61 再会
宿に戻り、窓辺に立って、夜空を見上げる。部屋の中には私一人だ。
ファーマソン家の騎士団長とのいざこざは丸投げ中。
しでかしたことを抗議して咎めるというよりも、彼に随分と黒い噂があることを揶揄し、広めることを仄めかす方針だ。
つまり、犯した罪に対する断罪ではなく。
『ゴドウィン卿を抱えていること自体が、公爵家にとって醜聞だ』とか。
『ファーマソン騎士団内でも、随分と嫌われているようですが、管理はされていないので?』と。
という方向性。放置していれば、社交界での弱みになる。なので自浄作用を期待する形。
解雇にでもなれば逆恨みされるのではないか、という懸念はある。
だが、私は、今の時点で嫉妬やら何やらの対象になりかねない。
公爵夫人の後ろ盾を持って、表舞台に立ち、女神とまで言われて、美形の騎士と婚約している。
リシャール様の評価が高まるほど、私への嫉妬は増えるので。
言い出すとキリがない、というものだ。
常から相応の警戒をして過ごすのは、貴族の嗜みのようなもの。その延長と思えばいい。
そして、その日の午後にはリヴィア様と相対した。事前に彼女に対する態度は、決めていたこともあり、軽くあしらうことが出来た。予想通りと言えば予想通り。
オルブライト夫人からの助言もあって、彼女がどういう態度に出る人なのか、当たりを付けられた。
リヴィア・カールソンは、悪意のない悪人である。
その言動と態度、それに至るまでにしたことは、どう考えても悪意に満ちているのに。
彼女は、本当に私に対して害意を持っていないのだ。
既婚者と恋仲になり、離縁の原因になって。
己が原因で離縁した女に対して、友好的な態度を求める。
そして、それが叶えられないならばショックを受ける。何故? と。
理解し難い思考回路。生い立ちか、環境か、生来の気質か。理由は分からない。
だから、言えることは『私には関係ない』だ。
私は、彼女の親ではない。姉妹でもなければ、遠い親戚でさえない。
むしろ彼女のしたことの中で明確な被害者側に位置していて、最も彼女と関わる理由が薄い。
なのに、どうして私に執着するのだろうか。
私が『戦場の女神』とまで言われるようになってから、そうなったのなら分かる。
己の『聖女』という肩書きに誇りを持っていて、私がそれを揺らがす存在になったからだ。
だが、彼女は私がそうなる前から、私を求めていたという。
「……『愛』を求めて、か」
その点を深く疑うことはなかったのだけど。
リヴィア様にとってハリード様は、どういう存在なのだろう。
よくよく考えると予知夢によってしか、私は彼らの関係を知らないのだ。
もしかして、私が思っていたような『男女の絆』ではない、とか……?
つまり、ハリード様の方はさておき。リヴィア様がハリード様に求めていたのは『父性』で。
だからこそ『母性』を己に向けるべき人物は、私しか居ない、とか。
……うーん。意外としっくり来てしまう。
なにせ、あの態度とオルブライト夫人の評価だ。
彼女の生い立ちもある程度は耳に入っている。
ということは、妻として求めたはずの女性が、実は己に『父親』を求めている、と。
そういうことになるのだけど。
もしかしてハリード様たち、『白い結婚』……? また?
女性のそれより、男性の性欲の方が収まりが効かないという。
それは可哀想、と……評価するところで合っているだろうか。
少なくとも、私はリシャール様に我慢はさせたくないように思うけど……。
あの様子の女性と身体の関係を持ったというのが想像できない。
私には、身体ばかりが成熟してしまった『子供』に感じられた。
不貞をした元夫に対して思うことではないかもだが、そこまで外道ではないだろうと。
精神的なサポートが必要な人間であって、女性としてや貴族夫人として求める以前の人物。
「……ああ」
彼女に対する責任は私にはない。むしろ私は被害者だ。
子供には罪はないだろう、なんて他人事な綺麗事を言う気もない。なのだが。
この大会が終わったら。その機会があるならば。
私は、ファーマソン公爵夫妻それぞれに言ってやりたいことが出来た。
だが、それにはあまり道理がない。私が言うのは筋が通っていないとも思う。
「……もう一度、よく考えてみましょうか」
公爵は、明らかに私に対して害意を持っていた。
それは娘であるリヴィア様の恋路を叶えるために。
だが、本当に彼がしたことは『それだけ』だろうか?
つまり、恋敵である私さえ陥れれば、それで良かったと……?
そうは思えない。何せ公爵は自ら結婚式で、リヴィア様のエスコート役を買って出たという。
であれば、彼はもっとあの頃の『私たち』に干渉していたはずで。
それは突き詰めると、即ち『あの頃のハリード様』は……。
「……明日になれば分かる、かな」
明日は、リシャール様とハリード様が試合をする日だ。
今大会、最も注目の対戦だと言っていい。
はたして、そこで明らかになるのは……何になるか。見届けることにしよう。
そして翌日。
私は、宿から試合会場へ向かう。今日はリシャール様と合流してからの移動にした。
昨日の今日だからね。安全対策と警戒は怠らない。
で、今は朝である。遅刻にはならない早めの時間。リシャール様と一緒だから。
「……エレクトラ!」
そんなところへ聞き覚えのある声が。
いえ、聞き覚えはあるのだけど、聞くのは実に四年半ぶりの声だ。
結婚してから2年間、彼は家に帰ってこなかった。
それは王命であり、命懸けで国を護った行為であるので責める気はない。
ただし、そこで他の女と仲良くなってきたのは、許せないことだ。
結婚歴、2年。そこで話し合いをせずに離縁状を残して、家を出て。
半年は教会で過ごし、そこから辺境へ移って活動して。
その時点で、離縁してから1年半ほどか。
王都に移って、大会の準備をして、1年近く。
……うん。四年半ぶり。意外と声は覚えているものだ。
そして、こうして私の名を呼びながら近寄ってくるのは『似たもの夫婦』と評価していいか。
もちろん私ではなく、リヴィアさんとである。
「エレンさん、俺の後ろに」
「はい、リシャール様」
近寄ってくるのは、ハリード・カールソン子爵。私の元夫。
その表情には、どうやら怒りが滲んでいる。
リヴィア様とまともなやりとりをしなかったからだろうか。
あろうことか帯剣したままで突撃してくるので、リシャール様が前に立ち、そして剣の柄に手を置いた。
寄らば、切る。問答無用とばかりに。
「……!」
剣呑な雰囲気で立ちはだかる騎士を見て、流石に立ち止まるハリード様。
「そこで止まれ。俺の大切な、愛する婚約者エレクトラを呼び捨てにするな。慣れ慣れしいぞ、カールソン子爵」
まさかのリシャール様の先制攻撃!
相手の怒りや主張をぶつけられ、受け止めてから対応を決めるのではない。
出鼻をくじくのは戦いの基本。
リシャール様の対応の仕方は、ある意味、昨日の私と同じようなものだった。