64 助言
「ふぅ……」
控室までリシャール様と一緒に来てから、思わず深く息を吐き出した。
ここに来るまで呼吸を止めていたような気さえする。
「大丈夫ですか、エレンさん」
リシャール様の私の呼び方が『エレクトラ』から『エレンさん』に戻った。
「はい、大丈夫です。ありがとうございます。でも今も心臓がドクドクいっているわ。緊張や恐怖は、やはりあったのね」
「よく頑張りました」
ハリード様と相対していた先程までとは打って変わって、私たちの間に流れる空気は和やかなものになった。
彼への、いえ、彼らへの対応は予め決めていたものでもあったのだ。
もちろん、ハリード様へ突きつけたのは私の本心からの言葉でもある。
「実際、ハリード様たちへの対応は、あれで良かったと思う? ほとんど彼らの言葉を聞かなかったわ。もしかしたら対話を望んでいた可能性もある?」
「……いえ。やはり、あれで良かったと思います」
「そう。そうよね」
どのように彼らへの対応を決めたのか。
それはカタリナ様からの『助言』があってのことだった。
カタリナ様からだけではなく、不貞をされ、離縁した方たちから色々な話を聞いていた。
それは半分、愚痴大会のようなものでもあったけど。
客観的に、或いは統計的に? 不貞を『した側』がどのような言動をするのか。
そういった情報を集めて、対策を進めた。
不貞をされた側としては『もう自分には興味などないだろう』という気持ちになる。
実際、それはそのはずで。
ただ、条件によって、手の平を返して『こちら』に執着してくる場合が多いという。
まず、男女問わず、ふとしたことで再会した場合は、かなりの確率で『マウントを取ってくる』らしい。
なんだそれは? と言いたくなるが。
自分たちの方が幸せである、ということを殊更にアピールしたがるらしいのだ。
こちら側は、そんなことに興味はなくなっている時期に。
『幸せになるなら、どうぞご勝手に』と思っているのだが、何やらその幸せを突きつけたがる、認められたがるらしい。
……謎の生態だ。
そして、見下しが原因なのか。
今回の私のようなケースでは、あちらの女性がこちらとのやり取りに不満を抱くと、不倫男は、こちらが悪者だと怒り出すらしい。
まさに今回、彼が現れた時の怒りの表情がそれだ。
その心理は謎ではあるが、『今もまだ離縁した相手は、自分に好意や愛情がある』という前提を持つようだ。
これは、私と違って明白に離縁を突きつけられたはずの場合でもそうだという。
……別れるって言い出したのも、その原因もそっちよね!? と言いたくなるような事態。
色々と統計を取る中で判明したのは『不貞をした側』という人種は、基本的に『不貞をされた側』が、その後の人生で幸せであることを許したくないらしい。
どうにか、その幸せにケチをつけたがるのだとか。
そして、こちら側が不幸であったなら、どうにかして自分たちの幸せをアピールしたがり、認めさせたがるらしい。
こう聞いていると『何なの……?』と言いたくなる。
基本的に不貞をされた側の心情としては『もう二度と関わりたくない』だった。
私もそうだな、と思う。
しかし、不貞をした側は、どうにか関わろうとしてくるようだ。
そういった情報を元に『どう対応するのが最善か』を予め決めて対応した。
今回の場合だと、相手は怒りを伴って現れたので……。
こちらが『先に怒りを示す』スタイルを取った。
もちろん、パターンとしてリシャール様が私のそばに居ない時もあるので、その場合は別の対応だ。
今回は、リシャール様が一緒に居たので、彼は普段からは異なる『威嚇』の姿勢を取った。
私が言い返した場合、逆上する可能性が大なので、先んじて武力制圧の意志も示して。
あとはまぁ、私たちの場合のみの問題。
リシャール様は、どうしても『肩書き』や『二つ名』で、ハリード様の自尊心を刺激する存在だ。
だから、試合もあることだし。
ハリード様が、あのように接触してくるならば、と。今回のような流れになったのだ。
「私は言いたいことだけを言って、リシャール様に丸投げするような形になってしまいましたが……」
「エレンさんを守りたいことも、貴方のために彼に物申したいのも本心ですから。気になさらないでください」
「……ありがとう」
『これ』が一番いい形だと。カタリナ様が言うには、
『第一声が、謝罪か、貴方を心配するものでない時は、彼らの話を聞く必要はないわ』と。
心配というのは一応、屋敷を出て行った身なので心配の余地はあると。
まぁ、されたくもないというのが本音だけど。
それでも、まだ『人として』は正しい。
だから、彼らが私へ向けてくる最初の言葉が、謝罪か心配でない時。
その時は、もう彼らには対話の意志などないと判断すべし、と。
男性が相手ならば、まずはそのプライドを叩きのめしてから。
そうでなければ、対話のテーブルに着くことも叶わない。
故に、今回の形が最も効率的だろう、となったのだった。
「……これで俺が負けてしまっては、元も子もありませんけどね」
「リシャール様が負けるだなんて」
「相手には実績があります。魔獣を相手に『英雄』と評された人物です。けして油断はできません。正義や仁義は、強さには関わりがないのです。どのような外道であっても強い者は強い」
「それは……そうかもしれませんね」
でもまぁ、それはそれとして私の目からはリシャール様が負けるとは思えない。
贔屓目に見ているかもしれないけど。
「油断をするつもりはありません。強敵に挑むつもりで戦います。貴方のために勝利して見せます、エレンさん」
「リシャール様……」
「それに。ここで叩きのめされることこそ、カールソン子爵のためでもあると。俺は、そう思っています」
「叩きのめされるのが、彼のためですか?」
「ええ。彼の心理を正確に把握しているワケではないのですが。カールソン子爵に、エレクトラ・ヴェントという『逃げ道』があるなどと思わせるのは、様々な人にとって不幸だと思います。分不相応なプライドを叩き折り、そして逃げ道などないと。そう突きつけてあげることこそ、彼のためであると」
そうだろうか。そうなるのか。
大会が始まった時、ハリード様とリヴィア様から強い視線を向けられた。
彼らが、どのように私を見ていたのかは知らない。聞きたくもなかった。
ただ、それぞれの人生のために。
私たちは『決着』を求めた。それが必要だと思ったのだ。
そうして、始まる。今大会の目玉となる試合。
『聖騎士』と『英雄』の対決が。
 





