05 英雄は帰る
ハリードが戦場に出て2年が過ぎた。
魔獣対策は整い、また多くの魔獣が葬られたことで、ようやく辺境は落ち着き始めている。
防壁が築かれ、格段に人的な消耗が抑えられた。
また戦力的に余裕が生まれたことで、次の作戦が組まれた。
森の浅い部分のみだが木々を切り倒すことで、徐々に森深くへの道を作る。
そう。以前は断念していた森への侵攻だ。
とうとう、こちら側から攻め入ることが出来るようになったのだ。
これによって、よりいっそう街の防衛が楽になり始める。
そして他領から派遣されていた騎士たちは、帰還の目処も立つことになった。
ハリードもそうだ。彼は、ようやく家に帰ることが許された。
「ハリード、君には残って欲しいのだが」
「辺境伯閣下……」
ハリードは頭角を現し、多くの功績を上げた。
連日、『英雄』とまで持ち上げられ、多くの騎士たちの士気を上げたのだ。
「お言葉は有難いのですが、私にも守るべき領地があります。この地が落ち着いたのであれば、やはり自分の領地に戻りたいと思います」
「……そうだな、その通りだ。今まで本当に助かった。君が、この地に来てくれたこと、感謝している」
辺境伯は、侯爵と同等の身分だ。
王家の血を引いている特殊な立場である公爵家を除けば、貴族の頂点に並ぶ。
男爵に過ぎないハリードが、そんな辺境伯にここまで目を掛けられることは、とても名誉なことだった。
「……ところで、ハリード」
「はい、閣下」
「君には、奥方が居ると聞いたのだが……」
そして辺境伯は、チラリと彼のそば居る女性に目を向けた。
教会から派遣されてきた女僧兵、リヴィアだ。
二人が恋仲であるという話は、ハリードが英雄とまで持ち上げられたことで広まってしまっている。
だが、正確にハリードの状況を把握している辺境伯は、ずっと気がかりだったのだ。
今までは士気を下げないために聞くに聞けなかった。
だが、もうこの地を離れるのなら、ハリードの考えを確かめておきたいと、辺境伯は問いかけたのだった。
「……俺は、リヴィアのことを……愛してしまいました」
「ハリード様……!」
その言葉に歓喜の表情を浮かべるリヴィア。
それを見て、情熱的な視線を向けるハリード。
確かに『気持ち』の部分では、二人は結ばれているのだろう。
だが、そういう問題ではないと辺境伯は思う。
「では、奥方は、どうするつもりだ」
「……それは。実は、閣下。俺と……エレクトラは、白い結婚なのです」
「白い結婚?」
「はい、初夜では肌を重ねませんでした」
「……そうなのか? それは何か問題があったのか?」
「いえ、エレクトラからの提案で。願掛けだと言っていました」
「願掛け?」
「ええ、騎士の妻は、あえて交わらないことで、夫の帰ろうとする気持ちを強くするのだとか。それで生き残れるように、と」
「……私も剣を振るう身だが、聞いたことがないな、その願掛けは」
「そうなのですか?」
「まぁ、夫人に流行っているものを、男である私が把握していないだけかもしれない」
「……はぁ。とにかく、そうした願掛けのために、俺はエレクトラを抱きませんでした。ですから……離縁となっても、エレクトラの『傷』にはならないかと」
そんなはずがないだろう、と思ったが辺境伯は口を閉じる。
そしてハリードに話の続きを促した。
「もちろん、エレクトラは簡単には納得してくれないでしょう。泣かれてしまうかもしれませんが、そこは俺が彼女を説得するつもりです。それに白い結婚による離縁が成立するのは結婚してから3年。だから、あと1年、我慢すれば、正式にエレクトラとは離縁することが出来ます。そうしたら俺はリヴィアと結ばれることが出来ますから」
「…………」
辺境伯は、胡乱な目になった。呆れと仄かな失望だ。
『何を言っているのだ、この男は』と思った。
「……そうか。まだ、君も若かったのだな、カールソン男爵」
「え? は、はい」
「では、領地に戻っても達者でな。君が、どんな人生を歩んだとしても、私が君の尽力に感謝していることは変わらない。今まで、ありがとう、カールソン男爵」
「は、はい! こちらこそ、お世話になりました!」
そうして辺境伯は、ハリードとリヴィアを送り出した。
その姿が見えなくなってから、そばに控えさせた側近に話し掛ける。
「英雄は色を好むというが、アレもそうか?」
「……うーん。どう受け取られますかね。功績と醜聞、どちらがより評価されるか。ある意味で大衆受けがいいとも言えます」
「まぁ、そうとも言えるな」
「英雄としては、より話題になりますが、貴族としては問題ですね」
「そうだな。だが、白い結婚ならば、まだマシという考えも……あるのか?」
「さぁ……。奥方様が自棄にならなければ良いのですが」
「……我が領地が、魔獣の対処を出来ていれば、壊れなかった、そして結ばれなかった縁か」
「閣下、それは……」
「分かっている。誰にもこの事態を予期など出来なかったさ。ただなぁ」
援助をしようにも、今の辺境伯家に余裕があるワケではない。
ハリードが間違った対応をしないように祈るのみなのだが……。
今の時点で、既に間違っていると言っていい。
あの状態から『誠実な対応』など、はたして存在するのか。
そういった方面に経験の薄い辺境伯は思い浮かばなかった。
彼は、愛妻家だったからだ。
「ハリードが、この地の恩人であることは変わりない。だからこそ、人道を外れた真似をしないで欲しい。そう願おう」
「そうですね……」
辺境伯と側近は、遠い目をして英雄が去っていった方角を見るしかないのだった。