38 あの日、見た夢は
私、エレクトラ・ヴェントの人生を変えたのは、ある夜に見た『夢』だった。
当時、男爵であり騎士でもあったハリード・カールソンと結婚する予定だった私。
同時期に、グランドラ辺境伯領で溢れ出した魔獣の対処に王命が下され、各地の騎士たちが辺境に出征することになった。
ハリード様も、その内の一人だ。
結婚式を挙げている暇もなく、辺境へ向かう準備をすることになった私たち。
式は挙げず、誓いのキスもなく、書類のみの結婚をした。
そして……私は、初夜で彼に『白い結婚』を申し入れたのだ。
その理由が、夢。『予知夢』と呼べるような夢だった。
夢の中では、ハリード様は辺境で出会った女性と仲良くなり、そして彼女を連れて帰って来る。
領地でハリード様の帰りを待っていた私にとっては寝耳に水だ。
いや、それ以前にも不穏な噂が立っていたのかもしれないが……夢の中だから。
彼は、その女性、リヴィア様を愛してしまったと告げ、私に離縁を突きつける。
私は離縁され、屋敷を追い出されるように飛び出して。
それから教会に身を寄せるようになるの。
ただ、保護を求めた教会が最悪な場所だったらしい。
おそらく、あれはカールソン領から少し離れた場所の教会。
実家のヴェント子爵領とは反対側の領地にある教会だと思う。
私は教会でも追い詰められて……。さらには追手が。
と、まぁ散々な『未来』が待っていることを夢に見たのだ。
だから、ハリード様とは白い結婚を願った。
そして案の定、というか。やはり夢の通りに戦場から通達されるのは、夫の不貞の話。
まるで美談のように語られる『英雄』ハリードと『聖女』リヴィア様の物語。
さらに不穏なことに私の偽者が、私の悪評を広めるように現れて……。
私は、ハリード様とは自ら離縁し、カールソン領から逃げることに決めた。
その際、彼らとは話すことすらせず、顔も合わせないまま。
私なりに、責任は果たそうとした。
使用人たちの今後や、領民の生活をどう支えるか。
不貞した夫と、その浮気相手が屋敷に来ることで、どういった事態になるか。
彼らが帰ってくる前から使用人たちには覚悟をしてもらい、立ち回りを考えて貰っていた。
それから彼らがいつでも辞められるようにと、紹介状も全員分を用意していた。
古くからカールソン家に仕えてくれている侍従長のサイードさんや、侍女長のサリアさんは、きっと簡単にはハリード様を見捨てることはないだろう。
彼らは、私と過ごした二年間よりも、ハリード様と過ごした時間の方がずっと長いのだ。
紹介状があるからと言って、そう簡単に辞められない者も居る。
そもそもカールソン領に家があり、家族が住んでいる者だって。
だから彼らには、私のことで怒ったり、失望したりするよりも自分たちの今後のことを優先して考えるように伝えていた。
それが結局、上手くいったのかどうかは分からない。
私がカールソン家から逃げるためにしたことは、さらに自分の行方が分からないようにすること。
いくつも嘘の目撃証言を残したり、実家に居るように偽装して貰ったり。
そして、それでも私を求めるようなことがあれば『偽者』を雇って、私のフリをさせて欲しい、と。
結局、予知夢の中で見ただけで、私は現実のリヴィア様とは会ったことも、話したこともないままだ。
夢の中の彼女から、そういう態度を取りそうだと思って。
加えて言えば、実際に偽者の私が領地に現れたと聞いて、良い案だと思ってサイードさんに託していた。
そうして、あれこれとしながら逃げて。
夢の中の悪徳な教会とは違う場所に保護してもらって。
そこでリューズ神父や、シスター・アンジェラのお世話になって。
私は治療魔法を覚え、奉仕活動を行っていた。
そうして教会で出会ったのが、右腕を怪我したリシャール様だった。
私が全力で治療魔法を行使したところ、なんと治らないと思われていた彼の腕は完治。
そこから、グランドラ辺境伯領へ向かうことになり、彼と一緒に旅をした。
もちろん二人きりではなく、小さな商会と一緒の旅だ。
私の治療魔法は、ずいぶんと特異なものだと段々と知ることになる。
リシャール様の実力もまた知ることになったわ。彼は、一騎当千の実力者だった。
グランドラ辺境伯領に着いて、活動を続けて……。
私と彼は、互いにゆっくり心の距離を縮めていった。
辺境伯閣下から聞いたハリード様のその後の様子を知ったことをきっかけに、私は動き始めることを決めた。
名声を手に入れ、いつか来るだろう不穏な未来に対抗するため。
その動き始めのきっかけに、リシャール卿に告白して。
嬉しいことに、私と想いを同じくしてくれた。
私とリシャール様は、正式な婚約者となったのだった。
……ここまでが、私の少し変わった人生。
リシャール様は私のことを想ってくれているけれど。
少し、距離が空いている感覚はある。
それは彼が根っからの騎士だからだろう。
薄々と感じていたけれど、リシャール様は私への好意と同等以上に、私への『恩義』を感じている。
彼の右腕は、治らないと思っていた。私が、それを治したのだ。
リシャール様の中では、どうも『忠誠心』が、かなり強いみたい。
『恩人』に対して力になろうとする気持ちだ。
ちょっと、それは恋愛感情ではなかったかもしれない。
でも、まったく恋心がないわけではなくて。
告白もして、婚約者になったけれど。やっぱり私たちは、これからゆっくりと仲を深めていくのだろう。
……あの夢は、もう見ないのかしら?
結婚までに何度か見た予知夢。一度きりの奇跡ではない。
私は、予知夢を二回見ている。内容的には同じようなものだったけれど。
治療魔法などの特異性で忘れていたけれど。
結局、あの夢って何なのかしらね?
あれも、私の変に強力な魔法の恩恵なのだろうか。
二度目に見た時、私はもしかしたら時間を回帰しているのでは? と思った。
あまりにも夢が鮮明だったから。でも、実感としては、そういう感じじゃないのよね……。
人生が大いに振り回されるから、あまり見たくはない予知夢。
だけど、もしも、これから……大きな不幸がある未来なら。
私にそれを教えて欲しい。そんな風に思う。
でも、そんな奇跡にばかり頼っては生きていけないもの。
今は、ただ目の前の出来ることをしていくだけね。
「エレンさん、見えてきましたよ」
「はい、リシャール様」
私と彼は一緒の馬車に乗って移動していた。
御者席側に開閉できる窓が付いているタイプの馬車だ。
そして窓の向こうに見えたのは……ランス王国の王都。
「栄えていますねぇ」
「はい、そうですね」
グランドラ領の街も栄えていたと思うけど。やっぱり、王都は別格だ。
華々しい王都へ向けて私たちを乗せた馬車は進む。
「リシャール様」
「ん……」
私は、隣に座る彼の手に、自身の手を重ねた。
私の指には、婚約指輪が嵌められている。
リシャール様から贈られたものだった。
「ふふ」
私は、彼に寄り添い、幸せを感じる。
好意を抱いた異性に触れ、ときめきも感じて。
ああ、私は……。
ハリード様とは、こんな風に過ごしたこともなかった。
結局、私と彼が夫婦らしくあれたのは、結婚に向けて準備を進めている時ぐらいだったな。
リシャール様とは、そんな風にはなりたくないと思う。
だから、これからも私は、幸せになるために頑張ろう、と。
温かな気持ちと共に、そう誓うのだった。




