34 辺境伯と話す
「呼び出してすまないな、シスター」
「いえ、呼び出しというか。わざわざ訪ねて来てくださって、ありがとうございます。辺境伯閣下」
今居る場所は、教会だ。
グランドラ辺境伯は、私に話があると教会へ訪れて、私を呼ばれた。
「まず、シスター・エレン。貴方には感謝している」
「え、感謝、ですか?」
「ああ、報告は上がっている。教会に、孤児院に、騎士団に、と。シスターが貢献してくれていることは多い。感謝だけでなく、きちんとした報酬を与えたい。特に騎士団への協力にだ。そちらは完全に貴方の善意だろう?」
「……善意というか」
教会と孤児院は併設されていて、どちらも教会管理だ。
そこで働いている私が、どちらの仕事も請け負うのは、まぁ別におかしなことではない。
別に私だけではないし、労働に対する対価もいただいている。
住む場所に食事、生活周りの備品など。
基本的には、生活に対する費用は、ほとんど掛からないようになっている。
それが報酬と言えば報酬だろう。
また多くはないが、個別にいただいている金銭もあったりする。
少額だけれどね。ささやかな贅沢をすることも許されていた。
特に今まで、それで問題もなかったわ。
実は、私物などを買う習慣は、私には、ほとんどない。
昔から、与えられるお金は領民の税だったりと……。
『自分で働いて得たお金』というよりは、得たお金によって如何に働き、領民を養えるか、と。
なんというか『逆』なのだ。
報酬が先にあって、労働が後にすべき義務としてある、ような。
労働の対価として、いただく報酬……には、慣れていないかもしれない。
それは、教会にお世話になってからもそうだった。
まず、先に暮らしていく部屋を与えていただき、食事を摂らせていただいて。
そこから労働によってお返しして。
そういう生活を続けてきた。
だから、騎士団への協力に対して報酬が発生する、と言われてもピンとは来ない。
それに……騎士団への協力は、善意とは違うからだ。
今では、もうはっきりとしている理由なのだけど……。
私は、リシャール卿に会いに行っている。
そして、彼が働く場所がよりよい場所であるように、と。
また、その戦いで怪我を負わないように、と。
そう願っている。だから、騎士団にはよく顔を出しているし、協力もしていた。
完全に私欲で動いた結果なのだ。なので、それに感謝されると、ちょっと。
「ええと。好きでしていることですので……」
「好きで? 有難いが、実際に魔獣との戦いにもついていったのだろう?」
「あ、そちらの時は、ちゃんと報酬をいただいていますよ」
「……そうか。いや、当然なのだが」
この辺りは、辺境伯閣下の直接管理ではなく、おそらく騎士団の管理でしょうね。
正式な報酬をいただかないのは、彼らに私の行動を『管理』させないためでもある。
あくまで好きにやっていることだからこそ、自由なのだ。
「……シスター・エレン。報酬のことは改めて話し合うとして、だ」
「はい、閣下」
「耳に入っているだろうか? 私は、今まで王都に居た。用事があってな」
「……はい。聞いております」
「目的は、この地を救ってくれた『英雄』と『聖女』の結婚式に参加することだった」
やっぱり、その話になるわよねぇ。
「はっきり言って、その結婚式では、色々とあったのだが……」
「色々と?」
私は首を傾げる。どうも、辺境伯閣下の表情からして、見て満足のいく式ではなかったみたい。
どうしてそうなるのかしら?
「……そうだな。シスター・エレン。これから貴方にとっては隠したいことを聞かねばならないかもしれない。だが、これは今後の君に無関係の話とは思えないので、正直に話して欲しいのだ。もちろん、他言するなと君が願うならば善処するつもりだが……」
「……何か、その結婚式で問題が起きましたか」
「ああ、起きた」
結婚式で問題って何があるかしら?
あまり想像が出来ないわね。
「シスター・エレン。単刀直入に聞こう。君は、もしかして……エレクトラ・ヴェント子爵令嬢か?」
「────」
やっぱり。バレたみたい。だけど、どうしてだろう?
確かに辺境伯は、元夫の結婚式に出たかもしれない。
けど、そこでどうして離縁した元妻の正体に思い至るの?
とにかく、ここは嘘を吐く場面ではないと感じた。
辺境伯閣下も、私を悪いように扱う気配がない。
話してしまってもいいだろう。
「……はい。その通りです。私の本名は、エレクトラ。エレクトラ・ヴェントと申します。……その。それ以外も、ご存知で?」
「ああ。『英雄』ハリード・カールソン子爵の、離縁した元妻、であることも知っている」
「そうですか。はい、その通りです」
私は、頭を下げておく。
「申し訳ございません、閣下。今まで黙っていて」
「いや、名乗らなければいけない身分ではないだろう。それに今は教会に所属しているのだ。君は何も間違ったことはしていない。だから、そのことはいいのだ。特に咎めるつもりではない」
「それなら有難いですが……」
では、どうしてここに来て言及されるのか。
例の『強化魔法』とは別件のようだ。王都で何かあったらしい。
「……まず、王都で私が見聞きしたことを聞いてもらえるか?」
「はい、閣下」
そして私は、辺境伯閣下が王都で遭遇した……なんと言おうか。
『珍事件』について、色々と聞かせて貰った。
それらを聞いて、私は頭を抱えるしかなくなる。
「ええ、っと。どこから何を言えばいいやら……」
「そうだろうな」
まず、王都の結婚式。
元夫のハリード様と、聖女のリヴィア様は、なんとか無事に結婚はできた。
しかし、しかしだ。
その挙式では、何故かファーマソン公爵閣下が、リヴィア様のエスコートをしながらバージンロードを歩いた。
これだけでも意味不明だ。
だが、それでは終わらない。
そこで挙式に参列していたファーマソン公爵夫人の姿を見付けるや、顔色を悪くする公爵。
どうも、不穏なやり取りの後で、二人は正式に結婚。
参列客たちは披露宴会場へと移った。
そこには、顔色の悪い公爵と、公爵夫人。そして黒いドレスの貴婦人が居た。
その彼女は、水色の髪色をして、名をメイリン・オルブライトと名乗ったという。
オルブライト商会の会長夫人であるとか。
そこまでで終われば、特に大きな問題とはならなかっただろう。
問題は、ウェディングドレスから着替えて現れた聖女リヴィア様の発言だ。
彼女は、なんとオルブライト夫人に対して『エレクトラ様!』と声を掛けたらしい。
どういうこと?? となってから、私は嫌な予感を覚えた。
「……もしかして」
「何か心当たりが?」
「ええと、そのぅ」
私は、ハリード様と離縁する際、面と向かって話をせずに、逃げるように家を出てきた。
その際にだが……様々な工作をしてから逃げたのだ。
その内の一つに、使用人たちへの協力要請がある。
「もしも、ハリード様がリヴィア様と結婚した後。いえ、とにかく私と離縁した後。明らかに彼女と縁を切るつもりもないのに、何故か私のことを捜そうと動き始めたら。どうにか誤魔化して欲しい、と」
「……ほう」
「そのためにも私は手を打っていました。実は、家を出た後の各地に私の目撃情報が見つかるように動いて貰っていて……」
「…………」
辺境伯閣下は黙って私の話を聞いてくれていた。
たぶん、疑問はあるのだろうけれど。
「そして、どうしてもハリード様が私を捜索しようとするなら。それを望む理由が、リヴィア様にあるのなら。『代役』を用意するように、と」
「……なるほど。それを買って出たのがオルブライト夫人であったのだろう、と?」
「はい、おそらく」
「シスター・エレン。何故、そこまでしたのか、理由はあるのだろうか?」
「……なんとなく、と言いますか、その。悪い夢を見まして」
「悪い夢?」
「はい、ええと。離縁した後で、彼らに追いかけられるといいますか。執着されるような。それでいて、非道な……。とにかく私を追い詰めてきそうだ、と。そういう不安がありまして。つい、徹底的に対策を……」
「……ふ。そうか。つい、徹底的な対策をしたか」
うぅ。でも、あの予知夢はどう理屈付けたものか。
実際、そうなのだから、としか言えないのだが。
「まぁ、それは正解だったのだろうな。あの様子では。結婚した聖女は、『元妻』という想定のオルブライト夫人に、勝ち誇るようにドレスを自慢していた。相手が人違いだから、まったくの空振りだったが」
「……まぁ」
私と聖女リヴィア様は、会ったことがない。
予知夢で見ただけだ。当然、彼女の為人は知る由もない。
だが、どうしても、それを聞いて『やっぱり』としか思えなかった。
そうして、グランドラ辺境伯閣下は、結婚式で起きた珍事件と、それに関わる人々の仔細な情報を共有してくれた。
その中には、私の想定外の驚くべきことも沢山、含まれていた。
「……つまり、リヴィア様の正体は?」
「おそらく、だが。ファーマソン公爵の庶子、ということなのだろうな。愛人の子だ。知っているか? ファーマソン公爵家の正当な血を引く者は、夫人の方だ。だから、たとえ正体を明かしたとしても、リヴィア夫人に公爵家を継ぐ権利はない」
元夫は、とんでもない人と浮気をしたらしい。
親の罪を子に問うことなどしたくはないのだが……。
親も親なら、子も子だな、というのが私から見た印象だった。
「もしかして」
「どうした?」
「いえ、その。実は……」
私は、主に予知夢を理由にして様々な対策を打って、行動した。
その結果、『何者か』の悪意を感じていたのだ。
偽の男爵夫人の出現だとか。地元の教会の不穏な噂とか。
だからこそ、私は逃げるために力を尽くした。
そこにあった懸念が、私の勘違いでないとしたら。
「公爵の手の者が、君の周りに居たのかもしれないな。元からハリードを狙っていたとは思えない。だから、彼がこの地に来てから……、聖女リヴィアと出会ってから、か。監視か、護衛が付いていた可能性があるな」
「……ということは、どういうことになるのでしょう?」
「……公爵の、あの様子だ。考えられることはある。私の推測になるのだが、聞くかね?」
「ぜひ」
辺境伯閣下は、鷹揚に頷いた。
「まず、聖女リヴィアには監視と護衛が付いていた。公爵の手の者だ」
「はい」
「そして、……この地で、リヴィア殿はハリードに恋をした。その様子も見られていた」
「……はい」
「だから、公爵は『娘』のために動いた。その行動の内の一つが、カールソン近隣の領地に現れたという偽夫人だろう」
私は頷く。
「理由は、おそらく君の有責による離縁だ。君を陥れることで、慰謝料など発生させずに、カールソン家から追い出したかったのだろうな。ふざけたことだ」
「……おっしゃる通りだと思います。納得できます」
おそらく、私があの予知夢を見ていなかったら。
きっと、そうなっていただろう、と思えた。
「ハリードは……」
「はい、閣下」
「……ある時から、急に活躍し始めてな」
「そうなのですか」
「ああ。その理由には見当が付いていた」
「理由?」
「ああ、それは彼の使う武器が理由だ」
「武器……というと」
私は、少し前にリシャール卿と話していた『武器への付与魔法』を思い出していた。
そして、辺境伯の推測も、私と同じだったらしい。
「公爵が用意させただろう、魔法を付与され、強化された武器をハリードは使っていた」
「……まぁ、それで魔獣を撃退できたのならば、悪いことではありませんね」
「それはまぁな」
とにかく。私と元夫の離縁の裏には、ファーマソン公爵が居た、ということだ。
それが私の感じていた『何者か』という恐怖の正体。
では、無事にリヴィア様の結婚が叶った今、どうなるのか。
「ファーマソン公爵夫人は、これ以上のリヴィアへの援助を打ち切るつもりの様子だった。それに……」
「それに?」
「王都から出る前に、軽く調査をさせたのだが……。どうやらカールソン家の使用人の多くが、オルブライト商会に移っているらしいのだ」
「ええ?」
それは、また。
彼らに働く先が、きちんとあるのならば、それはいいことなのだけど。
「オルブライト夫人は、半年ほどカールソン家で過ごしていたらしいからな。その間に、使用人たちと交渉を進めていたのだろう」
「彼らの生活が保証されるならば、いいことです。優秀な人たちですから」
「……そうだな。……が、結論を言うとだ」
「はい、閣下」
「これからカールソン子爵家は、ひどいことになるだろう」
ひどいこと。私は、目を瞬いて閣下を見る。
「まず、王都での結婚式。それには当然、多額の費用が掛かるワケだが……それを、どうやら援助なしに進めたらしい。ファーマソン公爵が、娘のために補填するつもりだったのかもしれない。だが、彼の様子からして、その援助はもうない。つまり」
「……多額の借金が、カールソン家に残る?」
「ああ。加えて、結婚式を境に、使用人たちの大半が居なくなる」
「…………」
「ここからは推測だが……」
「は、はい」
「この半年で、カールソン家の屋敷内のことや、或いは領地運営のことでも。オルブライト夫人が、手を加えていたのではないだろうか?」
「え?」
「率先して、仕事をしていたか。或いは、リヴィア殿に仕事を押し付けられるままに仕事をこなしていたか」
それは、ありえそうだな、と。私は夢の内容の断片を思い出す。
「そんなオルブライト夫人も居なくなる。当然、屋敷内や、領地での仕事は回らなくなるだろうな」
「それは……」
「ファーマソン公爵夫人の『報復』だったのだ。結婚式、という人生の最も幸せを感じるだろうタイミングで、すべての梯子を外し、醜聞を広め、借金をさせて。己を裏切った公爵と、不貞相手の娘であるリヴィアに……地獄を味わわせてやろうという」
私は、目を見開き、息を呑む。
「君やハリードは、彼らの諍いに巻き込まれただけだ」
「……リヴィア様が悪いとは言えないのでは」
「そこは夫人も弁えているようだったよ。もちろん、だからといってすべてを許すつもりでもない、と。だからこそ成人した後の今、だったのだろう。子供のままの彼女を害したりはしていないはずだ。でなければ、あのような性格にはならないだろう。詳細を把握していないが、借金も『ギリギリ』と言っていた」
「ギリギリ、ですか……」
つまり?
「今すぐに破滅するのではなく、不幸な結婚生活が長引くように、と」
「ひぇ……」
怖っ。
私の立場から言うことじゃないかもしれないけれど。
公爵夫人の報復、怖いっ!
「もしかしたら、すぐには離縁できないように脅すぐらいはしているかもな。なにせ子飼いのオルブライト夫人が、半年もカールソン家の屋敷に居たのだ。使用人たちの多くを雇えるほど、人心も掌握済み。借金がどうギリギリなのかも把握済みなら、脅迫の材料なぞ、いくらでも用意できるだろう」
うわぁ……、である。
最早、『うわぁ』としか言えなかった。
公爵家のゴタゴタに、私たちは今まで巻き込まれていたのだ。




