32 優しい恋心
私とリシャール卿がグランドラ領に来たことは、歓迎されることになった。
それは、この領地が抱えている問題があるからだろう。
まず、2年に渡る魔獣の侵攻によって荒れている場所がある。
騎士団の手が回らず、治安が悪化してしまった地域だ。
そして、防壁を築くことで人類側有利となった魔獣との攻防だけれど。
壁の向こうには、まだ魔獣の領域が残っている。
何度かの侵攻作戦によって森深くへ進み、多くの魔獣を葬ったものの、それでも、すべての襲撃がなくなったわけではない。
また、王命によって派遣されていた人員が各々、帰ってしまったことで人員不足でもある。
そう。人員不足なのだ、とにかく。
なので、私たちが受け入れられるのは当然だった。
「エレンさーん、こちらもお願いしまーす!」
「はいはーい!」
私は、普段は主に辺境の教会、そして教会に併設された孤児院でのお仕事に従事している。
今の私の正式な所属は、教会だものね。
教会に併設された孤児院では、魔獣の襲撃によって家族を失った子供たちが暮らしていた。
やはり、あの2年、それも魔獣襲撃の初期段階で、特に親を失った子供が増えてしまったという。
とても悲惨な状況であったことが窺える。
……いっそ、最初から私も元夫と共に、この地に来ていれば、と。
そんな風に考えたことが何度もある。
でも、その状況でここに来て、私がきちんと治療魔法を学ぼうと思ったかというと、それは疑問だ。
もっと物理的なお手伝いに奔走していたと思う。
そうなると、私の治療魔法の才能は無駄遣いとなっていただろう。
なるべくして今の状況になった、というべきだろうか。
「私、午後からは騎士団の修練場に行きますねー」
「ええ、任せたわ、エレンさん」
人手の足りない教会と孤児院、そして騎士団。
防壁によって戦いが楽になったとはいえ、王命によって招集されていた戦力が抜けたのは、とても大きい。
そんな中で現れた一騎当千の実力を持つ騎士、リシャール卿。
私としては戦場で戦う彼の姿を見ているため、『鬼神』とか、そういう呼び名が相応しいと思う。
でも、彼につけられた二つ名は『聖騎士』だった。
どうして聖騎士なのか、というと戦う時に黄金の光を纏っていたから神々しくて、と。
……うん、それ、私のせいだよね?
私の治療魔法。遠慮なく出力を上げると、何故か黄金の光が付随する仕様なのだ。
因果関係があるかは知らないけれど、治療魔法としての『性能』と『射程』が破格、らしい。
よく考えると比較対象がそれほど居なかったので、自身の特異性に今まで気付いていなかったのだ。
そんな能力があるものだから、これもまた当然の如く、私は、騎士団の活動にも派遣されることになった。
別にそのことに不満はない。
私が目に見えて力になれることだし、それに騎士団の活動場所に行けば……。
「リシャール卿、お待たせしました」
「エレンさん」
ここ数か月、一緒に活動していた彼に会える。
銀色の髪を短く切りそろえ、青い瞳をした、逞しい騎士様。
リシャール・クラウディウス卿。
「大きな怪我をされた方は、いますか?」
「かすり傷程度ですね。特に大きな問題は起きていません」
「それは何よりです」
私は、その能力から騎士団の戦闘活動にも参加している。
陣形を整えて貰って、彼らに守られながら後方支援、という形だ。
ある程度の距離、遠隔で治療魔法を飛ばせるため、騎士たちが安心して戦えるのだという。
女性の騎士や、私と似たような立場である女僧兵さんも居るのだけど。
私の場合は、完全に前線に立つでもなく治療できるし、即効性もあるので……。
有用なのだという。
とはいえ、常に彼らと共に活動しているワケではない。
先に言ったように、主に私は教会と孤児院での活動をしているのだ。
ただ、普段の修練などで怪我をした騎士たちが居ないか、と。
こうして普段から様子を見に来ている。
怪我人が出れば、もちろん治療院に運び込まれるのだけど。
治療魔法が使える者が、その場に居合わせた方が助かる可能性は、もちろん高い。
それに慣れの問題ね。
普段から騎士団の人たちと交流することで、いざという時の彼らの作戦行動への理解力が上がる。彼らと意思疎通がし易くなる。
彼らが、どういう人かを知っていた方が動き易くもあるわよね。
「最近はどうですか? 落ち着いてきたでしょうか」
「そうですね……。定期的に森の浅いところへ討伐に出ています。大きな怪我を負う者も少なく、防壁の点検もあるのですが、そちらも特に問題は見つかっていません。安心していいと思います」
「それは良かった。リシャール卿も無理をされないように」
「ありがとうございます、エレンさん」
何でもない、普段通りの会話を交わす私たち。
特に『進展』と呼べるようなことは起きてはいない。
……こう考える時点で、いわゆる『意識』はしているのだと思う。
リシャール卿のことを、異性として。
でも、だからと言って、今すぐに愛の告白をするだとか。
そういう行動は起こしていないの。
ただ、リシャール卿も私のことを憎からず思っているだろう、という『気配』は感じている。
私もそうだ。彼のことを男性として意識はしている、と、きっと伝わっていることだろう。
それに、実は普段から彼と一緒に買い物に出掛けたり、休日に一緒に過ごしたりしているのだ。
付き合っているような、付き合っていないような、そんな関係を続けている。
戦場で過ごせば、燃え上がるものもあるかもしれない、なんて。
そんな風に考えていたこともある。
でも、なんというか。
蓋を開けてみると、私に待っていたのは、じっくりと持続する優しい火、のような。
一瞬で激しく燃え上がる情熱的な恋はしていない。
きっと、これから先も、そういう恋はしないのだと思う。
ただ、ゆっくり、じっくりと……長く繋げていけそうな、そんな関係で。
これから先も一緒に、自然と暮らせそうな……そんな、なんとも言えない優しい恋心。
そういうものを感じる。
今の私は、身分を隠している。
身分といっても、離縁されてしまったバツイチ・成人済みの子爵令嬢、というアレなのだけど。
だから、教会に身を寄せる平民も同じだ。
対する彼は、騎士爵を持つ騎士様。
実力は抜きん出ているものの、ただの騎士爵だ。
ちなみに私たちの暮らす国、ランス王国において『騎士爵』は男爵相当の身分。
そして『上級騎士爵』が伯爵相当の身分となっている。
子爵を飛ばしてしまっているのが、なんとも。まぁ、そういうものだ。
上級騎士として認められるには、色々と条件が必要となる。
だけど、リシャール卿ほどの実力ならば、上級騎士にだってなれたはずだ。
……おそらく上級騎士になることを妨害されたのだろうな、と思った。
例のファーマソン公爵家の騎士団長などに。
今の私たちは、釣り合っていると言えるだろうか?
平民と一介の騎士だ。悪くないと思う。
……それぞれの二つ名は横に置いておいて。
私と元夫は、恋愛結婚ではなかった。政略結婚だ。
今、こうして平民と同じ立場に立って、穏やかな恋心に身を委ねて。
感じることは……『結婚するなら、こういう関係がいいな』ということだった。
燃え上がる情熱的な恋ではなく。
ゆっくりと、持続していく優しい恋。
悪くないなぁ、なんて。そんな風に思っていた。
「そう言えば、エレンさん」
「なんでしょう、リシャール卿」
「そろそろグランドラ辺境伯が帰って来られるそうですよ」
「……ああ」
グランドラ辺境伯。実は、彼には会ったことがある。
私たちが、この領地に来て、少し経った後のことだ。
騎士団の活動に協力していた私の下へ辺境伯は現れ、私とリシャール卿の実力を見せて欲しいと言われた。
どうも、領地を離れたい用事ができたとかで。
だから騎士団の活動の憂いがないか知りたかったらしい。
私とリシャール卿の噂は、アナベル様たち、リブロー商会の面々が嬉々として広めているらしい。
だから、その噂を聞いたとのことだ。
『これが、戦場の女神の魔法か』
『ミュ、ミューズ!?』
女神呼ばわりに当然、私は驚愕した。
冗談じゃなく、本当に女神とか噂を広めることある?
アナベル様……と、恨みを抱いたのは内緒。
『これならば安心して領地を空けられるな。もちろん、一時のことだが』
グランドラ辺境伯は王都に用事があるらしかった。
そして、その用事が……。
『我が領地を救ってくれた英雄ハリードと、聖女リヴィア殿が、ついに結婚式を挙げるらしい。だから、式に参加するため、王都に向かう予定だ』
『────』
まさか、ここで、その名を聞くことになるとは。
いいや、元々、ここは彼らの出会った土地なのだ。
当然、辺境伯は彼らのことを知っているのだから。
当然のことかもしれない。
グランドラ辺境伯は、私が何者かを知らない様子だった。
当たり前だろう。
英雄に離縁された元妻のことなど、この地に広まっているはずがないのだから。
私の特徴と言えば……せいぜい、この水色の髪ぐらいのものだけど。
それにしたって、同じような髪色の女性は他にも居る。
だから気付くはずがないのだ。
だいたい今の私、偽名を名乗っているものね。
そんな辺境伯が、元夫と浮気相手の結婚式に出掛けていくのを私は見送った。
とっても複雑な気持ちではあるものの……。
元夫に未練があるワケでもない。
何らかの落とし前をつけたいと思う反面、あの頃に感じた『何者か』の悪意。
やっぱり、関わらないように力を尽くして正解だったと思うのだ。
そんなグランドラ辺境伯が、領地に帰ってくる。
つまり、それは、元夫たちの結婚式を見届けたということ。
私がカールソン家の屋敷を出たのは、もう一年以上前。
離縁状を置いていったから、正式に離縁が済んでからの期間は……おそらく、ちょうど一年が経過した後。
意外にも彼らは離縁して、すぐには結婚しなかったらしい。
一年は、婚約期間かしら?
そういうところだけは、ちゃんとしているんだぁ……なんて思った。
今に至るまで、彼らからの『追手』に遭遇したことはない。
予知夢で見たような状況は杞憂だったのか。
或いは、しっかりと対策をしたからこそ追手が迫らなかったのか。
なんにせよ、正式に結婚したというのだから、流石にもう私に用はないだろう。
そう思いたい。
「エレンさん? 大丈夫ですか?」
「あ、すみません、リシャール卿。少し考えごとをしていました」
私には、もう関係がない話。だって、離縁したのだから。
今は……この優しい恋心と向き合っていきたい、と。そう思っているのよ。
ファーマソン公爵夫人たちは、エレクトラの『味方』ではなく、『敵の敵』という感じ。
ここが完全無欠で、かつエレクトラの味方と設定すると
『そもそも、こんなことになってないだろ』となると思うので。
なので、彼女らの行動は、エレクトラのための行動ではない感じです。
※登場人物
エレクトラ・【ヴェント】=【エレン】:戦場の【ミューズ】(女神)
リ【シャール】・【クラウディウス】:聖騎士
リューズ:神父
アンジェラ:シスター
【ハリード】・【カー(ル)ソン】:子爵。英雄(?)
リヴィア:子爵夫人。聖女(?)
侍従長サイード
侍女長サリア
【ジャック】・【ファ(ハ)ーマ(ソ)ン】:公爵
【ノーラ】リア・ファーマソン:公爵夫人
【バイ】ツ・【〇ルブライト】:商会長
【メイ】リン・オルブライト:商会長夫人
ミゼッタ・【ファルス】:伯爵夫人
【アナ】ベル・【リブロ】ー:リブロー商会の女会頭
グランドラ辺境伯
辺境の孤児院には、「僕に構わないで!」と言って、人を遠ざけたりする傷ついた子供たちが居ますが、エレクトラが世話をして、だんだんと心を開いたりしてくれています。




