似を私はしたくないのです」
「…………、概ね、というのは?」
ハリード様は意外だというように私を見て来た。リヴィア様も同じだ。
流石に強く非難され、攻撃を受けると考えていたのだろう。
「……あの当時、離縁状は貴方も用意していたのですよね、ハリード様」
「あ、ああ……。聞いているのか」
「主にベルトマスお兄様が調べて……というより、オルブライト夫人経由で? 色々と」
「彼女か……」
渋い顔になるハリード様。オルブライト夫人は、きっと彼にとって食えない女性だったのだろう。
「ですので、私から逃げはしましたが。やっぱり夫婦でありながら、随分と私に理不尽を強いようとしていたことは変わらないと。そう判断致します。当時の私、思っていたことがあるんですよ」
「思っていたこと……?」
「はい。『一発ぐらい殴ってから離縁すれば良かったわ』と」
「う……」
私は、ニコリと微笑んで見せた。今日一番のスマイルだ。
「ハリード様。それで手打ちとしませんか?」
「手打ち……?」
「私が、貴方の不貞を、理不尽を、殴ってお終い。それで私は貴方を許します。……私はもうヴェント家を離れた身で、あの地に帰りません。ですが、カールソン領とヴェント領はこれからも隣領のままです。ヴェント子爵であるベルトマスお兄様とは協力したいことも出てくるでしょう。だから。そのために、ヴェント子爵の妹である私との諍いに、ここでケジメをつけてください」
ずっと気になっていたのは結局、ハリード様のことではない。
二年間、私が守ってきた領地と領民のことだ。
ファーマソン公爵夫妻の影響がどこまで領民を苦しめるのか分からない。
その現実が、ずっとモヤモヤとした気持ちを私に抱かせていた。
ここで『ヴェント家』としての落としどころを見付けておけば、後はベルトマスお兄様が領民たちをどうにかしてくれるだろう。
それには妹である私が愚弄されたままではいけない。それに。
「それに、ハリード様。いっそ叩かれた方が、貴方もすっきりするでしょう?」
「────」
真綿で首を絞められるように、じわじわと追い詰められるより。
『ふざけるな』と一発殴られてしまった方が、ずっと健全だ。
「……それで。いいのか? ……エレクトラ」
「はい。一発、殴らせてください、ハリード様」
凄く微妙な表情を浮かべて、ハリード様はリシャール様やベルトマスお兄様に視線を向ける。
「俺はエレンさん……エレクトラさんがそう言うのなら文句はありませんよ。もちろん、今後に何か言ってくるのなら抵抗しますが」
「私もリシャールくんに同じだ。エレクトラがそれでいいなら問題ない」
リヴィア様もそれでいいかな? イメージ的には『やめて! ハリード様は悪くないの!』なんて言い出しそうなのだけど。
「……そちらがいいなら、エレクトラが納得するのなら」
「はい、それで納得します。いい加減、互いに終わりにしましょう」
だって、私たちはもう新しい人生を歩き始めているのだから。
「…………」
ハリード様は立ち上がり、神妙な態度で立つ。
随分と……落ち着いたと思う。
やっぱり大会でリシャール様に打ちのめされたことが大きいのだろう。
無駄ではなかったと思う。
「ハリード・カールソン。貴方は当時、私の夫でありながら別の女性と親しくなりました。それで終わらず、私に理不尽を強いようとした。私に暴言を吐こうとした。私に謝ろうとしなかった。それらすべてについて、私はこう言います。……『ふざけるな』」
そして、私は大きく右手を振り被って。
──パチン! と。ハリード様の頬を張る。
「……っ」
「これで、私たちに残っていた因縁は清算です。どうか、これからはベルトマスお兄様と協力して、互いの領地を、領民を守っていってください。それだけが、かつてのカールソン男爵夫人としての……私の願いです」
「…………請け負った。俺は、カールソンの領主としての……責任を全うする」
「はい。そうしてください」
ハリード様は、私に叩かれた頬を押さえながら……そう誓ってくれた。




