31 結ばれた二人
「ち、違う……リヴィア、これは……」
「何が違うって言うの?」
新婚の二人が睨み合う姿を、参列客たちは見ていた。
しばらく、言い争いにもなっていない二人の姿を放置し、今聞いた情報を互いに擦り合わせる彼ら。
「ノーラリア様、これは一体……?」
「私は一部を知っているだけですわ。すべてを把握しているはずなのは、主人ですから」
「……公爵が?」
ファルス伯爵夫人ミゼッタが、ノーラリアの隣で悲痛な表情を浮かべる公爵、ジャックに視線を向けた。
「ええ、ジャック。貴方から教えてあげれば? すべてを」
「す、すべて……だと? ノーラ……わ、私は」
「間近で見て、貴方も分かったと思うわ。彼女が一体どういう人間なのか。それともメイリンに報告書を出させましょうか。メイリン、いいかしら?」
「ノーラリア様の望まれる通りに。夫と共に、これからもよろしくお願い致します」
「ええ、もちろんよ。これからも力になってちょうだい」
メイリンの夫バイツ・オルブライトは、ファーマソン公爵家の遠縁ではあるが、爵位を持たない商人だ。
ただし実家は伯爵家であり、彼はその伯爵家の次男。
メイリンもまた男爵家の出で、元は貴族だった。
二人は、その能力を活かして商会を運営し、成功を収めている。
オルブライト商会の成功には、やはりファーマソン公爵夫人ノーラリアの援助があってこそだった。
そのため、二人は、そしてオルブライト商会は、ノーラリアの意向を叶えるために力を尽くす。
ノーラリアは、オルブライト夫妻に微笑んでから扇を広げ、ジャックに視線を移した。
「……!」
その視線にビクリと肩を震わせるジャック。
『どこまで、いや、すべてを知られているのか』と、ジャックは考えがまとまらなかった。
「リヴィア様は哀れですわ」
「……は?」
ジャックは、ノーラリアの口から零れ出た思わぬ言葉に、意表を突かれる。
「孤児であることではありません。彼女はね。『自分の望み』は、必ず叶うものだと思い込んでいるの。だから哀れだと言っているのよ。孤児ならば、平民ならば、噛み締めたはずの苦労を知ることも出来ず。己の望みは、願いは、必ず叶うものだと信じさせられて。……ねぇ? 彼女をこうしてしまったのは一体、誰かしら? きっと考えの浅い『父親』が、そう育ててしまったに違いないわ。だから本当に、哀れな人」
近くで、その言葉を聞いていたファルス伯爵夫人は、その言葉と、公爵の焦る姿。
そして彼と、リヴィアの瞳の色が同じであることに気付き、目を見開いた。
『まさか』と……。おそらく真実に近いことに思い至る。
「メイリンに感謝しなさい、ジャック。彼女らは『破滅』まではしないから」
「な……に? どういう……」
「生まれてくる子に罪はないでしょう。大人になった者ならば責任があるけれど。これまで多くの機会があった。私も貴方を許してきた。それは子供には罪がないと考えていたから。そして、貴方が『公爵』としての道だけは踏み外そうとはしなかったから」
ジャックとノーラリアの間には、息子が居る。
既に成人しており、婚約者との関係も良好の、次代の跡継ぎだ。
ファーマソン公爵家を継ぐのは、間違いなくノーラリアの子供であり、ジャックは、その道だけは踏み外さなかった。
たとえ、外に愛人を作っていようと。
たとえ、その愛人の子を、いつまでも気に掛けていようと。
ジャックは、リヴィアを孤児院や教会から公爵家に移すことだけはしなかった。
できなかった、という点もあるが……。
公爵家には入れず、本人に会いもせず、ただ支援だけを陰ながら続けて、ジャックはリヴィアを育てた。
そのことに思うところはあっても、すべてを把握していても。
ノーラリアは、見ぬふりをしてきたのだ。
そんなジャックが大きく動き始めたのは、リヴィアが戦場で気に入った男が居ると知ってからだった。
それも相手は、曲がりなりにも貴族だという。
娘の恋路には『障害』があった。
ただの男爵。ただの騎士風情。その上、既婚者。
……共に育った娘ならば。
己の娘として、憚らず、愛し、信頼関係のある娘ならば。
或いは、既婚者への恋路など止めたのかもしれない。
だが、ジャックとリヴィアの関係はそうではなかった。
だからこそジャックは、リヴィアの恋路を叶えようと動き始めて……。
ノーラリアの耳に入るジャックがしでかしたことは、呆れるようなものも多い。
その中の一つに、全く瑕疵のない男爵夫人を陥れようとするものもあった。
本来ならば、ノーラリアが動くことはなかっただろう。
『正義感』などで見ず知らずの、それも、ただの男爵夫人を救おうとは動かない。
ただ、その男爵夫人が、自力でジャックの企てを覆したことは聞いた。
そのことに驚き、ノーラリアも興味を惹かれたのは事実だ。
だが、それでも男爵夫人の奮闘も意味なく、当の本人たちが彼女を裏切り、離縁するつもりであることも知った。
そんな中で、その男爵夫人の打った手の一つを、ノーラリアは利用することにする。
どのようなつもりであったのか。
彼女は、己の『身代わり』を用意するようにと、カールソン家の使用人たちに言い残していたのだ。
まるで、リヴィアがどういう人物かを知っていたかのように。
或いは、以前に対処していた偽の夫人について把握していたからこそ、そういう発想が生まれたのか。
元男爵夫人が計画していた『身代わり』に、ノーラリアが動かせるメイリンを宛がった。
ノーラリアの目的や行動理由は、元男爵夫人エレクトラのためのものではない。
メイリンもそうだった。そして『正義』のためでもない。
「ジャック、選ぶ時よ。すべてを明かして、彼女を見捨てるか、否か。もう彼女は結婚したの。一人前の大人になったと言えるでしょう? 貴方がしていることは、本当に彼女の幸せのためになっているかしら? ……私は、すべてを許しはしないけれど。すべてを憎みもしていないのよ? 歪んで育てられた彼女には同情するけれど。だからといって手は差し伸べない。また、公爵家の財産をこれ以上、無駄に減らすことも許さない。そして……落とし前は、つけてもらう」
「……ノーラ」
「借金地獄というほどでもないのよ? だって、カールソン家のすべてはメイリンが把握した後だったから。その資産状況まで把握しているの。だから彼らは、すぐには破滅しない。ただ、贅沢は出来ないでしょうねぇ? 理想とは違う新婚生活が始まる。ギリギリにしてあげたの。別に私は、離縁された元男爵夫人に肩入れする理由などないのだから。……私の『感情』と、問題の解決。その中間を取ったつもりで処理した。ただし」
ノーラリアは、新婚夫婦に背を向ける。
それに追従するように、オルブライト夫妻も帰る準備を始めた。
そして、ノーラリアは、ジャックを見据えて告げた。
「彼女の『親』でありたいのなら、ファーマソンに関わるすべてを捨てなさい? これが最後通告。公爵家を背負う者として、譲れない一線。……後のすべては彼女次第。もう彼女の『望み』を叶える者は居なくなるの。どうしたってね」
リヴィアは、ずっと『願い』を叶え続けて育った。
孤児であった彼女だが……、親が居ないだけで、願ったことは知らない内に叶ってきたのだ。
だから、欲しいものは、いつかは必ず手に入るものと思っている。
そんな風にリヴィアが育った理由は、間違いなくジャックの影響で。
ノーラリアとオルブライト夫妻は、言葉を残して去っていった。
そして近くで話を聞いていたファルス伯爵夫人ミゼッタは、ジャックとリヴィアの関係を悟る。
当の本人であるリヴィアは、ハリードを問い詰めるのに夢中で、どれだけ己にとって重要なやり取りが、そばで繰り広げられていたか、知りもしないまま。
「…………」
ジャックは呆然と、リヴィアの姿を見た。
己の娘。己が愛した女の娘。聖女とまで称賛されるように手を尽くした、美しい娘。
だが、離縁した元妻に、己の姿を勝ち誇るような……浅ましい娘。
王都で開かれた結婚式には、多くの参列客が居た。
それはジャックが手を回した者が、ほとんどのはずだったが……。
見回せば、ジャックが想定していなかった参列客も多く居た。
それらもまた、ノーラリアが手を回していたのだろう。
多くの貴族家門が、聖女リヴィアがどういう人物かを知った。
明日には、カールソン夫妻の醜聞が広まるはずだ。
王都で二人の結婚式をさせるように手回ししたジャックだったが、思えば、それも上手くいき過ぎていた。
それらも、おそらくノーラリアの手が回っていたはずで……。
二人の結婚資金は、ジャックが用意するつもりだった。
もちろん、彼が個人で保有している資産もありはする。
すべてがノーラリアの管理下ではない。……だが。
その支援をするということは、つまり、ジャックは、ファーマソン公爵家を……追い出されるということ。
ノーラリアは、すべてを把握しているのだから。
ジャックが関与しなければ、結婚式の費用が足りず、カールソン夫妻は苦しい思いをするだろう。
それをもう、ジャックが助けることは許されない。
己の身分を捨てたくないのならば、だが。
「………………」
ゴクリ、と唾を呑み込み、ジャックはリヴィアを見据えた。
未だに夫となる男に我儘を言う娘。
かつて愛した女の面影そのままの、自分と同じ瞳の色をした娘。
彼女が幸せになれればいいと、他のすべてを無視してきた。
元男爵夫人エレクトラを陥れることなど気にも掛けず、娘のために。
……だが。
「…………もう、充分、だろう」
ジャックの口から出たのは、そんな言葉。
リヴィアは、もう結婚したのだから。
新しい人生を歩むパートナーを得たのだから。
聖女という名声を与えることが出来たのだから。
人生の門出まで、見守ることが出来たのだから。
……父親としての役割は、充分に、果たした。
そうに違いない、と。
「…………失礼する」
ジャックは二人に背を向けて、ノーラリアを追いかけた。
こうして今日、英雄ハリードと、聖女リヴィアは結ばれたのだった。




