37 ハリードたちの『これから』
リヴィアと結婚式を終えたハリード。
式は無事に終わった、とは言い難い。
公爵夫妻が、何やら不穏な雰囲気を撒き散らしていた。
何の関係もないのに突然やって来て、人の結婚式にケチをつけるなんて。
ハリードは、そう思った。
そして、偽エレクトラだった女だ。本名はメイリン・オルブライトと言うらしい。
人妻で、しかも商会長夫人だったという。
偽者であると、あろうことか披露宴で暴露し、リヴィアがそれに怒って収拾がつかなくなった。
愛し合う者同士であるはずの自分たちなのに、最悪な雰囲気のままで披露宴を終えたのだ。
「……リヴィア。どうして、そこまでエレクトラに拘るんだ」
帰りの馬車は、リヴィアと同じだった。
王都まで共に来ていた使用人たちは、別の馬車で移動している。
「拘る?」
リヴィアは首を傾げる。
「拘っているじゃないか。彼女とは、もう離縁したというのに、いつまでも。気にしないでいいと言っても、ずっとエレクトラのことを言い続けて。一体、何なんだ? 会ったこともないはずだろう」
「……だからって! 偽者を用意してまで私を騙すなんて酷いわ! ハリードは、本物のエレクトラ様を匿っているのじゃないの!?」
「匿うって、一体、何から匿うんだ? エレクトラは誰にも狙われていないだろう」
「……まだ彼女に未練があるのじゃあないの?」
「何を言っているんだ。もうエレクトラとは離縁して1年が経つ。それ以前に彼女とは結婚してから一日しか一緒に過ごしていない。白い結婚で、男女の仲ですらなかったんだ。だから……」
だから未練なんて、ない。
そう言い切るはずが、何かが引っ掛かり、ハリードはそれ以上を口に出来なかった。
誤魔化すようにリヴィアに言い募る。
「リヴィア。俺たちは正式に夫婦になった。結婚したんだよ。今は、それを喜び合おうじゃないか。俺たちの結婚を、あれだけ大勢の人が祝福してくれた。俺たちがやって来たことが認められたんだ。英雄や聖女と呼ばれたのは、俺たちが頑張ってきたからこそだろう?」
「……ハリード」
カールソン領へ帰るまでの間、そうしてハリードはリヴィアの機嫌を取り続けた。
自領で式を挙げなかったため、帰るために日数を使うことになり、二人は初夜をまだ迎えていない。
何の用事もなく、ただまっすぐ領地へ帰るだけならば、馬車で4日程度の道のりだ。
その途中、別の領地で宿を取って……。
ようやくカールソン領に戻ってくることが出来た。
後悔があるとすれば、無理をして王都で式など挙げずに、自身の領地で式を行えば良かったな、ということ。
思えば、エレクトラとの結婚でも白い結婚を提案され、初夜を迎えられなかった。
あれから総じて3年。いつも『妻』と結ばれる前に邪魔の入ったハリードだが……。
ようやく落ち着いて結ばれることが出来るだろう。
そう思った。
……だが。
「今、帰ったぞ」
侍従長サイードたちが別の馬車で付いてきたはずだが、ハリードたちの方が早く屋敷に着いた。
屋敷に帰り、かつてのように使用人たち総出で新婚の自分たちを歓迎してくれる、と期待した。
「……なぜ、誰も出迎えに来ないんだ」
「本当よ、どうなっているの?」
1年前のように戦場から帰還した自分たちを、高位貴族のようにもてなし、歓迎するはずの使用人たちが出て来ない。
妙だな、と感じながらも二人は屋敷に入る。
「……なんだ?」
「どうしたの、ハリード」
「いや、人の気配が……」
どことなく、寂れたような雰囲気を感じる。
人の営みが遠ざかっていた屋敷のように。
「……おい、誰か! 迎えに来ないか!」
そう、声を上げるハリード。リヴィアは、つまらなそうに爪の先を弄っていた。
しばらくして屋敷の奥から、使用人の男が出て来る。
「ああ、お帰りなさいませ、旦那様。そして奥様」
「一体、何をしているんだ!? 主人の歓迎もせずに……!」
「あー……」
現れた使用人は、比較的若い男性だ。
彼は、困ったように声を上げる。
「旦那様、まずは状況の説明をさせていただきます。ええっと、侍従長や侍女長は、帰っていますか?」
「状況の説明だと? どういうことだ。サイードたちは、まだ帰って来ていない」
「分かりました。ええと、奥様は先にお休みになられます? 戻られたばかりでお疲れかと」
「……ええ、そうするわ。部屋に戻って休ませて貰うわね。すぐに侍女を呼んでね」
「承知しました」
ハリードはリヴィアを見送り、使用人に説明を求めるように睨み付ける。
「旦那様、今いない者たちの……退職届が執務室の机にあります」
「…………は?」
ハリードは、その言葉の意味がすぐに理解できなかった。
「屋敷に居た使用人たちの半数以上は、既にここを辞め、出ていった後です」
「な……何、何を……言っている?」
なぜ、そんなことになるのか。
結婚して、これからという時に。一体、何故。
「見ていただくのが早いかと。それから、そのぅ。あのエレクトラ様も、出ていかれまして。もういらっしゃいません」
「それは……知っている」
「そうでしたか」
偽エレクトラこと、メイリンは既に王都で別れたきりだ。
彼女がカールソン家を出ていくのは理解していた。
どの道、エレクトラでないことがリヴィアにバレてしまった以上、屋敷に留める理由などなかった。
「だが、何故、使用人たちが、本当に?」
「はい。どうも、そのー。あのエレクトラ様? が動いていたようで。彼女の商会で雇われたと、去っていく者から聞きました。退職届にもその内容が書かれているのでは?」
「……!」
ハリードは急ぎ、執務室へ向かい、そして机の上を見る。
使用人が言ったように、退職届が何通も積み重なっていた。
その光景は一年前のことを彼に思い起こさせる。
自分が用意した離縁状とは別の離縁状が机の上に置かれており、まるで自分がエレクトラに捨てられたような屈辱を味わわされた、あの日。
「……本当に! 勝手に辞めていったのか!」
この一年、使用人たちの仕事に大きな不満などなかった。
自分が戦場に向かう前より、ずっと洗練されたようになっていて。
リヴィアの我儘は……、あのオルブライト夫人が適当に受け流して。
上手く回っていたのだ。何の滞りもなく。
「オルブライト商会に雇われた、だと! あの女、こんな使用人を盗むような真似を!」
使用人たちは引き抜かれたのだ、オルブライト商会に。
こんな屈辱的な仕打ち、許せるものではない。
抗議をするべきだと考え、そして使用人たちを取り返すことを思い浮かべた。
そこに遅れて帰ってきた侍従長や侍女長が現れる。
「旦那様、戻られていましたか。それに、事情は先程、我々も聞きました」
「抗議する! あの女の商会に! サイード、お前があの女を連れてきたんだろう!? 分かっていたのか!?」
「……いえ。それは違いますが……、そうですね。旦那様、我々から話せることもありますが、その前に、こちらを」
「なんだ!?」
侍従長が差し出したのは一通の手紙だった。
「手紙だと、誰から」
「……封蝋は、おそらくファーマソン公爵家のものとお見受けします」
「公爵家だと……また、あの家か! 一体、何なんだ!」
奪い取るようにハリードは手紙を受け取る。
そして封を確認し、確かに見覚えのある家紋だと確認してから、開いて手紙を読んだ。
「…………」
侍従長と侍女長が見守る中、ハリードは手紙を読む。
だんだんと青い顔になっていく主を、彼等は黙って待ち続けた。
「……リヴィア、は」
「旦那様?」
ハリードは放心したように机に手を突き、身体を支えた。
「一体、どのような内容で?」
「…………、……」
言葉に詰まったように、黙り込むハリード。
見かねて侍従長は続けた。
「よろしければ、私が拝見しても?」
「…………ああ」
侍従長は、ハリードから手紙を受け取り、そして目を通した。
書かれていた内容は。
手紙の差出人は、ファーマソン公爵夫人のものだった。
そこにはリヴィアが何者なのかが書かれている。
平民の女性ファティマを母に持つ子供。そして、父親はファーマソン公爵その人。
だが、公爵位を継ぐ資格はなく、また公爵家に引き取ることも決してしない。
公爵は入り婿であり、元々は侯爵家の出身だが……。
侯爵家と家督を争いたいなら止めはしないし、支援もしない。
ただし、ファーマソン家と争うつもりであれば、一切の容赦はしない。
今まで公爵がリヴィアを陰ながら援助していた。
結婚式の費用も当初は、公爵が出す予定で話を持ち掛けていたはずだが……。
その支払いは、公爵家からはしないし、させるつもりもない。
つまり、今後の支払いはカールソン子爵家の力でしなければならない。
……ハリードには、借金が出来ている。
そして、何よりも重要なこと。それは。
「リヴィア様と離縁することは決して許さない……ですか。結婚したばかりですから、これは別に問題では……」
「彼女は、公爵家に目を付けられている! 憎まれているじゃないか!」
公爵夫人は、こう言っているのだ。
『リヴィアと共に、苦しめ』と。
公爵ジャックの愛人の子供であったリヴィアに、長く苦しい日々を過ごさせる。
落ちぶれ、追い込まれていく『愛人の娘』の姿を見せ、そして彼女に手も出せない状況を……。
不貞をした公爵に味わわせ、長く苦しめていくつもりだ、と。
リヴィアを疫病神だと、放り出すことは許さない。
それをするならば、公爵家がカールソン家の敵に回る。
だから……今、与えられた状況を受け入れ、リヴィアと共に生きていけ、と。
「借金……なぜ、あ、あの結婚式を提案してきたのは」
英雄であるハリードと聖女リヴィアの結婚式だ。
それは華々しく王都で開かれるべきだろう、と。
そう持ちかけてきた商人が居た。色々と都合のいいことを言っていた、と今では……。
「借金、費用は……どれぐらい請求が……」
それからハリードは事態の把握に駆り立てられた。
日付を跨いだ結婚初夜などと言っている場合ではない。
リヴィアからも誘いはなく、当たり前のように、結ばれることはなかった。
むしろ、使用人が少なくなって日々の不満を訴えることが目立って。
使用人が居なくなったから当然なのだが、それでもいつも以上に我儘を言っているように感じた。
その理由は……、偽エレクトラが居なくなったから。
彼女の我儘を聞き流し、自尊心を満たすための妄言を躱していた、あの女。
防波堤のような存在が居なくなったことで、リヴィアの満たされない欲求が、より明らかになったのだ。
「これは……、どうなんだ。返せる額、なのか?」
どれだけ法外な借金を背負わされたのだろう、と。
改めて確かめるのだが……。
「返せ、なくは……ないですね。日々の支払い猶予と金額……破産するほどではない……。……ですが」
「なんだ……?」
「……向こう十年は、質素な生活を余儀なくされるでしょう。オルブライト夫人が、こちらの経済状況まで掴んでいたのかと」
「ハ……。ははははは」
雁字搦めだ。既にカールソン家は丸裸だった。
すべてを把握されていて、すべてを決められている。
これから、どのように苦しめばいいのか。
これから、どのように生きていけばいいのか。
ずっと未来まで、公爵夫人によって『予定』を立てられていた。
ただ、すぐに滅びるワケではない。
すぐに離縁し、解放されるワケではない。
リヴィアという女性を、カールソン家に縛り付け、そして貧しい結婚生活を送らせる。
そう出来なければ、カールソン家は終わりだ。
いくら英雄と呼ばれていようと、聖女と呼ばれていようと。
実態は、ただの子爵に過ぎない。
公爵家を相手になど戦えるはずもない。それは既に証明されている。
少なくとも、十年。
ハリードとリヴィアは、そんな生活を続けろ、と。
引き抜かれた使用人の数、そして残った使用人の数も、如何にも今後の『予算』に合わせたもののようだ。
「こんな、こんなことが……」
リヴィアを求めたから。
彼女に惹きつけられ、そして結ばれようと願ってしまったから。
公爵夫人からの脅迫めいた手紙の最後には、皮肉を込められて、こう書かれていた。
『真実の愛なら。愛しているなら。どんな試練でも乗り越えられるでしょう?』と。
「ああ……」
それは、どこかでハリードが思ったこと。
いつだったか。試練、愛の試練。真実の愛。
そうだ、ハリードがそう思ったのは。
「……エレクトラ」
リヴィアを連れて領地に帰り、そして胸に離縁状を用意して。
これが愛の試練であると。
きっとエレクトラには泣き縋られるだろうが、それでもリヴィアを愛しているのだから。
自分たちは、この辛い試練を乗り越えられるはずだ、と。
そうした結果が、今ここに。
「どうして、こんなことに……」
ハリードは頭を抱えながら、吐き出すようにそう呟いた。
自分が、どこで選択を誤ったのか。
どうしていれば、幸福だったのか。
そんなことはもう考えたくもない、と。
ハリードは、立ち上がる気力も失って執務室の椅子に座り込むしかなかった。
第一部・完!




