70 兄、ベルトマスの提案
「お兄様!」
ベルトマス・ヴェント。子爵位を継いだ私のお兄様だ。
長めの髪にパッと見は華奢に見える体格。体力より知性がありそうな雰囲気。もちろん髪の色や瞳の色は私と同じ水色だ。騎士であるリシャール様たちと比べれば痩せているようにも見える。
でもヴェント家は文武両道の家風で、こう見えてベルトマスお兄様は武芸にも精通している人だ。
私は武芸の才覚がなかったものの、お兄様とは一緒に武芸を習っていた時期がある。
今でも私が尊敬している兄だ。
「エレクトラ、久しぶりだな」
「はい、ベルトマスお兄様」
久しぶりに会うお兄様は私を見つめて優しく微笑んでくれた。
連絡はしていたものの、ハリード様と離縁してから直接会って話をする機会なんてなかった。
だから数年振りの再会となる。なんだか不思議な気持ち。感動しているのかな、私?
「そして君がリシャールくんか」
お兄様は穏やかながらも鋭い視線をリシャール様へ向ける。
「はい、私がリシャール・クラウディウスです。ヴェント子爵。……エレクトラさんと交際、婚約させていただいています」
リシャール様との婚約はもちろんベルトマスお兄様に知らせている。
認めていただいたものだと思ったけれど、彼らが直接会うのはこれが初めてだ。
なんとなく口を挟み辛く、私はハラハラとした気持ちで二人の邂逅を見守った。
「エレクトラは大事な妹だ。以前の夫のような男の元へは二度と嫁がせたくはない。それは当然、分かっているな?」
「もちろんです。あの男の、エレクトラさんへの扱いには私も大いに怒っています。私は絶対にあの男のような真似は致しません」
強い決意の籠った視線。リシャール様は、お兄様相手であっても一歩も引く気は見せない。
そうして、しばらく二人は睨み合った後。ベルトマスお兄様の方から。
「ふ……。そうだな。君はあの男とは違うのだろう。というより、あの男のような奴がそこら中に居てたまるかという話だ」
「……認めていただけるので?」
「認めないと言ったらどうするんだ、リシャールくんは」
「まぁ……エレクトラさんを攫って二人で逃げますね」
ま! 平然と当たり前のように言ったわよ、リシャール様!
お兄様も呆気に取られている。当のリシャール様は、つーんと当たり前のような態度!
「……ははは! そこまで妹を好きで居てくれるんだ。たかが兄が口を挟むことは何もないな!」
お兄様の掴みは完璧だったみたい。機嫌が良さそうに笑ってくださったわ。
私はリシャール様に向けて、ぐっと親指を立てて見せた。
「ベルトマスお兄様。今日は一体どうしたのですか? わざわざ王都まで来られるなんて」
「お前の居場所がはっきりしている時にでも会いに来なければ、いつまで経っても顔を見せに来ないだろう、エレクトラ。普通は離縁した後すぐにでも家族に顔を見せに来るものだ。もちろん当時は仕方なかったとしても。お前の予定にこの後、ヴェント家を訪れる予定があったか?」
……なかった、かな? えへへ。私は、さっとお兄様から視線を逸らした。
私の様子を見て呆れたように溜息を吐くベルトマスお兄様。
「あ、それよりも。オルブライト夫人から連絡はありましたか?」
こういう時は話を逸らすに限るわ! ふふ。
「はぁ。お前という妹は、まったく。連絡ならあったさ。もちろん引き受けた。まぁ、お前は大きな人脈を築いたようだが……ヴェント家が、リュースウェル家の傘下に入ったワケでもない。オルブライト商会と契約を交わしても大きな問題にはならないだろう」
「そうですね。ご理解いただけるかと思います」
オルブライト商会とはあくまでビジネス的な関係。まぁ、いい落としどころと言えるだろう。
特に私と彼女との間に因縁と呼ぶべきものはないもの。なんだか浅からぬ縁はあると思うけどね。
「オルブライト商会に雇われたという元カールソン家の使用人たちについてだが、エレクトラ。お前と彼らとは良い関係を築けていたと思っていいんだな?」
「え? はい、そうですね。二年間の付き合いでしたが良好な関係であったと私は思っています」
「そうか……」
私は首を傾げてベルトマスお兄様を見る。どういう意図の質問だろうか。
「彼らの行く先を含めてグランドラ辺境伯閣下に相談を受けている」
「辺境伯閣下に相談?」
私とリシャール様は顔を見合わせて疑問符を浮かべた。一体何を相談するのか。
「リシャールくんは上級騎士爵を賜った。伯爵相当の身分だ。きちんとその身分に合った待遇が必要になるだろうとな。辺境伯閣下は彼の後見人となる。その世話をすることも考えてくださっているようだな」
「見合った待遇ですか」
「ああ。もちろん騎士が本分であるから、領地の管理などは別の話だ。それでも『土地』は与えられて然るべきだろうと」
「土地?」
「ああ、正確に言えば……『家』だ。上級騎士爵に相応しい家を辺境伯閣下から与えられることになった。閣下が管理している、復興が進んだ市街に建てた屋敷をリシャールくんに与えるそうだ」
「まぁ……! 本当なのですか、お兄様?」
「ああ。まぁ、リシャールくんの囲い込みでもあるな。充分な待遇を与え、これからも辺境で力を振るうようにという思し召しだ」
なんとまぁ! 家! リシャール様の家。『クラウディウス家』が出来るのね!
「そこで屋敷の管理には人が必要となる。忙しいお前たちのために働いてくれる人員だ。辺境で集めてもいいが、お前たちが信用できる者がいいだろう?」
「では、まさか?」
察した私はベルトマスお兄様と目を合わせる。そうするとお兄様はこくりと頷いた。
「オルブライト商会に雇われていた人員を、そちらの屋敷で雇うことにした。勝手に進めてすまないが……」
「いいえ! ありがとうございます、お兄様!」
かつて二年間、カールソン家で私に仕えてくれていた使用人たちが再び一緒になれるということだ。あ、でも……!
「あ、その。私が喜んでいいのですよね……?」
グランドラ辺境伯閣下から『家』を与えられたのは、あくまで上級騎士となったリシャール様である。そこに見知った使用人が居るからとて我が物顔で私が喜ぶのも恥ずかしいというか。
「もちろんです、エレクトラさん。そのためにヴェント子爵とグランドラ閣下が手配してくださったのですから。ですが、その。エレクトラさん」
「は、はい」
「……予定を決めておいてですが、やはり改めて二人きりの時間を取っていただけますと」
あー、そうよね。やっぱり『そういうこと』と思っていいのよね。
予定としては『これからも一緒に暮らす』のは当然と言える。だって私たちは婚約者なのだ。
とはいえ、家がぽんと先にあって、当たり前に一緒に暮らすことになる前にけじめはつけたいところ。すなわち、プロポーズ……。
いえ、その前に結婚式……? でも、どこに住んで、どういう予定にしていくべきだろう?
既に家があるというのなら一旦、別々の場所で暮らして?
頭の中に今後の予定がぐるぐると渦巻く。チラチラとリシャール様と視線を合わせながら、互いに分かっていつつも、きっちりと言葉を尽くしてからがいいと思いながら。
一緒に暮らすけどどうする? どういう手順で? これから私たち……。
「あー、こほん。エレクトラ。リシャールくん。君たちへの話はまだ終わりではない。もちろん閣下が用意してくれた家を喜んでくれるのはいいことだが」
「あ、はい……」
いけない。つい、二人の世界を作るところだったわ。ここにはベルトマスお兄様が居るというのに。実の兄にこういう面を見られるというのは中々恥ずかしいものだ。
「リシャールくんは上級騎士となり、家も手に入れる。エレクトラは言わずもがなだろう。後ろ盾は充分に得られた今、いよいよ『決着』を着けておくべき時ではないか?」
「決着というと、まさか……」
「そのまさかだ。ハリード・カールソン子爵とその妻リヴィア・カールソン夫人。彼らと話をする機会を作ろう。かつては裏に陰謀があると見て、ろくに話すことも出来ずにそれぞれが別の道を歩むことになった。あの男の傲慢さは抜けず、話し合っても不快な言葉が出るのみであろうことも容易に想像ができた。そんな時の彼らにエレクトラを会わせる気など欠片もなかった。だが」
「……はい」
今のハリード様は大会でリシャール様に『鼻っ柱』を折られた後だ。
また私たちは新しい人生を歩み始め、足元を見られて上から目線の提案や言い分をぶつけられることはないだろう。そういった言動をぶつけられても今の私たちは跳ねのけられる。
つまり『頃合い』というやつだ。私はもう彼らと真っ向から対峙できる。
「隣の領地だからな。多少の貧乏生活を彼らが送るだけなら『いい気味だ』と流せるが、没落などされては我が子爵家にも影響が出るだろう。それまでに領民も苦しむことになるに違いない。しかし、軽率に支援するなどとはもう言えない関係だ。それをしては我が子爵家が見くびられてしまう」
「はい」
私たちの離縁が撤回されることはない。既に彼らは結婚しているし。
かつて私たちの政略結婚で協力するはずだったヴェント家とカールソン家。
今では緩やかな分断状態となっているという。いつまでもそのままなのは領民に負担を強いてしまう。そろそろ決着が、落としどころが必要となるだろう。
「エレクトラさんと彼らの話し合いですね。必要なことだと思います。それに」
「それに?」
「『約束』がありますから。俺がカールソン子爵に勝った時は夫婦揃ってエレクトラさんに謝罪すると。男同士の約束、決闘による敗北の代価を支払ってもらわなくては」
リシャール様が悪戯っ子のようにそう微笑みかけてくれる。
「あはは。そうですね。そう言えばそんな約束を試合前にしていました。忘れたとは言わせません」
「ええ。ですから、彼らの謝罪を聞きに行きましょうか、エレクトラさん」
「はい!」
私は強く頷いた。そしてベルトマスお兄様に視線を向ける。
「カールソン夫妻と話し合う場は私が用意させて貰った。何から何まで了承を取る前に済ませてしまって悪いが……」
「いいえ、ありがとうございます、ベルトマスお兄様」
そして。いよいよ私は、ハリード様とリヴィア様に正面から向き合うことになる。
今まで彼らからの一方的な宣告も、理不尽な暴言も何もかも受け取らずに過ごしてきた。
予知なのか回帰なのかも分からない夢を見て。或いは、事前に対策を練って先手を打って。
だけど、それも終わりにしよう。
私はもうハリード様に見くびられるような立場ではなくなった。
隣に立ってくれる絶対の味方も居る。将来の不安だってない。むしろ希望でいっぱいだ。
さぁ、決着を着けましょう? ハリード様、リヴィア様。




