62 対峙
剣呑な空気を出し、威圧しながら私を庇い、前に出るリシャール様。
「お前は……」
「俺は、エレクトラ・ヴェントの婚約者、リシャール・クラウディウスだ。彼女に害意を向けるお前に容赦する気はない。既に離縁し、無関係の者となり、他の女と婚姻を結んだ男が、馴れ馴れしく彼女の名を呼び捨てにするな。彼女とお前は無関係なのだ。カールソン子爵。それが分かりもしないなら黙っていろ、どこかへ行け」
あ、これ、だいたいハリード様が言いそうなことを先んじて言っているわね。
まぁ、彼が本当にそういうことを言うかは未知数だけど。
ほら、よくあるでしょう? 『お前には関係ないんだ、黙っていろ!』とか。
何故か離縁した側が言うアレ。
ちょっと偏見かもしれないけれど浮気をするような人は、何故か自分のことを棚に上げて怒るというのが定説だ。
かといって、こちらが『まぁまぁ、落ち着いて話をしましょう』と言い、問題点を理路整然と並べ立てたとしても、あちらがすることは逆上して怒り出す……とか。
いえ、ハリード様との過去の交友でそういう人物だったというワケではなく、一般論だけど。
不貞をした時点で、そういう人物だと思って対処すべきだとは思う。
剣に手を掛けた状態でのリシャール様の威嚇に、流石に勢いを削がれたらしいハリード様。
相手の初手は潰したわね。急に怒鳴り込んで驚かせてペースを掴まれるのは厄介だ。
それで、ここからどうするか。
武力を見せ、出鼻を挫いて話し合いの余地を生んだのだから私が話す?
当然、私は彼に言いたいことだってあるのだけど。
でもそれは、このタイミングで言って、きちんと頭に入るのか怪しいのよね。
右の耳から左の耳へ流れていくような状態で、私の文句を言って空回りするのなら、今は言うだけ労力の無駄だ。
「俺は、お前がエレクトラに話し掛けてくること自体が不愉快だ。彼女の婚約者として、そう告げる。何度でも言っておくぞ。彼女を、名前で呼び捨てにするな。お前にその権利など無い。ヴェント嬢とだけ呼べ、子爵」
リシャール様は、狂犬のようにハリード様を威嚇して見せる。
普段の彼がしない態度だ。基本的に温和だからね。
でも、こういう場合、大人しい人物だと思われる方がよくないのは分かる。
だったら狂犬らしく振舞ってくれた方が頼りがいがあっていい。
それをリシャール様も理解しているのだと思った。
彼は、怒りを伴って私たちの前に現れたのだ。ならば、こちらが先に更なる怒りを見せる。
……この場で争いになったとしても、だ。
穏便に片付ける方針を取る必要はない。
だって、私たちの後援であるカタリナ様は、むしろ『やっておしまい!』って言うタイプだもの。
そんな口調かは、さておいて。
「リシャール様。ありがとうございます。私は、この場でカールソン子爵と話すことはありません。彼の言い分を聞く理由もありませんので、もう行きましょう?」
「そうですね。不愉快な男など、相手にする必要はありません」
「ふふ、まったくです。それより、街で過ごす計画でも立てておきましょう?」
私は『相手にする気はない』という台詞を選ぶ。
古今東西、こういう時の、こういう人間は、相手にしても損をするだけなのだ。
我ながら、元夫に対して他の対応はないのかとも思うけど。
「ま、待て、」
「名前で呼ぶなよ?」
ハリード様の言葉をピシャリと遮る。幾分か剣呑とした空気は薄まり、呆れたように。
聞き入れる耳がなさそうな態度だもの。これは仕方ないわね。
うん、むしろ、頑なに名前で呼ぶ気なら、こちらはずっと『名前で呼ばないでください』とだけ返すのもいい。
よし、そうしよう。
言葉を遮られたハリード様は、絶妙に屈辱を感じている様子だ。
既に最初に言おうとしていた怒りの言葉を失っていると見たわ。
心情を考察するに『俺が名前で呼んで何が悪い』とか、そちら方面に思考を割いているような。
まぁ、心は読めないけれどね。
どうにか私を呼び止めたい気持ちと、名前呼びを禁じられて『なにくそ』と思う苛立ち。
それで口をハクハクと開閉している様は、なんだかおかしい。
私は、そこで可能な限り、冷たい表情をしてハリード様を見た。
睨むでのはなく、冷めている。何の感情も乗せないように。
「……っ」
そうするとハリード様は言葉を失い、たじろいだ。
勢いで押し切れなかった彼は、ただ強い言葉を受け止めるだけだと思っていた私が、己より強い怒りを感じているのだと悟る。
この様子なら私の言葉が耳に入りそうだ。
「よくも私の前に、のうのうと顔を見せられましたね。カールソン子爵」
「……! なんだと? 勝手に離縁を突きつけたのは、お前の方だろう……!」
先程より、幾分か声の荒々しさは収まったか。
リシャール様の存在は大きいわね。
「まさか、その点で言い争いたいのですか? あの時、離縁状を用意していたのが私だけだとでも? 知らないとお思いですか? 嬉々として浮気相手と連れ立って屋敷に帰ってきたのでしょう? 貴方の名が書かれた離縁状を用意して、私に突きつける気だった。カールソン家の使用人たちは既に半数、貴方たちから離れているそうですね? もし、過去に遡って『どちらに非があるか』を争うなら、彼らの証言も求めることになります。どちらが不利かは、お分かりですね? かつての私たちの関係において悪いのは、不貞をしたのはカールソン子爵の方だと」
捲し立てるように。やはり私が言いたいことを言う。相手には言わせない。
相手の言い分は聞かないスタイル。リヴィア様と相対した時と同じだ。
「……! お前は、いつからそんな態度を取る、」
「お前? 名前で呼べないなら、それですか。礼儀も敬意もない。やはり話す価値がありませんね。……ふざけるな、不倫野郎」
ここで私は表情にいっそうの怒りを乗せる。
「なっ……」
「貴方の妻といい、どうなっているの? 怒りたいのは私の方。貴方たちが最初に言うべきなのは私への謝罪! どの面下げて、友好的に話し掛けてくる? どの面下げて怒りをもって私に呼び掛けてくるの? 私を見縊るな、ハリード・カールソンッ!!」




