04 一年が過ぎて
ハリードが出兵して、もう1年が過ぎてしまった。
魔獣との戦いは、長引いている。
しかし、辺境では防壁を築き上げることで魔獣への対応をし、それがようやく完成に近付いている。
近い内に派遣されていた騎士たちは帰還することになるだろう。
幸い、ハリードの訃報は届いておらず、無事に帰ってくる見込みだった。
「良かったですね、奥様」
「ええ、そうね。それにしても、もう一年。長かったのやら、短かったのやら」
エレクトラは、きちんと男爵家を切り盛りしていた。
大きな領地ではないため、間に人を挟まず、ほとんどが直接の指示になる。
今やカールソン男爵家の主人といえた。
「……何も憂いがなければ、旦那様が帰られるまでの話と割り切れたのだけど」
どうしてもエレクトラは、あの予知夢を忘れることが出来なかった。
今も戦地で命懸けで頑張っているハリードのことを思えば、疑うことに罪悪感すら覚える。
だからこそ、今日まで男爵家をきちんと取り仕切ってきた。
そして……使用人たちや、領民が困らぬようにと日々の仕事についてのメモを残しておいた。
使用人たち全員に紹介状も用意している。
『エレクトラが居なくなっても』困らないように、だ。
もしも、夢の通りのことが起きるとしても、それには領民や使用人は関係ない。
ただ、ハリードがエレクトラを裏切るだけ、となる。
「……だけ、ね」
彼は今、命懸けで戦っているのに?
それなのに自分は彼を疑っている。何の証拠もなく、ただ怪しい夢を見たというだけで。
「はぁ……」
無事に帰ってきてくれるといい。
それだけは揺るぎなかった。少なくとも、どう転んでもハリードが死ぬことは望んでいない。
だが、一年以上も待った夫が、別の女性を連れて来たら?
そして、自分に離縁を申し出たら?
そう考えると不安で仕方ないのだ。
戦地に夫を送り出した妻としては、まったく筋違いの悩みだった。
最近では、戦地からの便りも届かない。
一応、全体的な戦況については連絡があるのだが、王都に比べれば田舎のカールソン男爵領に、それらが届くのは少し遅くなる。
数ヶ月おきに凶悪な新種の魔獣が現れるとも聞いた。
どこまで、それが本当のことなのかすら分からなかったが……。
ハリードは、何を思って今も戦っているのだろうか。
家で待つ妻のことを想ってくれているだろうか。
死にたくない、と弱音を零して涙を流すタイプではないけれど、実際の戦いを知らなければ分からないことだ。
戦場で弱音を吐き、泣いてしまったとして、誰がそれを責められるのだろう?
所詮、戦えない自分は、こうして待つことすら出来ず……。
「もしも戦場で誰かと出会ったなら……」
その誰かに心を動かされても、おかしくないのではないだろうか。
だって自分たち夫婦の間に愛など、まだ生まれていない。
たった1日の結婚生活。
それも交わりすら拒んだのだから、よりいっそうに繋がりは希薄で……。
今の自分は、被害者ではない。
むしろ夫を疑い、純潔すら捧げなかった妻だ。
「…………」
潮時なのかもしれない。
日が経つにつれ、夫への罪悪感が膨らんでいくのだ。
彼は死ぬかもしれないのに、自分のことばかり考えてしまった。
もしも、戦場で彼が亡くなったら?
せめて、彼の血を引く子供を孕んでいれば、それが希望や救いになっただろうに。
その可能性すら、エレクトラは摘み取ってしまった。
仮にあの夢が真実であったとしても。
先に伴侶を裏切ったのは、果たして、どちらだろうか?
不貞さえ犯さなければ、裏切りとは言えないのか?
……このままではいけないと思った。
だって、この先どうなるにしても、自分は、ずっと苦しいままなのだ。
夫が無傷で帰ってきて、微笑みかけて、エレクトラを愛するために帰ってきたのだと。
そう言われたら、どうしたらいい?
本来ならば、それは最も望ましいことだったはずなのに。
きっと、そうなったら罪悪感で自分が許せなくなるだろう。
一体、己は彼の何を疑っていたのだと。
このままでいいはずがない。
だから、エレクトラは決意した。
もう既に、己は選択を誤った後だったから。
そうして、エレクトラは……準備を始める。
来たる日のために。
だが、そんな苦悩の日々に、思い掛けない終止符を打たれることになる。
それは戦場からもたらされた一報が理由だった。
「ハリード様が、戦場で女性の僧兵を見初めて、口説いている。二人は恋仲だと有名? ハリード様は大活躍して……、『英雄』とまで呼ばれて……」
まず、始めにエレクトラが思ったことは『何をやっているのだ』だった。
まぁ、とりあえずハリードは……自分の旦那は戦場でも無事らしい。それは良かった。
どころか、大活躍しているのだ。
英雄とまで言われるほどに。
どうも、魔獣のかなり大きい個体を打ち倒したことが理由らしい。
その功績で陞爵もあり得るのだとか。
ここまでだけなら良いこと尽くしの報せと言える。
だが、その英雄には戦場で恋人が居るとまで書かれているのは何なのか。
その男には妻が居るというのに。
どうも、世間に報される話の中では、英雄と、それを支える女性を讃美する方針らしい。
これだけでは当人の考えを無視した、プロパガンダか何かとも言える。
間違ってもハリードを責められる段階にはないだろう。
彼が、本当にその女性を連れてきて、彼女を愛しているとでも言わない限り。
「……あはは」
エレクトラは笑うしかなかった。
結局、確信を持てない以上は今まで苦悩してきたことと変わりない。
だが、何故か心は晴れやかな気持ちだ。
──やっぱり。
そう、思えて。エレクトラの心は軽くなっていた。